二人の助っ人
ユーリッドの己の体内エネルギーを空気と一緒に振動波として放つ【闇音波】。
その空気の震えは、丁度ユーリッドとメリーの中央で、止まった。
正確にいえば、似たような物をぶつけられて相打ちになったという方が無難かもしれない。
自分の感情を殆ど顔に出さないユーリッドの目がやや見開いた。それだけ驚いているという証拠だ。
技を撃った本人でさえ、何が起こったか把握できていない。もちろんユーリッドの真後ろにいるディランとコフが見えるのは、ドライアイスの蒸気のように辺りに充満している黒いけむりだけだ。
立ちこめる黒煙の前で、ユーリッドは煙の向こうにいるであろう人物に問うた。
「今何をした……」
その答えは一言で、早くて、何よりも黒かったーー
「こうしたのさ」
闇音波
「なっ……」
迫ってくる黒い波動に今度こそユーリッドの目が完全に見開いた。
反射的に右手を前に差しだし、同じく【闇音波】で返す。
ディランとしては、さっきの繰り返しを見ているようだった。
が、さっきとは異なることが一つだけ。ディランには、その相手が誰なのかハッキリと分かった。
誰もが聴き入ってしまうような穏やかで愛嬌のある声。今はそこに少しだけ、怒りの義が混ざっている。
最初はまさか……とは思ったが、黒い靄の向こうで仄かに見えた、自分と同じ制服を着る者が二人。
ディランの疑心は、確信へと変わった。
「ゼロ…………」
ディランの顔に一瞬の驚愕こそ浮かんだが、気がつけばどこかホッとした安堵の息が自然に洩れていた。
どういう経緯でここまで来たのかは分からないが、ある意味では最強の助っ人かもしれないと考えた刹那、ディランの思考が切り替わる。
ーー待てよ……確かこいつらゼロを探していたんじゃなかったっけ……。
煙を払ったゼロが前に進み出た。ゼロとユーリッド、二人が互いの顔を認識したとき、ユーリッドだけが僅かに笑みをこぼした。
「腕に黒い宝石の入ったリングをつける茶髪の少年……。まさかそっちの方からやって来てくれるとはな」
「誰だい君……。別に僕は君達に用なんてないから。ディランを返してもらうよ」
この会話から、二人は初対面であることがディランには分かった。
余計なことを一切考えていない冷たい眼差しに身体から溢れ出している闇のオーラ。
少なくとも普段学園でおとなしい態度をとっているゼロの外見とは、似て非なるものであった。
だがゼロの言葉に、ユーリッドは小さく首を振る。
「ああ、返してやるよ。貴様が素直に俺達についてくると言うのならな」
「そうか……じゃあいいや。力ずくで返してもらうから」
ゼロは肩の力を抜いて一息つくと、前を向いたままメリーに声をかける。
「メリー、さっき言ったとおりに頼むね。できるかい?」
「問題ないわ」
メリーは先程と同じく両手を重ねて防御の体勢をとった。足の震えはない。
ーーこいつら、こうなることを想定して、さっきの煙の中で打ち合わせをしていたな……。
とユーリッドが冷静に二人のやり取りを見聞きしながら推理していると、コフが近づいてきて小声で囁いた。
「どうすんだよユーリッド。完全にやる気だぜあの二人」
「そのようだな……。俺があの男を捕らえるからその間にお前は女の方を仕留めろ。今度はへまするなよ」
二人の身体に邪気がほとばしる。
同時にゼロがいち早く前に飛び出した。何の予備動作もなくただ一直線に駆けるだけ。
ーー何か企んでいるのか? とユーリッドが怪訝を抱きながら技を出す。
闇音波
豪快な音が立ったあと、ユーリッドの身体に細かい水しぶきが降りかかった。
「まさか……」
ユーリッドが思考を巡らしているとその答えに辿り着くや否や、煙を裂いてゼロが現れる。
闇刀
ゼロの右腕が闇に包まれ、先の尖った黒い刀となって勢いよく縦に振り下ろされる。
ーー迅い。
紙一重のところで身体を右に傾けかわしたが、完全に重心が崩れた。
ゼロの第二撃目を予想しユーリッドは右へ大きくサイドステップをしたが、ゼロは構うことなくその横を通過した。
ーーやはりそうか。
「コフ、予定変更だ。奴を狙え」
ユーリッドの考えでは、ゼロはまず自分達を倒しにかかるだろうと思っていた。
ディランを助け出すのはその後。しかしゼロの目的は全く逆。端から自分達は眼中になかったのだ。
最初に違和感を感じたのは、ゼロが正面から特攻隊のように突撃してきたとき。
ゼロが【闇音波】を受けて無傷でいたのは、メリーの【水の盾】が前にあったからだ。その証拠として、ユーリッドは雨が降っていないのにも関わらず水を浴びた。
ゼロは最早自分達をただの障害物としか見ていない。
それはゼロの動きで容易く分かった。ユーリッドはさっきの攻撃に、ゼロからこれと言っていいほど殺気が感じ取れなかったのだ。
「仲間の安全が最優先……か」
ユーリッドは左袖に切れ目が入ったローブを脱ぎ捨て、コフと対峙したゼロの背後に回り込んだ。
【闇音波】の連続使用でユーリッドの体力も既に半分以上削られている。
ここはスピードあるのみ。ゼロの頭めがけて回し蹴りを放った。
が、ゼロはさも見ていたかのように、しゃがんで蹴りをかわす。
「馬鹿な……」
空を切ったユーリッドの左足が地面に着く前に、今度はコフが攻撃を仕掛ける。
「この距離なら避けるのは不可能だ!」
黒鎌の千刃
鎌の形をした幾つもの黒い刃がコフの周囲に浮かび上がり、刃先がゼロの方に向くと一斉に矢の如く上から落ちてきた。
「ぐっ……」
短い叫びの後、辺り一面闇に包まれる。
闇霧
「チッ……」
「ゴホッゴホッ、何だこれ、暗くて何も見えねえ」
敵の視界を眩ませ、間一髪で脱出したゼロは、右肩を押さえ込みながら何とかディランの元へと到達した。
「大丈夫かいディラン」
「あぁ……、何とか……ってお前、その傷……!」
見るとゼロの右肩は肉がえぐり取られたように深い傷ができており、力なく垂れ下がっている。
心配そうな表情を浮かべるディランにゼロは笑顔で答えた。
「これぐらい問題ないよ。それより早く奴らから逃げよう。メリーには先に行くよう言ってあるから」
ゼロに手を引かれやっとの思いで立ち上がったディランは、足をふらつかせながらもゼロと共に小走りでその場を後にしようとするがーー
闇音波
霧をかき消し、突風が巻き起こる。
ゼロが応戦しようとするも、もう右腕は使い物にならない。
無理矢理動かそうと試みた結果、そこから出たのは大量の血液と痛みによる小さな呻き声だった。
もう駄目かと思ったその時ーー
水の盾
ポニーテールを揺らす少女が二人の目の前に飛び込んできた。
「ハアッ、ハアッ……何とか……間に合っ……た」
そう言うと両膝が地面に着き、そのまま折り畳む形でうつ伏せに倒れた。
「「メリー……!」」
「……大分手こずってしまったが、そろそろ全員限界のようだな。この女、一度ならず二度までも出てくるとは。所詮は無駄の足掻きだというのに」
ユーリッドの勝ち誇った物言いに、二人は何も返すことができなかった。
言葉が出てこなかったわけではない。心の中で言い返していても、それを口に出して言う気力と体力が残されていなかったのだ。
しかしその声は、どこからともなく聞こえてきたーー
「無駄な足掻きなどではありませんよ。彼女がいなければ、彼らは今頃死んでいたかもしれません。そしてこの彼女のたった一つの動作が、今後のあなた達に大きな影響を及ぼすことになるでしょう」
耳を澄ましてみると、その声はディラン達の後ろからのものであった。
「……また助っ人かよ。今度は誰だ……?」
「変なのが現れたものだ」
コフ、ユーリッド、そしてディランがそれぞれ眉を顰める中、ゼロだけが肩の痛みをもろともしない、ありったけの表情で顔を綻ばせていた。
「変なのとは……初対面の人に向かってそのような事を言うとは、あなたかなりの毒舌家ですね」
言いながらディランとゼロの前に立ち、尖った襟足をいじりながらゆっくりと振り向いた。
「やれやれ、女の子に守ってもらうようではまだまだですね、ゼロ」
ゼロが最も尊敬し、慕う人物、師匠の姿がそこにはあった。
「さて、随分と私の大事な弟子とその友達を可愛がってくれましたね。……どういうお仕置きをしましょうか」
「あの人……ゼロの知り合いなのか……?」
目の前に立つ少しやつれたベージュの上着を羽織った男を目視しながら、ディランが独り言のように上がり調子で言った。
「知り合いも何も……、この人の名はライニッツ・スカイド。僕の育ての親で、蒼術を教えてくれた師匠だよ」
ゼロも同じくディランの方を向かず自然と口から言葉がもれるだけ。
ゼロは嬉しさ以上に「なぜここにいる?」という概念の方が大きかった。
自分もディランとメリーにとってはそうなのだが、ここにいるはずのない存在。こっちはこっちでちゃんとした理由があるのだが、師匠にはそれが見当たらない。そもそも以前住んでいた村からここまでは、どれだけ頑張っても軽く一時間近くはかかる。
と考えたところで、この答えはすぐに出てきた。
ーーああ、そうか。師匠にはあの技があるんだった。
ライニッツの身体がぼんやりと明るむ。闇が沈み、光が昇る。目を細めずにはいられない目映い閃光が森全体を照らした。
「こいつ、光属性か……」