学長室②
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「入学式で思い出したんだけどさ、そう言えばあんたあのあと何してたの? 三日間ぐらい授業にも出てなかったでしょ」
二人のやりとりを聞いていてふと気になったメリーだったが、その答えはあまりにも意外だった。
「あれ? 何でそんなこと知ってんだ? さてはお前ストーカーだな!?」
「はあ? そんなわけないでしょうが!」
ハイヒールの踵でディランの足を踏みつけて、グリグリと擦り付ける。メリーが思わず怒鳴ってしまった理由は主に二つ。
一つは、ストーカー呼ばわりされたこと。そしてもう一つが、ディランの空っぽの頭。
ディランとメリーは同じクラスなので、それくらいは知っていて当然のこと。なのに、ディランにクラスメイトとして認識されていないとなると、別に悲しくはないが、ついついカッとなって足に力が入ってしまう。
「痛ててててて、じょ、冗談に決まってんだろ……。そこまで俺もバカじゃねえよ。バカ」
「は? 今あたしに向かってバカって言った!? バカにどうしてバカって言われなくちゃならないのよ!」
「おーおー、何ムキになってるんですかぁ? 今のをビデオに撮ってクラスの奴らに流したら……。お前の学園生活はこの先真っ暗だなあ。何たって俺以外の奴はみんなお前のこと清き正しい美少女だと、ーーとんでもない勘違いをしているもんなあ!」
「へぇー、やってみなさいよ。その代わりあんたの場合、この先の人生が真っ暗になるかもしれないけどーー」
徐々にヒートアップしていく、聞いていて恥ずかしい言い争いに歯止めをかけたのは、一つの軽い咳払いだった。
「オホン、貴様ら、ここがどこだか分かっているのか? そういうことがしたいなら、もう少し時と場合を考えてからにしてくれ。それからメリー、……相手は慎重に選べよ……」
「ご、ごめんなさい……。でも、そんなんじゃないからね! 今のはついつい乗せられただけであたしがこんな奴と……」
と、少しずつ声を萎めながら俯いたメリーと、
「何の相手を選ぶんだ?」
と、真顔でメリーに訊ねるディラン。
「子供にはまだ早いわ」
「何だよその言い方! お前だって俺と同い年ーー」
「ゴホン……!」
今度は明らかにさっきより殺傷能力の高い咳払い。
身震いをして唾を飲み込んだディランと、メリーが改めてエフリーナに向き直った。
「……よし、それではそろそろ本題に入ろうか」
エフリーナは机の上に両肘を乗せ指を組むと、その上に顎を乗せた。エフリーナお得意の体勢だ。
「貴様らを今日呼んだのは、ある調査をしてほしいからだ」
貴様らという言葉にあれ? と思ったディランが隣のメリーに囁きかける。
「お前も呼び出されてたのか?」
「今更何言ってるのよ。ちゃんと放送で言ってたでしょ」
「あー、寝てたから知らなかった。 それより何で呼ばれたんだ?」
「それを今から説明するのよ」
前方から強力な視線を感じたディランは、開けそうになった口を閉じる。
「闇属性狩り事件。もう名前ぐらいは知っているな?」
揃って頷く二人。このうち、事件のことを詳しく調べているメリーが淡々と語り始めた。
「一ヶ月ほど前、ここからかなり離れた村の外れで住民が一人変死を遂げた。全身に切り傷を負っていたため事故によって起こることはまずない。そこにはちゃんとこの学園の卒業者が二名住み込みで防衛していたため、熊などの野生の動物に襲われることも考えられない。だが、村に住む少年が亡くなった人物が死ぬ直前、その近くに人が立っていたと言った。でもそれはただの子供の戯言。一人でトイレに行くのが怖くて、そのせいで何かの幻を見たんだろうと人々に笑い流され、結局その事件は何かの事故と断定された」
メリーは一旦そこで切ると、息を少し吸い込んで続ける。
「それから約一週間後、最初の村から少しこちらに進んだ、似たような村で同様の死体が見つかった。そして三日後。とうとううちの卒業者である人物が、防衛をしていた町で何者かに暗殺されたーー」
最後の一言を噛みしめるように言ったメリーは全てのあらましを喋り終えると、入ってくる情報に脳が追いつかずお手上げ状態になっているディランのために、簡単にメモとして紙にまとめてくれた。
それを受け取ったディランはなるほどといったような感じて、何度も軽い頷きを繰り返す。
「百年ぶりに殺人が起こったかと思えば、昨日のを合わせてもう五人も犠牲者が出ているのか……。殺された人たちに共通するのが、五人ともみな闇属性……か。これは単なる偶然ではなさそうだな……」
訝しそうな表情でそう呟いたディランは、次いで「うん?」と首を傾げた。ーー紙に書かれている、ある一文を二人の親子に指し示して。
「ここに犯人は闇属性の蒼術を使用って書いてあるけど、これはどこからの情報なんだ? 確か目撃者は0って言ってたよな? まさかあの少年が証言したとかいう冗談はやめてくれよな」
言っときながら自ら冗談じみた笑みを浮かべたディランであったが、なぜか黙り込む二人を交互に見やって表情が凍りつく。
「ちょっ……、まさか本当にーー」
「分からない」
ディランの言葉が言い終わらないうちにキッパリと答えたのは変わらぬ体勢で僅かに眉をひそめているエフリーナ。
「それってどういう……」
「……そのままの意味よ。本当に、この情報の発信源がどこか分からないのよ。いつの間にかそういう風に言われるようになったから……。そして恐らくこれが、お母様があたし達をここに呼んだ理由…………ですよね?」
「えっ……?」
ディランがエフリーナに目をやると、彼女は静かに頷いてメリーの言葉を肯定した。
「そうだ。貴様ら二人にはその事に関しての調査をしてもらいたい」
「それって闇属性狩りについて!? ……ですか?」
「そうだが……貴様は何をそんなに興奮しているんだ?」
今日一番の笑顔で前のめりになってエフリーナに迫るディランは、誰がどう見てもおかしい。
これにはさすがのエフリーナも苦笑いを浮かべるしかなかった。
それでもさっきから、鬱陶しいぐらいのギラギラした熱い瞳と、興奮している牛が出しそうな荒い鼻息でディランの考えている大体の意図は察した。
「先に言っておくが、これはあくまで調査であって討伐ではないからな。もし遭遇しても戦闘は避けろよ。……あと顔が近い。私の顔に見とれるのは仕方のないことだが、いい加減そろそろ離れろ」
「……へっ? 戦ったらダメなのか……?」
ディランにとって、全てが砕けた瞬間だった。
息巻いていたのが嘘のようにみるみるとしぼんでいく。全身の骨が抜けきったようにヘナヘナと座り込むディランの襟首をメリーが馴れた手つきで掴み取った。
「今日はよく引っ張られるわね」
「お前が勝手に……いてっ!」
紙くずでさえもう少し丁寧に捨てるだろう。何の躊躇いもなしに手を離したメリーは、尻餅をついて痛がっているディランに構うことなく母親に問いかけた。
「それでお母様、その調査っていうのはもしかして、私とこのバカだけで行かなければならないのですか?」
「誰がバカーー」
「そのこと何だが、元々は五神帥全員で行ってもらう予定だったんだが、あいにく三年生は今の時期は夏休み前ということもあって実技演習で忙しい。かと言って、相手はうちの卒業生を既に二人殺めている。一般の生徒だと何が起こるか分からんかな……」
メリーは、母親の青い瞳がうっすらと滲んでいるように見えた。
家族の前でも感情を表に出さない母親が手に力を込めて、目線を下に落としている。この人は自分の母親であるが、それ以上にこのヘブンズ・クラムの学長ーーエフリーナフェンリルであるんだと、改めて思った。
メリーは右手を自分の胸の前に持って行き、左の指で手首の青いリングにそっと触れる。
五神帥の証であるマスターリングと呼ばれる代物にーー
この学園では、毎年五月一日にその年の五神帥という、五つの属性の中からそれぞれ最高の技能を兼ね備えた者、即ち各属性で一番強い生徒を選抜するということだ。
これは生徒達が実際に闘って力の優劣を決めるのではなく、全て学長が独断で選ぶという決まりになっている。
特に今年は、五人のうち三人が入学したての一年生が占拠するというかなり異例な年になったため、騒ぎが起こったものだった。
だが、それを特に妬んだりする生徒はいない。なぜなら五神帥になったからといって何かが変わるわけでもないからだ。
ただマスターリングという自分の属性の色の宝石が入った腕輪のような物を渡されるだけだ。
故に、五神帥というのはただの肩書きにすぎなかったのだが、今は違うーー
「この事件は多分、今はまだ闇の片鱗を見せ始めたばかりだけど、早めに手を打たないと歴史が変わるほどのとんでもないことが起こりそう……そんな予感がするわ……」
「それは私も薄々感じている。ここはヘブンズ・ゲートによって邪悪な心を持つ者は踏み入ることはできないが、私も同じようにこのヘブンズ・ゲートが存在する限りここから出ることはできないからな……」