入学式
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ーー入学式当日。
真新しい制服に身を包み、緊張した面もちで式に臨む生徒達の中、一人だけ明らかに態度の違う者がいた。
新入生用に並べられたパイプ椅子に座りながら、真っ赤に充血した目をカッと見開き、前かがみでキョロキョロと辺りを見渡している金髪の少年。
彼の名はディラン・ラーシュ。本日付けでこの学園の生徒になるのだ。
「どこだ……どこにいやがる。この俺を差し置いて首席になるとか何かの間違いだ。見つかり次第とっつかまえてどういう不正をしたのか全部吐かせてやる」
ディランの事情を何も知らない人が聞けば、けっこう問題になっていた可能性があったが、たまたまディランは十列中で一番後ろの列の、一番左端に座っていたということが効を奏したのか、右に座るメリーにしか聞こえていなかった。
勿論お互い会うのは初めてで、ディランの方は全く気にも留めていないし、そもそも近くに人がいるということ自体認識していない。
だがメリーの方は、ディランのことをよく知っていた。本来ならば首席を取るはずだったのが、まさかの三位。
ディランと違っていつまでも過去を引きずらないメリーは、己の未熟さと自分より上だった二人を認めようとしたのだが、どうしてもディランだけは認めることができなかった。
メリーは式が始まる前、ゼロと一度すれ違ったのだが、それだけでゼロの放つ見えないオーラと圧倒的なカリスマ性に思わず足が竦んでしまったのだ。
それに比べて、さっきから隣で言霊のような怪しい言葉をぶつぶつと呟いているこの男からは、蒸し暑い熱気しか出ていない。
いくら学長の娘と言えど、試験の細かい成績を閲覧することは固く禁じられているし、本人もそれが理由で特別扱いされることを嫌がっている。
「本当にこいつがあたしより上なのかね……。何か側にいるだけでこっちまで暑くなってくるわ……」
手で顔の周りを仰ぐ素振りを見せるも、ディランは全くこちらに目を向けようともしない。
こんなことをする自分がアホらしく思ったメリーは、もうあまり関わらないでおこうと心に決めたとき、その時はやってきた。
学長挨拶が終わり、拍手が鳴り止むのと同時に進行係のアナウンスが流れる。
『それでは次は新入生の挨拶です。新入生代表、ゼロ・フォークス』
透き通った返事と共に最前列にいる生徒がスクッと立ち上がった。
メリーは壇上に上がるゼロを見つめていたが、傍らで聞こえたガタンという椅子を蹴倒したような音に顔をしかめ、直後、驚きに変わる。
「お前かっ!」
体育館全体に響きわたる怒りのこもった叫び。顔を真っ赤にして拳を震わせているディランにメリーは声をかける。
「ちょっと……あんた自分が何をしているのか分かってるの!? どうしてそんなに怒っているのかは知らないけど、とにかく今は座りなさいよ。みんな見てるわよ」
なぜ自分がこんなに焦らなくてはいけないのか……。とりあえず今はディランを落ち着かせようと思い、ディランの身体に触れようとしたときーー
信じられない光景が目に入った。
雷鎧【ライトアーマー】
激しい火花音が飛び散り、ディランはその場で高く飛び上がった。
メリーを含め周りにいる者はみな、その光景にただただ口をあんぐりと開けながらそれを見守るだけだった。
ディランが座っていたパイプ椅子とその周辺の床が黒く焼け焦げている。それに気づいたメリーは胸の奥で声を張り上げた。
ーーまさか、蒼術……!?
……でも、……いや、あり得ないわ! この年でここまでできるなんて!
空中で一体何をするのかと、メリーはディランを見上げながらゴクリと唾を飲み込んだ。
するとーー更なる信じられないことが起こる。
ディランは膝を深く曲げると、地面と平行になる形で体勢を変えた。そのまま落ちてくるかと思いきや、それよりも早くディランを纏っていた電気が全て、足元に移動。靴の部分を黄金色の光で覆い隠すと、空気を蹴った。
ーー今の……雷を個体化させて踵に壁を作った……?
メリーが沈思黙考をしている中、再び電気で全身を包み込んだディランは、物凄いスピードで生徒達の頭上を通過していってた。
誰一人としてディランを止める者はいず、初めて蒼術を見る生徒も少なくはない。だがそれ以上に、両脇で佇んでいる教師でさえ、その圧巻の光景に息をのんだまま動こうとしないのだ。
「しょうがないわ。こうなったら仕方ない」
水縄【アクアロープ】
メリーは右手を後ろに振り上げるとディランを見定め、そのまま腕を縦に振り下ろした。
掌に吸い付くようにして直径一メートルほどの、巨大で透き通る青い水の塊が現れる。
「大きさはこのくらいでいいか。とりあえず怪我をさせないようにしなくちゃね」
水の球体は限界まで圧縮され、少し太めの縄に形を変えると一直線にディランへと伸びていく。
メリーの水縄はすぐにディランに追いつき、身体を縛りつけようとメリーが縄を操作する。
「ん? 何だこれ」
平常心を失いながらも、ディランは自分の身に迫る危険を感じ取っていた。
ディランの周りを囲う水の縄。だが当のディラン本人はそんなもの眼中になかった。その目に映るのは、三年間の自由を奪い取ったゼロのみ。
「……てめえのせいで……。てめえのせいでええぇぇぇぇ!!」
ディランが拳を握って振りかぶると、ゼロはようやく自分が狙われていることに気づいたのか、「ええっ!?」と言って目を大きく吊り上げた。
だがその前に、ディランの行く手を阻む水の二十螺旋。メリーが力強く縄を引っ張ると、縄はディランに巻き付こうとしなやかに鞭を打った。
「……さっきから誰かは知らねえが、そんなもんで俺を止めれると思うなよ!」
ーーバシャアン!
弾ける水しぶき。水縄はディランを締め付ける、どころか、身体に触れることすらできなかった。全ての水が、ディランの帯びる電気によって蒸発、もしくは弾き飛ばされた。
「うそ……」
頭上から落ちてくる水滴に生徒達が混乱している中、メリーは悲痛な面持ちを浮かべ、すっかりびしょびしょに濡れた手をじっと見つめていた。
いくら本気でなかったと言えど、ここまで差があるとは思ってもいなかった。むしろこれで、ディランの動きを制止させることができると思っていた自分が情けない。
そうメリーは思った。
その頃のディランーー
「くそっ、水の量が多すぎたせいで前が見えねえ」
水と電気が重なったときに生じた白い煙がディランの視界を遮る。顔の前で腕を振り回していると、微かに見えた、黒い人影。
「そこか! 俺の……時間を返しやがれえぇぇぇぇ!!」
確かな感触。
しかし、殴った直後に雷鎧を解除し忘れたことに気づいたが、少し遅かった。電気を纏ったディランの拳をまともに顔から受けて、無事ですむはずがない。
「……やっちまった」
ぺしゃんこになった相手の顔が頭の中に浮かび上がる。
ーーだが、相手は倒れておらず、そもそも一寸もその場から動いていない。
不思議に思ったディランが拳を離すと、案の定そこには一滴の血も付着していなかった。
「驚いたぜ。結構本気でやったつもりだったが、ビクともしねえとは。……こりゃもう納得するしかねえ、な……ん? ウギャア!」
異変に気づいたのは、まだ煙が晴れぬ中、黒い影がディランに向かって伸びてきたとき。
そしてその影の正体が人の腕だと理解した瞬間、頭を鷲掴みにされる。
その腕がなぜか紺色の袖から出ていること、頭を掴む指が妙に細長いこと。この二つから導き出される答えは一つ。
ディランは頭の中で状況を整理した。
ーー確かあのとき、壇上の上にいたのは、ゼロと…………。
「が、学長……」
今度こそ本当に。
「……やっちまった」
世間の一般常識さえ知らないディランでも、その顔と名前だけは脳の片隅にインプットしていた。今や神と崇められている伝説の蒼術使い、エント・フェンリルの血を受け継いでいる、ヘブンズ・クラム初の女性学長である、エフリーナ・フェンリル。
「……貴様、確か名はディラン・ラーシュだったな。試験の実技分野では受験者全体の中でもずば抜けていたと聞いている。……なるほど、中々いいパンチだ。その雷鎧の完成度も素晴らしい」
「……あ……、ありがたきお言葉……。ところでそろそろ、その美しい手を離してはいただけないでしょうか?」
雷鎧を解除したディランの頬を一滴の汗が伝う。
霞が消えたディランの目の前で、少しダボッとしたサイズの大きい淡色のコートに身を包んだエフリーナは、眉を少し吊り上げて言った。
「貴様、さっきまでとは喋り口調が全く違うな。そんなに私のことが怖いのか? ……ほら、すぐそこにお目当ての人がいるぞ」
なぜそれが分かるんだ!? とディランが叫びそうになる前にエフリーナが顔を右に振った。
君何がやりたかったの? と言いたそうにディランを見つめているゼロの姿がそこにあった。
「あっ! てめえそんな所に!」
「誰……?」
当然の疑問だ。
「どうやらこいつは、ゼロ、貴様と友達になりたいそうだ。とりあえずこいつのことは弟と思ってやって構わない。色々と可哀想な奴だから仲良くしてやってくれ」
「ちょっ、何言っーー」
「黙れ」
「……はい」
手足をじたばたさせているディランを一言で沈めたエフリーナは、ディランの髪を引っ張って自分の懐に寄せる。そして誰にも聞こえないよう小声で耳打ちをした。
コクリと、親に叱られた後の子供のような頷きをみせたディランは、小首を傾げているゼロに笑顔で手を差し出した。
「えっと、ゼロ君だっけ? 俺はディラン・ラーシュって言うんだけど、ディランって呼んでくれ。これからよろしくな」
何が起きているのかよく分からなかったが、知り合いが一人もいなく、少し心細いと思っていた中、どんな形であれ早々声をかけてもらえたことが、ゼロは素直に嬉しかった。
ゼロはパッと笑みを浮かべると、ディランの手を強く握った。
「こちらこそよろしくね。僕はゼロ・フォークス。呼び捨てにしてくれて構わないよ。……ってあれ? どうかしたの?」
なぜか小刻みに震えているディランの手を見たゼロは心配そうにディランの顔をのぞき込む。
「……いや、何でもない。これは……えっと、緊張してるんだよ。俺意外とあがり症だから」
「……でも何だか顔色も悪いし、汗の量もすごいよ」
「あぁ、これか。これはだな……俺自分で言うのも何だけど汗をかくことに関しては、誰よりも自信があるんだ。……どうだ、驚いたか! ハハハハハハ」
天を見上げて高々に笑うディラン。もしかして自分はとんでもない人と関わってしまったかもしれないと、この時ゼロは一抹の不安を感じた。
なぜかじめっとした油のような汗に混じって透明の水滴ーー俗に言う涙、と酷似した液体がディランの目元を伝っているように見えたが、これは恐らくさっきの水属性の蒼術がまだ顔に残っていたのだろうとゼロは考えた。
が、同時に隣から「プッ!」と吹き出したような音が聞こえたような気もしたが、ただの気のせいということにした。
ーー長い間中断してしまったものの、その後はエフリーナが新入生によるサプライズ出し物としてみんなに呼びかけたお陰で、無事に入学式を終える。
席に戻ったディランは、その間じっと黙って座っていたが、終わった途端にそそくさと席立って我先にと出口を目指すところをゼロが目撃した。もう少し話をしたいと思っていたゼロは、同じく小走りになってディランの後を追った。
本来ならこれから教室に行って、担当の教師とクラスメイトでホームルームを行う。
ちなみに一クラス二十五人の四クラスで、ディランもゼロも一組だ。
校舎に入ったディランは階段を駆け上がると、その状態のまま頭を抱え込みだした。それでも
十秒程度で教室がある階まで上がったであったが、その足は止まることなく走り続ける。
「おーい! どこ行くの? 教室はこっちだよ!」
と言うゼロの叫びに少しも反応せず、とうとう最上階まで来てしまった。
まだこの学園の見取り図を三割程しか把握していなかったゼロは、下手に動いて迷子になるのを避けるため、階段の物陰からディランの様子を窺うことにした。
足を止めたディランは左に方向転換すると、杖を失ったおじいちゃんのようなへっぴり腰で扉をノックする。今度はロボットのようなぎこちない動きで部屋の中へと入っていった。
扉が閉まった音を確認したゼロは、忍び足でスイスイとディランがいるであろう部屋の前に到達する。
だが、そこに書かれている学長室というプレートを見たときには、三秒後、ゼロは階段へと引き返していた。
ーー触れてはいけない。この言葉がゼロの脳天を稲妻のように貫いたのだ。
それでも、その断末魔は離れた場所にいても耳がジンジンするほどよく響いた。
「ギヤアァァァァァァ!」
99.9999%、音の発生源がどこだか見当がついていたが、残りの0.00001%だということを祈りながら、ゼロは自分の教室へ戻った。
ーーそれから三日間、ゼロはディランを学園内で見かけることがなかったが、四日目の朝、何事もなかったかのように席に座っているディランを見つけたゼロは、なぜ休んでいたのか訊ねることはなかったし、ディランも、なぜ休んでいたのかついぞ語ることはなかった。
でも、自然体で接してくれるディランがそこにはあったので、ゼロはそれだけで充分だった。