病室にて
葉月が目を覚ますと、そこは暗い病室だった。
麻酔が効いているのか、身体が思うように動かない。目だけを動かし辺りを見渡す。今はどうやら夜中らしく、病室には誰もいなかった。
しばらく天井を眺めていると、ドアが開いた。
現れたのはオールバックに白髪交じりの頭を撫でつけた、威厳のある男だった。
「おや? 起きたようだな」
男がベッドの横にゆっくり歩いてくる。
「えっと、あなたは?」
葉月は身体を起こそうとするが、麻酔の効いた身体では上手くいかなかった。諦めて首だけを男に向ける。
「そのままで構わんよ。私は九法蓮光。九法天音の父親だ。今回の件は娘が世話になったな。君には本当に感謝している」
蓮光は深々と頭を下げる。
「いや、別に俺は感謝される事はしてませんよ。好きでやった事ですし、頭を上げて欲しいんですが……」
「そうか。だが、娘のあんなに楽しそうな顔は久しぶりに見たんでな。本当に感謝している」
「そうですか。なら、良かった。でも、娘を思うならどうしてあんな儀式を行ったんですか?」
「一族の掟絶対であり、あの子も私も九法の魔術師だからな」
葉月の予想した通り蓮光は答える。
「やめる事は出来なかったんですか?」
「私にはどうにも出来なかったよ。三十六代もの間、続けて来た一族の決まりに逆らうことなど、魔術師としてあり得ない。それはあの子も理解していただろうし、同時に一族を恨んでもいただろう」
この人は娘を思う気持ちのある優しい父親であり、魔術師なんだと葉月は思った。
「でも、あなたは」
「ああ、七城の娘の話に乗って娘を逃がした……いや、日に日にあの子の表情が曇っていくのを見てられなくなって私が逃げただけだ。私は父親としても魔術師としても失格だ」
「魔術師としては俺には分かりませんが、父親失格なんて天音さんはそう思ってないと思いますが」
葉月は笑う。
「そうなのか?」
「天音さんが俺に魔術を見せてくれた時、凄く楽しそうでした。それって天音さんの中では魔術は辛いものではなくって、家族との楽しい思い出だったんだと思います」
「ああ、君がそう言うなら、そうなのかもな」
何かを思い出したかのように、蓮光が微笑む。
「だから九法さん。これからも父親として天音さんを支えてあげてください。それに父親失格なんて、天音さんの前では絶対に言わないでください。天音さんにとって父親は一人しかいないんですから」
「そうだな。だが、私だけだと心配だ。君にも手伝って貰えないだろうか? 九法の後継者争いの勝者である君に」
蓮光は笑う。
「俺で良ければ喜んで手伝います。天音さんにも約束しましたから」
「ああ、よろしく頼むよ」
それだけ言って、蓮光は部屋を出る。
葉月は再び瞼を閉じ、眠りに落ちていった。
次に目が覚めると、窓から日の光が差していた。
「あっ、起きました?」
ベッドの横の椅子に天音が座っていた。
「あぁ、おはよう」
「は、はい。おはようございます」
天音は何だかモジモジしている様に見える。
「どうかしたか?」
「いえ、昨夜……お父様が来ましたよね」
「あぁ、来たな」
葉月が頷くと天音は顔を真っ赤にする。
「何か言ってませんでした」
「天音をこれから頼むって……」
「……」
天音の顔面がポッンと赤なる。
「大丈夫か……?」
「へぇっ? 大丈夫です。それより葉月さんは何と答えたんですか?」
「こちらこそって、天音とも約束したし」
うんうんと頷く天音は満足そうだった。
「少し待っていてください。今、果物を剥きますから」
シャリシャリとナイフを器用に使い、天音は何かの皮を剥いていた。
「あのさ。天音」
「何ですか?」
「今、剥いてる物体は何だ?」
葉月はボーリングの玉ほどの大きさの果物を持っていた。
「メロンですけど? 葉月さんはメロンを知りませんか?」
不思議そうに首を傾げる。
「いや、知ってるけど、メロンってさぁ。そんな切り方だったか?」
「えっ? 違うんですか! テレビでパティシエさんがこんな感じに切っていた気がしたんですが……」
「あ~、そうなんだ。でも、それだと食べにくいよな」
「そう言われると、そうですね」
ケラケラ笑う天音を見て葉月も笑う。
天音から皮の剥かれたメロン玉を受け取った葉月は一口サイズに切り、フォークに刺して渡す。
「いただきます」
「美味しいか?」
「はい。甘くて美味しいです」
モグモグと幸せそうな天音を見てあらためて思う。
結局、葉月が頑張ったのは自分自身の為だったのだと
だって、今、この時間がこれほど幸せなのだから。
「葉月さん? ボーっとしてどうしたんですか? 葉月さんもどうぞ食べて下さい」
天音の方を見ると、フォークに刺したメロンを葉月の方に出していた。
「……」
「食べないんですか? 甘くて美味しいですよ」
食べないのではなく、恥ずかしくて食べる事が出来ないだけだ。
「フォークごとくれ」
「あっ、もしかしてまだ恥ずかしいんですか?」
「ぐっ……」
葉月が顔を真っ赤にし、後退ると天音とメロンを刺したフォークが追いかけてくる。
「ほら、美味しいですよ」
「いや、だから、自分で食べるって言ってるだろ……」
「そんな、遠慮しないでいいんですよ。ほんのお礼ですから」
天音が面白がってどんどんベッドに乗り上がってくる。
葉月はベッドの端に追いつめられていた。
「ふふっふ、さぁ、観念してください」
葉月は諦めて、口を開ける。
フォークが葉月の口に入りそうになった瞬間、ノックもせず病室の扉が開いた。
「ツッキー、お見舞いに来てやったぜ」
「昨日は夜分にすまなかったな。霧島君」
入って来たのはリリーと蓮光。
「「……」」
時間が凍てついた様な、沈黙が部屋を包む。
天音が悲鳴にならない声を上げ、葉月のベッドから降りようとするがシーツで手を滑らせた。
倒れかかる天音を咄嗟に抱きかかえた為、二人は病院のベッドの上で抱き合う形になってしまった。
「ツッキー。病院でなんてやるねぇ」
リリーは親指を立てて、ウィンクしているからいいが
「……霧島君」
「……」
その後ろの蓮光は見る見るうちに顔を真っ赤にして、怒りが露わになっていく。
「……君は私の娘に何をしているのかな」
「いや、これは、事故で」
返事をしようとする葉月の声は、まるで自分で喋っていると思えないものだった。
「君に頼むとは言ったが、いささか気が早過ぎではないか。霧島君」
「お、落ち着いてください。お父様。これは違うんです。誤解なんです。私が無理やり押し倒したと言いますか……」
天音が葉月のベッドから飛び降り蓮光を説得しようとしたが、蓮光の手には呪符が握られていた。
それを見た天音の言葉がどんどん支離滅裂になっていく。
「言い訳はこの男を始末した後で聞いてやる!」
瞬間、蓮光の身体が輝いた。
病室の窓からは、今日も青空が広がっている。
二人に抑えられる蓮光の姿を見て葉月は笑うのだった。
平和だなと
魔法使いになった事に感謝しながら




