序章 出会い
夜空には月が見えていた。
時刻はすでに十一時を回り日付が変わろうとしている。
路地裏で少女はビルに背を預け座り、ただ星空を見上げていた。空腹と疲労で身体は指一本どころか、呼吸することさえ苦痛でしかなかった。十二月も半ばに近づくと気温は下がり、かなり冷える。
どこか寝る所を確保しないと身体がもたない。頭では理解しているが、身体が動いてくれない。
約一ヶ月に及ぶ逃亡生活は、まだ幼き少女には過酷過ぎた。体力も精神力、魔力も限界だ。
チリン
物音が聞こえたと思い振り向く。そこには鈴の付いた首輪を付けた三毛猫が少女を見ていた。
「あなたも一人ですか?」
近づいて来た三毛猫の喉を撫でると気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。
擦り寄ってくる三毛猫を抱き上げると、冷えきった身体に三毛猫の温もりが伝わってくる。
不意に涙が込み上げてくる。
「……おーい」
声が聞こえた気がした。
「えっ?」
もう見つかった?
そんなはずはない。
決して気づかれないよう、気配を消している少女の存在に簡単に気づくはずがない。
「おかしいな……この辺に逃げたはずなんだけどなぁ」
だが、声の主は誰かを探しているようだった。
少女の心臓が速度を上げ鼓動する。
動く気力のない少女には、ゴミ箱の陰に隠れて人影が通り過ぎるのを待つ以外に選択肢はなかった。
人影は周囲を見回しながらゆっくりと近づいてくる。
ニャーと抱えていた三毛猫が鳴いた。
「そこか!」
「きゃ!」
人影が伸ばした手が、少女の腕をしっかりと掴んだ。
「へぇっ? うをぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」
人影が大声を上げて、後方に素っ転んだ。
転んだ拍子にゴミ箱を盛大にひっくり返し、生ごみが散乱する。
「……」
驚き損なってしまった少女は無言で、アスファルトに後頭部をぶつけ転げ回る人影を見つめた。
「あいたたたた……」
「えっと……大丈夫ですか?」
苦悶する人影に、少女はつい声をかけていた。
「あぁ、気にしないで大丈夫だ。コブは……出来そうだけどな」
人影がヒョイと跳ね起きる。そこでやっと顔が見えた。
「ひっ!」
少女は思わず驚いてしまった。人影の顔が恐ろしく怖かった。
身長は高く百八十cm以上、短めの黒髪は軽く逆立ち、極悪な顔立ち。右の頬から首に向かって一条の傷があり、さらに威圧感を増しているのだが……バナナの皮が頭に乗っていて台無しだ。
「うをぉ、悪い。ゴミがかかったよな。それにいきなり掴んじまって怖かったよな」
全身ゴミまみれの少女の姿を見た強面の少年はみっともないくらいに大袈裟に慌てていた。そんな反応を見ていると、見た目の怖さが緩和された気がした。
「あははっは、いいですよ。どちらにしても汚れていましたので、それより何を探していたんですか?」
少女は力なく笑う。
「あぁ。その猫」
少年は少女の腕の中で大人しくしている三毛猫を指さす。
「この子?」
「多分……その猫だと思うんだが……確証はない」
少年が三毛猫の首を掴み確認する。
「どうですか?」
「あぁ~、違うな……」
ガクっと肩を落とす少年。
「そうですか……貴方の飼い猫なんですか?」
探しているのだから当然だろうとは思ったが、気を落とす少年にかける言葉がみつからなかった。
「いや、三丁目の幸太の飼い猫」
「ん? えっと、貴方の飼い猫ではないんですか?」
「違うぞ。探して欲しいって頼まれたから追いかけてきただけだな」
「……頼まれたから? 友達ですか?」
少女がポカーンとした顔をしている。
「いや、友達じゃないな。依頼者だな」
「依頼者……ですか?」
「依頼されれば出来る範囲の事を手伝う、何でも屋みたいな感じの事をやってるんだよ。だから、」
頬の傷を掻きながら少年は一呼吸おいて、続ける。
「お前も困ってるんだったら。何か依頼するか?」
「いえ、それは……」
少女は答えない。
いや、答えられないでいた。
「あっ、金だったら気にしなくていいぞ。放っておくほうが後から気になって帰ってから寝れない気がするし」
少年が少女に向かって手を差し出す。
「あ、ありがとうございます。でも、ごめんなさい……私なんかと関わらない方がいいです」
差し出された少年の手を握ってはいけない。
掴んでしまったら、目の前の少年を不幸にしてしまうかもしれない。
だから、少女はゆっくりと立ち上がろうとする。
それなのに
「俺の事なんて気にしなくて大丈夫だぞ」
と、少年は手を引かない。
「……だ、大丈夫、ですか?」
「あぁ。なんせ、俺は魔術を使う魔法使いだからな」
魔法使い……?
でも魔術を使うと
少年は確かにそう言った。
一般人にしか見えない少年の口から……
「魔術……ですか? でも、魔力量が少ない気も……」
「ほっとけ、その辺は……それにお前、魔術師なんだろ」
「え? あ、はい」
急展開すぎて頭が混乱しているのだろう。素直に答えてしまった。
「なっ、同業者なら問題ないだろ。ほら」
「……」
差し出された手を少女は見つめる。
「さっさと行くぞ。こんな所にいたら風邪ひくし、それにお互い臭いぞ」
少しだけ前に出してしまった少女の手を少年は強引に掴み引っ張り起こす。
強引に引っ張る少年の手は優しくて暖かかった。
「俺は葉月。霧島葉月。君は?」
「……天音です」
「天音だな。よろしく」




