8.お気に入り
調夢師と名乗った少女は、夢で初めて会ってから度々顔を出すようになった。
自分しかいない世界というのは静かでいいが、時折心細くなることもある。そこに唯一やって来る客を歓迎しないわけがなかった。
食べ物や飲み物は思い浮かべればいくらでも出てくるため、茶菓子などに不自由することもない。
少し前に現に戻ると言った少女が、いつ戻って来てもすぐにお茶会を始められるように準備をしている最中だった。
夢の世界とやらに来てからは時間というものがひどく曖昧だったが、少女は大抵同じくらいの間を空けてきていたように思う。
だが、この時は明らかにいつもよりも早かった。
「もう来たのか」
少し驚きはしたが、数少ない……どころか、たった一人の客人だ。遊びに来てくれるのは純粋に嬉しい。
「今、茶を入れよう。座っていてくれないか?」
まだテーブルクロスを敷いたばかりで何の準備も整っていない。
思い浮かべればすぐに出てくるとはいえ、現の感覚が抜けない私は調夢師と違ってきちんと厨房に行かないと物を取り出せなかった。
そのため、今の様に準備が終わっていない時は先に椅子に着いて待ってもらう。
ままごと遊びに付き合ってくれる彼女は自分で物を出すことなく、こくんと頷いて静かに座って待っていてくれる。
だが、一向に動く気配はなく、その場に立ったまま。
「どうした?」
おかしく思い訊ねてみるが、少女はじぃっとこちらを見つめてばかり。
はて、自分は気に障ることでもしただろうか?と首を傾げると、心の声を読める彼女はすぐさま首を振った。そして、ぽつりと呟くように言う。
「第二王女様、だったのですね」
訊ね口調ではなく、ただ事実確認のための言葉。
予想していなかった一言に驚いたが、いずれ知られる事は覚悟していた。
すぐに驚きを隠して、苦笑する。
「意外と早かったな」
もう少し正体がばれないまま共に過ごしてみたかったが、絶対に隠しておきたかったというわけでもない。
調夢師に知られたということは、国王にも現での私の状態が報告されているはず。もしかしたら、あの方の耳にも入っているかもしれない。
もしそうならば、好都合だ。……もっと掛かるかもしれないと思っていたのだから。
私が考えていることなど駄々漏れだろう。少女は顔を僅かに顰めた。
「遅いくらいです」
「そうか?ところで前みたいに敬語じゃなくてもいいんだが」
茶飲み友達のような関係を気に入っているため、敬語を使われるのは少々寂しい。
だが、少女は「王女様相手にとんでもない」と拒否をする。
「そんな大層な名前ではない。ここではただの夢の迷い人。身分など関係ないだろう」
ここは現ではないのだ。夢でくらい何の柵もない身でいさせてくれと頼むと、渋々と頷いた。
「……何とお呼びすれば」
今更何を、と思ったが、よくよく考えてみたら出会ってからずっと二人きりだった私達はお互いを名で呼んだことも必要性を感じたこともない。
完全に名乗るタイミングを逃していた。
「華月だ」
「華月様」
声に出して少女が確認するが、気に食わない。
「様はいらない」
わざと口を尖らせて言うと、「しかし……」と少女が眉を寄せる。
困らせたいわけではないが距離を置かれるより、無理やりでも引っ張ってしまった方がいい。彼女は押しに弱いようだし。
「身分は関係ないと先程言った。それに、私は貴女より年下だが?」
「実年齢はわたしよりも上だったかと」
「さて、どうだったか」
冷え冷えとした少女の声にちくりと刺されたが、惚けて見せる。
夢の世界では幼い身なりをしているが、現の私は結婚適齢期ギリギリの年齢だ。
少女の年齢を知らないため上か下かわからないが、見た目通りならば彼女の方が下だろう。
「……わかった。華月、これでいい?」
こちらをじとっとした目で見ていた少女だったが、こちらが引く気が無いことをわからないはずがない。
最終的にはため息一つ吐いて折れた。
思わず笑みがこぼれる。微笑ましさと、嬉しさから。
「貴女は優しいな」
自然と声に出ていた言葉は本人によって否定された。
「そんなことない」
我が儘を通してもらった上に笑ってしまったのだから、不機嫌になられても仕方がない。
だが、どこまでお人好しなのか彼女はただ困ったような顔をするだけ。
こんな自分好みな人間、気に入るなと言う方が無理だ。
「名前はなんという?」
普通に訊ねたつもりだったのだが「……?」と不思議そうな顔をされてしまう。
何かおかしな所でもあっただろうか、とこちらも首を傾げて見せると、何かを思いついたように少女は言った。
「調夢師」
「それは肩書きだろう」
どこかずれた返答をされ、即座に突っ込んでしまう。
個人の名前を訊いているのであって、職業名を知りたいわけではない。そもそも、それは初めて会ったときに既に聞いている。
「これ以外、名乗れない」
困ったように少女は眉を下げて言った。
彼女が名を名乗れないというのは、調夢師という特殊な職業によるものなのかもしれない。
それを思いついてしまった私は引き下がるしかなかった。
調夢師という人物がいることは知っているが、実際にどんな仕事をしているのかは何も知らないのだ。規則を破って罰せられる事があったら大変である。さすがにそこまで横暴になるつもりはない。
「なら、仕方がないか」
残念だと思うがこの場では諦めるしかないだろう。
ほっとしたような顔をする少女を見て、引き際を間違っていなかったことにこちらも安堵した。
話に一区切りつくと唐突に見えてくるものがある。
「立ったまま話しするのもなんだ。いつも通りお茶しよう。準備するから待っていてくれ」
引き留められるかと思いきや、少女はこくんと頷くといつもと同じ席に座った。
準備中のテーブルを近場で摘んだ色鮮やかな花で彩り、紅茶と菓子を取りに調理場に急ぎ足で向かう。
どんな茶や菓子が好きだろうか。
庭で待っている少女の好みと、現に居るあの子を思い浮かべながら歩む足は、いつの間にかゆっくりになっていた。