5.記憶の夢
自分がどうしてここにいるのかわからない。
そこかしこにある家具や小物は確かに自分のものであった。しかし、懐かしく感じるそれらは、かつて使っていたものであり、現在ここにあるべきものではない。
はて、ここはどこだろうか。
うたた寝をしてしまい、目を覚ましてみればいつもと違う部屋の中。模様替えをしたのか、と思ったが、家具さえも動かす大がかりのものなら起きない筈がない。
使用人を呼んで説明を聞こうにも、眠る前にあったテーブルもその上にあった呼び鈴もなかった。
仕方がない。
部屋を出れば誰かしらいるだろう。
そう思って腰かけている椅子から立ち上がろうとした。
だが……
「うわっ……!」
勢いがついたせいで、揺り椅子が強く揺れる。バランスを崩してそのまま椅子に座るはめになった。
おかしな事だ。今の自分は椅子に座っても足がついている筈なのに。
だが事実、足を動かしてみると床につかずにゆらゆらと空中をかいている。
不意に目に入ったのは肘掛けにおかれた見慣れたものより明らかに小さい、子どもの手。この揺り椅子を使っていた頃の年齢に戻ったかのようだ。
「夢だろうか」
とてもおかしな現象は現実のものとは思えない。うたた寝してしまったのならば、今が夢の中での出来事でもおかしくないだろう。
自分の意識がはっきりしているのは些か不思議ではあるが。
けれど、これが夢ならば。幼い頃の記憶を反映した夢であるのならば、あの子に会えるかもしれない。
現実では会えぬ、あの子に。
そう思ったら、いてもたってもいられなかった。
今度はあまり揺れないように、ゆっくりと椅子から降りる。現在地を与えられた自室だと仮定すると、壁を挟んだすぐ隣にあの子がいるはずだ。
「どんな子だっただろうか」
もう何年も会っていない。顔もうろ覚えだが、可愛かったはずだ。
白い柔らかな髪に、紅い瞳。まるで白兎のような色を持った珍しい子。だが、身体が弱く、すぐに体調を崩してはベットの住人になっていた。
記憶の中であの子がいるのはベットの上が圧倒的に多い。
隣の部屋へと続くドアに手をかけて期待とともにそれを引く。部屋の隅には見覚えのある幼児用の小さなベッド。
近寄って覗いてみたが、そこはもぬけの殻。
「いない……」
絶対に居ると思ったのに、と酷く落胆した。期待が大きかったのだ。
なら、他にあの子がいそうな場所はどこだろう。
ここでぐずぐずしているより行動した方が余程有意義だ。思い付く限り、ドアをくぐって様々な場所を探した。
子供部屋にも、リビングにも、キッチンにも、風呂場にも、あの子の母親の私室にも、建物と草木に囲まれた庭にも……
最終的に自室に戻ってきたがどこにもいない。
会いたいあの子どころか、誰一人としてここにはいなかった。記憶を見返しているのだとばかり思っていたため、これは予想外だ。
「どうしたものか」
いや、どうしようもないのだが。
自問自答をしながら、最初に座っていた揺り椅子に腰かけた。
いつ覚めるともわからない、記憶を模しただけの夢の中。一人というのは嫌いではないが、心細くないと言ったら嘘になる。
なんとなく椅子を揺らしながら考えに耽っているとノックの音が聞こえた。
コンコンコン―……
自分以外が誰もいないはずの場所で、突然鳴ったノック。
ホラーではないというのなら、何だというのだ。
驚きつつもノックした何かをむやみ刺激しないように、叫びそうになった口を閉じて声を殺す。そして、何が起きてもいいように揺り椅子からすぐに立ち上がれるよう準備する。
じっと音の鳴ったドアを見ていると、キィ……と不気味な音と共にドアが開かれた。
現れたのは、記憶の中にはいない知らない少女だった。
「誰だ……?」
「調夢師」
所詮、夢の中でのこと。いぶかしみながらも、返事など期待していなかったのだが、きちんと返された言葉に驚いた。
調夢師といえば、存在はするが現実で見かけることは滅多にない、という人物であり、職業の名前だ。
そんな貴重な存在がどうして自分の夢に現れたのか、不思議でならない。
もしかしたら、これも自分が生み出したモノなのだろうか。本人が実際に出てくるよりも、現実的な意見のような気がする。
「あなたの妄想じゃ、ない。本物」
見知らぬ少女が初めて自ら話したと思えば、そんなこと。
口に出してしまっていただろうか、と思わず手を口に当てると「違う」と少女は首を横に振った。
「喋ってはいなかった。聞こえただけ」
心の声が聞こえるということだろうか。
どこまでも非現実的なことだが、たった今考えを読まれた側としては信じられないという感想は浮かばない。だが、なんとも言えない気分だ。
「それは便利なようで、少々不便そうだな」
意図せずに、相手の思考が読めるというのは、読む側に負担がかかりそうだ。
「便利でも、不便でもない」
少女はふるふると首を振って答える。
「ここでは当たり前の事だから、負担と思ったことがない」
「だが、聞こえるのは良い言葉ばかりではないだろう」
「調夢師は元々、嫌われモノだから」
悪意を向けられること自体が普通なのだと、少女は怒るでもなく悲しむでもなく、ただ淡々と話した。
自分だったらどうだろうか。
想像してみるが、ロクでもないことしか浮かばない。悪意を向けてきた相手を、片っ端から潰していきそうだ。物理的にも精神的にも。
「恐いことは嫌い……」
思考を読んでしまったのだろう。少女の顔は青ざめていた。
「悪い悪い。……ところで、調夢師とやらである貴女が、ここに来た理由はなんだ?」
あからさまな話題の変更に苦笑しつつも、少女は素直に話し出す。
「夢の世界に来た人を探しに」