4.弟
母上が帰ってきたらしい。
夢の中でぼんやりとしていた俺は、夢月の呼び掛けに応え現で目を覚ました。
目の前にはいつもと同じく彼女がいる。
「おはようございます、優月」
そう言ってほほ笑む彼女を見て、自然と笑みを浮かべながら言葉を返す。
「おはよう、夢月」
手を伸ばすと、気が付いた夢月も手を伸ばし、お互い繋ぐと引っ張り上げてくれた。
思ったよりも力があるな、と感心しつつ、僅かな焦りを覚えた。さすがに大切な人……それも女性よりも力が無いのは情けない。
体力が戻ったら、筋力トレーニングでもしようと頭の片隅に入れておく。
「あら、随分と長い眠りでしたね」
着替えを済ませ隣の部屋へ移ると、椅子に座って待っていた母がこちらを見て言った。一見、優しそうに微笑んでいるが、性格を知っている身としてはただ笑っている顔だとは思えない。
これはこれは、相当ご立腹……かな。
後ろに何か立ち上っているような錯覚が起きた。気のせいだと、自分に言い聞かせる。
「夢月に聞きました、三日で済んだそうで……」
「えぇ、三日もかかったようですね」
わざと強調して言うのは嫌味を含んでいるためだろう。
夢月もそうだと言わんばかりに首を縦に振っている。二人がかりのお説教はやめていただきたい。ただでさえ、一人を相手にするのも大変なのだ。それが二人分となると、俺の言葉は余程の事が無い限り聞いてもらえないだろう。
自分が悪いのはわかっているので、この状況に甘んじるが。
「まったく、学習しませんのね。何度目だと思っているのですか」
「何度もやっているのだからそろそろ慣れてもいい頃では……」
「そのいらない事ばかりを言う口は縫ってしまいましょうか」
少し恐ろしいことを言われたため、完全に口を閉じる。
この母ならばやりかねないところが、また恐い。ちくりと刺されたという証言は上がってきているのだ。
確かに心配かけただろうとは思うけれど、母も夢月も少しばかり過保護ではないだろうか。
そんなことを考えたのがいけなかったらしい。
「もう一度、眠らせてあげましょうか」
笑顔のまま言われた。
まだ永い眠りにつきたいわけではないため、遠慮します。「残念ですね」とか言わないでいただきたい。面白くなさそうな顔もやめてください。
貴女の場合、嘘か本当かわかりかねるから。
「まぁ、戯れはこれくらいにしておきましょうか」
一瞬で雰囲気を変えて言うが、先程放たれた殺気は戯れには程遠い気がする。
絶対に、半分以上は本気だった。
「優月、これだけは覚えておきなさいな」
折角話が変わると思いきや、まだ続きがあった模様。自分にとってこんなに重苦しい話はさっさと終わらせたいのに。
やけに真剣そうな顔で言う母の瞳は冷たい。
「あなたがいなくなってしまったら、その原因全てを許しませんからね。同じように……いえ、それ以上の目に合っていただきます」
とてもいい笑顔なのに、その台詞のせいで台無しである。
「大丈夫ですよ、出来るだけ危ない橋は渡らないようにはしていますから」
と、言ってはみるものの信じてはもらえないだろう。実際、数時間前まで、その危ない橋を渡っていたのだから。
当たり前と言うか、信用ならない目で見られたが気にしたら負けだ。
「雪月様」
夢月に名前を呼ばれた母は、諦めたようにはぁと溜め息一つ吐いた。
「仕方がないといえば、仕方がありませんね」
そう言って笑う姿からは先程のような刺々しい感じはしない。言葉通り、仕方がないと苦笑しているようだった。
「ご心配お掛けして申し訳ございませんでした」
一区切りがつきそうだったため、謝罪を口にする。今の調子だと受け入れてくれるだろう。
予想通り、優しく微笑んで頷いてくださった。「お気を付けくださいな」と釘を刺すことは忘れてはくれなかったが。
「そうです、言い忘れるところでした」
さも今思い出しましたと言うように、母が両手を合わせながらそんなことを言う。
何故か嫌な予感がした。
「来月辺り、あなたに弟か妹ができますから」
「弟ですよ」
「あら、知っているのですね」
「えぇ、まぁ……」
会ってきたのはその子ですしね。
「なら、詳しい説明は省きますね。産まれたら、あなたが幼い頃使っていた部屋を使うので、片付けておいてくださいね」
にこやかに話すその表情に惑わされてはいけない。今この御方はなんと言っただろうか。
片付けることに否を唱えるつもりはない。だが、俺が幼い頃に使っていた部屋を新しく生まれる子が使う?
「……母上」
「はい?」
「どういうことですか」
察しはついているが、もしかしたら勘違いかもしれない。
そう信じて聞き返したが、母は惚ける。
「え?あなた、知っていると言ったではありませんか」
絶対わかっているだろうに、さも意外とばかりに目を大きくして言うのだ。
白々しいにも程がある。
ここでつっこむのは簡単だが、のらりくらりとかわされてしまう恐れがあるため、下手に出て様子を伺う。
「いえ、どうやら俺が知らない内に色々と話が進んでいるようなので詳しく説明をお願いしたく……」
「仕方がありませんね……」
そう言った母はダメな子に呆れた表情を向けているかのようだった。
「来月に王の御子が産まれる予定なのだけれど、母となる方がとある事情から育てられないとなりまして、私が引き取ることにしました」
内容が内容なだけに一瞬言葉に詰まる。
母らしいのではあるのだが
「……それは」
俺の言いかけた言葉を遮り「王は知っておいでですよ」と落ち着いた様子で母が言う。
確かにそこも大切でしょう。なにせ、王の御子であるわけですし。
しかし、言いたいことはそれではなく。
「いえ……、そうではなく」
「なんでしょう」
「母上、もしかして無理やり納得させたのでは……」
「子がいるというのに、育てる自身がないと言うのですもの。ならば、代わりにならないかもしれませんが、私が育てますから産んでくださいとお願いしただけです」
こちらが躊躇いがちに口を開くのに対して、早口で言い切られてしまった。後ろめたい気持ちが少なからずあるのだろう。
自分でも仕出かしてしまったことの大きさがわかっているのはいいことだが、潔すぎではないだろうか。
俺はため息を吐いて、釘を刺すことしかできない。
これでは先程と逆だ。
「……母上のお願いは命令になるという事をお忘れなく」
「失礼ですよ。もちろん覚えています」
「確信犯も十分よくないことですからね」
それには返事をせず、母は夢月の方を向いた。
「夢月、よくみてあげてくださいね」
優しい声音で促された言葉に「はい」と夢月の声が返る。
上手く逸らしたな……と一瞬ジト目で母を見たものの、話の内容が無視できるものでもなく、驚いて椅子から立ち上がってしまった。
「ちょっと待ってください!なんで夢月に」
引き取ることを望んだ母、もしくは使用人が、生まれてくる子の面倒を見たり育てたりするのが妥当だろう。探せば子育て経験者はたくさんいるだろうに……
なぜ、俺と変わらない子どもである彼女に頼むのだ!
「もちろん、乳母や別の世話係をつける予定ですし、私も育てます」
「それなら、わざわざ夢月に面倒をみさせなくても……!」
「良いではありませんか。こういうのは経験も必要ですよ」
母が言うことにも一理ある。
夢月だってゆくゆくは伴侶をとり、子をなし、産み、育てることになるだろう。先の長い話のようであるが、赤子に触れ合うことに慣れるのは悪くない。
自分よりも年下の者との接し方を覚える良い機会でもある。
だが、しかし
「俺に対しての嫌がらせのくせに」
体の良い言葉を並べたところで、結局はそういうことだ。
聞こえているだろうに、聞こえないフリをして「なにか?」と訊ねてくる母には「いいえ、なんでもありません」と無難に返事をする。
夢月にちらりと視線をやると、なんだか嬉しそうな顔をしていたため複雑な感情を抱いたが、彼女が弟の存在を少しでも楽しみにしているのなら良いだろう。
これからの事を考えた俺は、小さくため息を吐いた。