3.お説教
私の子が居なくなった。
いえ、正しくは自分のお部屋にいるのです。ただ、現からいなくなってしまっただけで。
それが一番の問題なのですけどね。
「夢月、私の愚息はまた夢の住人になっているのでしょうか」
ベッドで静かに寝ている息子の横から決して離れようとしない少女に声をかける。
本人の顔を隠してしまう長い髪は、艶のある美しい黒。こちらを向いたことによって現れた瞳は一見髪と同じ色だけど、光加減によって青にもなる不思議な色を持っている。
「……いいえ、雪月様。今回は少し違うようです」
緩く首を振る彼女は私から目を逸らさずに、淡々と説明しだした。
曰く、夢は夢でも生死の間の場所にいるとか。
こうして身体があり、息をしているのを見ているとそんな危ない場所に居るようには思えない。けれど、彼女が言うからには本当なのでしょう。嘘をつく理由がないもの。
「なんて、馬鹿なことを……」
我が息子ながらなんて愚かなことをしているのかしら。そんなに死にたいのなら、言ってくだされば私が殺ってあげますのに。
私の考えたことがわかったのか、夢月が慌てて弁解し始めた。
「雪月様、優月はどうやら理由があってその場所にいるようなのです。決して、彼がそれを望んでそちらに行こうとしたのではなく……」
あぁ、この子はかわいい。こんなに一生懸命になって愚息を庇おうとするなんて。
普段から、話をすることは苦手なのに、あの子のことになると途端に饒舌になるのですから。愚息と交換したいくらいだわ。どうしてこの子を私が授からなかったのでしょう。
まだ頑張って言葉を並べている彼女の肩ぽんぽんと軽く叩いて微笑むと、一瞬安心した顔をした。本当、愛らしいですこと。
「大丈夫ですよ。本当に望んでいるのならもちろんやってあげますけれど、違うなら無理やりどうこうしようなんて思っていませんわ」
「や、やるって……」
「もちろん、息の根を止めることですよ」
どうやら怖がらせてしまったらしい。夢月が涙目になってしまっている。
泣き顔もまた可愛らしいから困るのよね。もっと泣かせたくな……あら、私としたことが。こんないたいけな少女を泣かせたいだなんていけないわ。
「そんな顔しないで」
そっと頬を撫でながら、安心させるように笑って見せた。
怯えていたのは見なかったことにしましょう。
「あの子が望まない限りは殺らないと約束しますわ」
「……望めばやってしまうのですね」
どんよりとした雲を抱えてしまった夢月。どうやら間違ってしまったみたい。何がいけなかったのかしら?
とりあえず、このままでは話が進まないため、続きを促すことにした。
「優月はどうやら、引き留めているようでして……」
「何を?」
当たり前の疑問を投げかけると、夢月は逡巡したように目を逸らす。そんなに言い難いことなのかしら。
夢月、と名を呼んでこちらを向いた時ににこりと笑ってあげると、また泣きそうな顔になってしまった。……そんなに私の笑顔は怖いのでしょうか。
渋々、といった感じで口に出したのはとても信じられない事だった。
「雪月様!」
滅多に大声を上げない夢月が、珍しく大きな声で私を呼ぶけれど、生憎と振り向いてあげることはできない。
「少し、お説教をしにいってきます。夢月、後はお願いしますね。出来れば二人とも連れ帰って来てくださいな」
かしこまりました、という言葉を背中で聞いて私は部屋を出た。
後宮の中でも殆んど人の住まわない端の部屋。
そこには今、子を身籠った一人の女性が住んでいる。元は貴族でも何でもない、たまたま後宮に入った下級貴族の方の侍女として共に来ただけの方でした。
しかし運が良いのか悪いのか、陛下の目に留まってしまったらしい。
「こんな所ではお身体に障るのではありませんか」
思わずそう言ってしまう程に、物静かな……いえ、とても不気味な場所。
日があまり入らず、空気の入れ替えもしていないのかじめっとしている。掃除が辛うじてされているだけいいと思えるかと問われれば、是とは答えられない。
少なくとも、陛下の子を授かった女性の部屋としてはおかしい。
だが、よくよく聞いてみると元はやはりそれなりの部屋を用意されたとか。しかし、階級社会での陰湿ないじめが酷かったらしく、どんどん場所を追いやられ、ここに辿り着いたと。
「馬鹿馬鹿しい」
侍女が聞いたという噂話を聞き、悪態をついてしまう。
階級云々の前に、陛下の子を身籠った時点でそれなりの権限はあるというのに。いくら貴族ではないとはいえ、それらが理由で子が流れてしまいました、なんて話があってはいけない。
今まさに、そんな状況になっているから思い腰を上げて行動しているのですけどね。
「お久しぶりですね。覚えていらっしゃいますか?」
私は後宮にいる者の殆んどと一度は顔を合わせている。
だから、そう言って部屋の主ににこりと笑って挨拶すれけども、何故か脅えさせてしまった。
今の笑みは何も込めた覚えがないのに、酷くありませんか。夢月の時もそうでしたが、私の笑顔は怖いのでしょうか。笑わない方がいいのかしら。
なんて考えている事はおくびにも顔を出さずに、彼女の言い分を聞いてみる。
曰く、こんな事は望んでなどなかった。元の生活に戻りたい。
「わたしは、お嬢様を裏切ってしまいました。こんな、罪の象徴であるコレを産みたくなどありません!いえ、きっと産んではいけないのです!どうか、どうか、お見逃しください、雪月様!」
正直言って、ヒステリックに叫ぶこの女性に同情の余地は無いなと思いました。
彼女は私にとって許せない事を言ってくださいましたから。
「思い上がりも甚だしい」
つい、声音が冷たくなってしまう。
先程まで聞こえていた甲高い声はピタリと止みました。
「望んでいないと言うのなら、裏切りなどしたくはなかったと言うのならば、なぜ陛下の希望に応えたのですか」
「そ、それはっ!」
まぁ、普通は出来ないでしょう。
この国では王の言葉には絶対服従というのが言われずと知れた常識ですしね。けれど、そんなに嫌だというのでしたら……もし、裏切りをしたくないのなら一つだけ確実な方法があったはずなのです。
「自害でもなさればよかったでしょう」
部屋の空気が凍った気がした。きっと気のせいでしょう。
「結局あなたは、自分が可愛いだけではありませんか。本当に自分の主が大事だったらそれくらいやってみせてくださいませ。それで、周りに止められたのでしたら、仕方がありません。今の状況に私も納得いたしますわ」
けれど、彼女は逃げていただけ。全てを授かった尊いはずの御子のせいにして、自分の正当化を試みる醜い人。
御子を授かりたいと思っても、自分の子を腕に抱けない人だっているというのに。
「それと、御子には何の罪もございません。あるとすれば、貴女と陛下です」
御子を罪だというこの人を私は許せない。
女性が座っている椅子に近寄り、顎に指をかけると無理やりこちらを向かせる。顔は蒼白になり、その瞳には怯えしか見つからないけれど、そんなこと知ったことではない。
「いらないとおっしゃるのでしたら、私にくださいな」
顔を近づけた私は、わざと笑ってみせた。