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2.お目覚め

「おはようございます、優月(うづき)

 いつもいつも、目が覚めると必ず傍に人がいる。

 母でもなく使用人でもない“彼女”は俺が目覚める際には傍にいて、一番始めに挨拶を交わす。だから俺は、彼女が眠っている姿をほとんど見たことがない。

 黒曜石のような瞳は真っ直ぐとこちらを見つめていた。

「おはよう、夢月(むつき)

 そう返すと、どこかほっとしたように微笑む。

 本人に自覚は無いだろうが、たまに見せる笑顔は誰もが見惚れるほどに愛らしい。独り占めしてしまいたいと思うほどに。

 身内贔屓と言われるかもしれないが、これほどまでに裏の無い笑顔を見せる人間はここでは少ないのだから仕方がない。

「……怠いな」

 まだ怠さが抜けない身体。理由はわかっている。

 漏らした声が聞こえていたのだろう。彼女は笑顔を収めてしまった。

「当たり前です。自業自得」

 その視線はとてつもなく冷たい。

「どうしてそう無茶ばかりするのですか」

 自分にとってはたいしたことではなかったのだが、どうやら彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。

 たしかにやり過ぎたかもしれない、と思わなくも無い。彼女に怒られるだろうなという考えが頭の隅にあったのも確か。

 けれど、あの子を放っておくわけにもいかなかったのもまた事実。

 きっと彼女だってそれはわかっているだろう。

「俺は、何日寝ていた?」

「三日ほど」

 思ったよりも短く済んだものだ。それなのにこんなに怒っている理由は何だろうか。

 前に一週間眠ったままの時もあったのだから、まだマシな方だろうに。

「夢月、怖いよ」

 ため息交じりに言ってやると、彼女の頬がピクリと動く。

 もしかしてお説教でも始まるのだろか。などと考えていると、見る見るうちに夢月の顔が歪んでいった。

「……帰って来てくださって、よかった」

 あぁ、俺は馬鹿な事をしたのかもしれない。

「心配かけた」

 見ていられなくて、顔を逸らしてそれだけ言う。居心地が悪い。

 怒っているのではなく、心配で仕方がなかっただけのようだ。横目で確認すると、今にも泣きだしてしまいそうな顔が目に映った。

「夢月、おいで」

 呼ぶと警戒もせずに素直に寄ってくる。そんな彼女を抱き締めた。

 小刻みに震えている身体を宥めるように、頭を撫でてやる。あまり変わらない体格のせいで、彼女一人包み込んでやることが出来ないのが悔しい。

 けれど、精一杯伸ばした腕の中で、震えが次第に収まっていくのを感じた。

「あなた方は、もう少しご自愛ください」

()というのは?」

 訊ねてみると、夢月はずずっと鼻を啜った後に答えた。

雪月(ゆづき)様が……」

「あー……、なんとなくわかった」

 きっとあの人の事だ。自分がこうやって眠りについた原因を探し、それを取り払うために動いているのだろうと推測する。

 きっと、俺の節介な性格はあの人譲りだ。

 個人的には悪いと思わないが、周りからすればいい迷惑だろう。ただでさえ、あの人に逆らえる人はいないというのに、無理を通してしまうのだから。

「一応、何をなさろうとしているか教えてくれないか」

 何をしているのかは予想が付いているが、実際に何を成そうとしているかまではわからない。予測が付かない事を平然とこなしてくれる人だからな。

「私も詳しく知らされていないのですが」

 と一言断ってから夢月が話してくれた。

 曰く、もう少しで臨月の女性の元に向かったらしい。そして、ちょっとしたお説教をしてくるとのこと。それ以外は何も教えられていないため、どのようなお説教をするかまではわからないらしい。

 夢月を連れていかなかったということは、(うつつ)で直接対決といったところだろうか。

 勝敗は既に見えてはいるが。

「説教とは、母上らしい」

 ついつい零してしまった笑い声。それを聞きとがめた夢月が眉を顰める。

「笑い事ではありません」

「そうだな。これで一人……いや、二人の今後が左右されるわけだ」

 思い出すのは数日前に自分の元へとやってきた子。まだ生まれてすらいない魂。

 何にも染まっていないはずのソレは、外に異常な程の恐怖を抱いていた。

「夢月」

「はい」

「あの子は、産まれてくるだろうか」

 母体から出ていきたくないと、このまま居なくなりたいと願っていたあの男の子は果たしてどうなってしまうだろうか。通常ならば、あのまま流れていただろう。

 だが、俺が出会ったことでそれまでの期間を少しばかり伸ばした。

 もしかしたら気が変わってくれるかもしれないと、期待したのだ。俺には相手の気持ちを変えさせることが出来なくても、彼女ならばきっと出来るだろうから、と。

 予想通り、夢月は俺を探しにあの場所まで来て、あの子にも希望を与えた。誰にも望まれていないと考えていたあの子は、一人でも待ってくれる人がいると保障されたお蔭で、その気持ちは随分変わったことだろう。

 いくら子が生きたいと願っても、母体をどうにかしてやらない限りどうしようもない話ではあるのだが。

 希望を持たせておいて、結局は見えない底へ落としてしまう可能性もゼロではない。

「あの子は大丈夫です」

 しっかりと頷くが、絶対に産まれてくると彼女は言わない。

 大丈夫と言うのは、きっと違う意味だ。かの魂は失われることはない、というだけ。生まれてくるかどうかの確証は彼女でも得られない。

「俺をお兄さまと呼んだんだ」

「はい。呼んでいましたね」

「寂しいから、一緒に来てほしいって」

「……」

「たぶん、死ぬつもりだったんだろうな。まだ腹の中からも出てきていないのに」

 世界を自分の目で見たことがないのに。

 母体が弱い人間なのだろう。だから、負の感情が子の方へ届いてしまった。子が産まれようとあがいても、産む人間にその意思がなければ叶わない。子を流す方法などいくらでもあるのだから。

 最悪、自害してしまえば、否応なく無理心中されてしまう。

「余計な事をしただろうか」

 今からすでに疎まれているのならば、産まれてからも同じ状況にならないとは限らない。

 自己満足で助けた気持ちになっている自分はどれだけ最低な人間か。

「けれど、あの子に産まれてきてほしいと願ったのでしょう」

 それなのに自己嫌悪に浸るなど勝手だ、と夢月は指摘する。

「あぁ」

 確かにそうだ。反論なんかできやしない。だから、頷くだけ頷いておいた。

 彼女に巻き付けていた腕を放し、また布団の上に転がる。寝たきりだった身体は本調子ではなく、まだ動かすには重い。

「優月……?」

「寝る。母上が帰ってきたら起こしてくれ」

「はい」

 彼女から返事が返ってきたのを確認してから目を閉じる。すぐにも眠ってしまいそうだった。

 けれど「うづき」控えめに呼ばれた名前に「んー?」とうつらうつらしながら応える。

「おかえりなさい」

 その優しく暖かい声と言葉に、目を開けていないことを後悔した。今ならきっと、愛らしい微笑みを見ることができたのに。

「ただいま」

 睡魔に勝てない自分は、その言葉が言えることに安堵しながら、眠りについた。

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