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19.名前

 差し出されたのは自分と同じくらいの大きさの手。

 僅かばかり震えているその手をじっと見ていたが、それを取りもせずに寝転がった。

「やだ」

 ただそれだけ言って、また目を閉じる。

 素っ気ない態度を取ったという自覚はある。こうすれば、勝手にいなくなってくれると思ったのだ。

 しかし、予想に反して少女はその場に留まった。

「そんなこと言わないで……」

 袖を引っ張ってくるが、無反応を付き通す。

 控え目ではあるが主張してくる彼女は、それでもずっと引っ張り続けた。

 つんつんっと細かく、ぐいっと時に強引に、服が伸びるのではないかと思う程ぐっと力を入れて……。

「いい加減はなせ」

 さすがに煩わしくなり文句を言うと、少女は驚いたようにぱっと手を離した。

「あ、ごめんなさい」

 明らかに沈んだ声に、幾らか良心が刺激される。

 重たい瞼を持ち上げると、予想通り肩を落とし、顔を俯けている少女の姿が目に入った。

「放っておいてくれていいのに」

 身体を起こしため息交じりに言うと、少女は首を横に振る。

「やだ」

「やだって……」

 言われても、な。

 先程自分が言ったものと同じ言葉が返って来て、どうしたものかと悩む。

 そもそも、何もないこの場所で、どうやって遊ぶと言うのだ。

「ここは何も無いけど……その分、自由に遊べる」

 まるで心を読んだかのようなタイミング。

 いつの間にか顔を上げていた少女は「こうするの」と言って両方の手のひらを上に向け、何かを差し出すように手前に付きだした。

 すると、何もなかった手にはいつの間にかウサギのぬいぐるみが乗っている。

 突拍子も無いことに目をパチクリさせた自分と違い、少女はウサギのぬいぐるみを抱き締めてにっこり笑った。

「あなたと一緒」

 腕に抱かれたウサギをよくよく見ると、確かに自分と同じ色彩の縫いぐるみだ。白地の布に真っ赤な瞳を持ったウサギのぬいぐるみ。

「かわいいでしょう」

 少し誇らしげに少女が言うが、一緒と言われた後にその言葉は複雑だ。

「可愛いっていわれても言われても嬉しくない」

「そっか……」

 しゅんとする少女と連動しているのか、ぴんと伸びていたウサギの耳も心なしか下がっていた。

 胸がもやもやする。

 自分の言動で少女を落ち込ませたことはわかっているが、言葉を撤回するつもりもない。

 とにかく話題を変えることにした。

「どうやったの、それ」

 たった一言。それだけで、少女は嬉しそうにこちらを見る。

「あのね、思い浮かべるの」

「思い浮かべる?」

「そう。こんなのが合ったら良いなって」

 少女が元気になったのはいい。しかし、期待に満ちたような顔をしてこちらを見つめるのはやめてくれ。

 訊いたからには実行すると当たり前のように思っているのだろう。

 なにせ、思い浮かべるだけでいいのだから特別な準備もいらない。彼女の言葉が本当なら今すぐに出来る。

 とはいえ、すぐに思い浮かぶほどの欲がなかった。

 あったらいいもの、か……。

 ちらりと少女を観察する。こちらに向けられたままの瞳は深い青色。髪はこの暗闇と同じ真っ黒だ。

 視線を下ろした先には、少女が抱いたままのウサギのぬいぐるみがある。

 そこでふと思った。

 少女と同じ色のウサギのぬいぐるみがあればいい。

 そう思った拍子に目の前に何かが現れ、慌ててソレを掴んだ。

「すごい。初めてなのに」

 少女がソレを見て嬉しそうに笑う。

 自分の手で握っているソレは、黒地に青い瞳が印象的なウサギのぬいぐるみだった。

「一緒」

「ん?」

 不思議そうに首を傾げる少女に「君の髪と瞳と同じ色」と言う。

 すると真ん丸に目を見開いて、まじまじと俺の手にあるウサギを見た。

「……こんな色なんだ」

 しみじみとした言葉に、今度はこちらが首を傾げる。

「知らなかったの?」

「……自分の姿を見たことがないから」

 鏡というものがあるのに、自分の姿を一度も見たことが無いなんて、そんなことがあるのだろうか。

 変なの。

 口に出さずに心の中で言ったのだが、少女に伝わってしまったらしい。

 怒ることも、悲しむこともせず、彼女はただ苦笑した。

「ねぇ、あなたの名前は?」

 不意の質問に「名前?」と最後の単語を繰り返してしまう。

 それに、少女は真剣な顔をして頷いた。

「うん、そう。あなたの名前」

 本来すぐに答えられるはずの質問だっただろう。しかし、この時の俺は少なくない時間を費やした。

 名前……何だっただろうか……。

 思い出せない。誰がその名を呼んでいただろう。どんな声でその人は、名を呼んでくれただろうか。

 遠い記憶を呼び覚ますような、不思議な感じだった。

「つき……いや……あ、うづき。優月だよ」

 そうだ、優月だ。母が、母だけがそう読んでくれた気がする。

「優しい月で、優月ね」

 そう言った少女はとても安堵した表情をしていた。

「君は?」

 訊ねると、少女は少し悩んだ素振りを見せた後に「調夢師」と答えた。

「ちょうむし?」

 それが彼女の名前なのだろうか。言ってはなんだが、奇妙な名前だ。

 可笑しな顔をしていたのだろう。少女は俺の顔を見てくすっと笑った。

「わたしの名前はないから……わたしたちの名前、かな」

「ふーん」

 わたしたち、ね。

 達とつくのなら、複数の人の呼び名であって、彼女の名前というわけではないのだろう。

 自分は名前を名乗ったのに、それは不公平ではないだろうか。

「君だけの名前は?」

 もう一度訊くが、少女は困ったような顔をして「ないの」と呟いた。

「……じゃぁ、僕が付ける」

「え?」

 突然の提案に……むしろ断言に、少女はキョトンとする。

 しかし、お構いなしに訊ねた。

「ちょうむしってどんな字を書くの?どんな意味なの?」

「えぇと、こんな字。ちょうは調べるとか、ととのえる。むは夢。しは先生とかの意味」

「へぇ……」

 空中に書かれた光る文字を見ながら、少女の言葉に耳を傾ける。

 優月、と名乗った時に「優しい月」と言った彼女なら、名の意味も分かるだろうかと思ったらその通りだった。自分と同じくらいの年頃に見えていたのに、勉強はずっと進んでいる。

 悔しいなと気持ちを今は置いといて、目の前に書かれた文字と自分が覚えている文字を思い出して組み合わせる。

 と言っても、知っているのは精々、自分の名前くらい。

 優、月、調、夢、師。さて、どれがいいだろうか。

 様々な組み合わせと、口にした時の音を確かめる。どうせならば、きちんとした名前をつけたいが、幼い自分にはこれらを組み合わせて作ることしか出来なかった。

 どれくらいかかったかはわからない。

 不安そうな顔で少女が見守る中、やっと納得できる音を口にする。

「……むつき」

「むつき?」

「そう。夢の月で夢月。お揃い」

 力強く頷いて見せると、少女はぽかんとした顔をした。

 駄目だっただろうか。

 気に入ってもらえなかっただろうか、と顔を俯けた。どんなリアクションをされるのかわからず、悪い事ばかりを考えて不安になる。

 しかし、急に覆いかぶさってきた何かによって、その考えは吹き飛んだ。

「えっ、うわっ!」

 油断していた俺は彼女を受け止めきれず、後ろに倒れてしまう。

 いきなり危ないじゃないか、と文句を言おうとしたが少女の顔を見てすぐに言葉を飲み込んだ。

「……ありがとう」

 涙を浮かべながら満面な笑みを浮かべる彼女に驚いて固まってしまう。

 どういたしまして、とそう返すのがやっとだった。

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