16.悩み事
自分よりも年下のこの子に話していいことではない。
そんなことはわかっていたけれど、誰かに聞いてほしくて仕方がなかった。
「私は間違っていたのでしょうか」
人払いをした私室に二人きり。紅茶とクッキーが置かれたテーブルを挟み、彼女と向かい合って座る。
独り言のような問いかけに、対面に座っている夢月はただ一言「わかりません」と答えた。
ですよね。
心の中で返事をし、自嘲する。
自分の息子と変わらない年頃の少女に、なんて質問をしているのだろうと思わずにはいられない。
それでも、そろそろ限界だった。
あの日、優月に言われた言葉はふとした時に思い出され、とてつもない不安を抱く。
外を嫌うような幼い子供、なんて自らを貶すようなことを言わせたくなかった。
守るつもりが傷つけていたのではないだろうかと悩み、次第に自責の念にかられ押しつぶされそうなっていた。
誰かに聞いてもらって、気持ちを吐きだしたい。
そう思った時に、まだ子供である夢月に頼ってしまったことは良くないが。
「ごめんなさいね。こんな話……」
自分よりも年若い子にするものではないのに。
不甲斐無さに泣けてくる。もちろん、涙なんて流すつもりはありませんけど。
夢月はじっとこちらを見たまま、ふるふると首を横に振った。
「気にしないでください。それと、こんな話、ではないです」
大切な話でしょう、と真剣な眼差しを向けてくる。
同じく真面目な顔を出来ればいいのだけれど、天の邪鬼な私は苦笑を返すしかなかった。
全てを笑って済まそうとする、嫌な人間ですね。
「けど……」
何か躊躇いがちに言いかけて止めた夢月は僅かに眉を寄せ、視線を落とした。
「夢月?」
名前を呼んで言葉の続きを促すと、少し間を置いてから話し始める。
「優月は守る側になりたいと言っていました。守られてきたから、守れるようになりたい、と」
そこまで言うと、また真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
どこか寂しげだけれど、嬉しそうに瞳を細めて。
「誰かのお蔭で自分がいる、自分も誰かのために何かしたい。という心を育めたことを間違いだとは思いません」
「……確かに、そういう面では良い子に育ってくれました」
身体はまだまだ貧弱ですけどね。
本人には言ってあげませんが、誇れる自慢の息子だと思っている。
「子の成長は本当に早い……。それに比べて私ときたら」
立派に育ってくれていることが嬉しいはずなのに、手放しで喜べない自分もいる。
子供の成長を喜べないのは親としてどうなのでしょうか。
ぼんやり考えながら紅茶を啜っていると、真面目な顔で夢月が断言した。
「雪月様は元から素敵な方です」
「ふふ、ありがとう」
固い口調だけれど、優しい言葉に笑みが零れる。
何の打算もなく純粋に慕ってくれていることが嬉しい。けれども、同時に負の感情も顔を出す。
この子に慕われる権利なんて、私たちにはないのに、と。
いずれ、この子を―……
「雪月様?」
何かを察したのか、夢月に名前を呼ばれてはっとする。
こんな事考えても仕方がありませんのに。
なんでもありませんよ、と笑って誤魔化した私は、半分ほど飲んだ紅茶のカップをテーブルに戻した。
行儀は悪いが両肘を付き、組んだ手に顔を乗せる。
「外を嫌う、幼い子供。本当にあの子はそうだったのでしょうか。たまに思うのです。私があの子の可能性を潰したのではないかと」
忙しいからと、あの子の為だから仕方がないと自分に言い訳をして、きちんと見てあげられなかったのではないか、と。
疎かにしたせいで罰が当たったのではないか、と。
当初は最善と思っていた方法も、後から思い返すと他のやり方もあったのではないかと、時折考えてしまう。
今更、どうしようもないことばかりですけどね。
「たまに、過去に戻ってやり直したくなります」
叶わないとわかっている望みを口にする。
人生とは一方通行で、戻ることなど出来ない。ただただ進んでいくだけ。だからこそ、悔いることの無いように一つ一つの選択肢を慎重に選ばなくてはいけない。
「なーんて、いずれにしても私はこうやって悩むのでしょうね」
暗い雰囲気を霧散させようと冗談めかして笑って言うが、その場を沈黙が支配した。
いつの間にか夢月は俯いていて、長い髪が顔を隠しているためどんな表情をしているのかわからない。
居た堪れない!
シリアスっぽい話をし出した自分が悪いけども、大分吐き出した今、この雰囲気は堪えます。えぇ、恥ずかしくなります。
こんな時、愚息なら「母上らしいですね」と生温かい目で見てくれるでしょうに。そしたら八つ当たり気味に話題変更できるのに、無言だと辛い。
だがそれ以上に、何も言わずに顔を伏せたままの夢月が心配だ。
「……でください」
「え?」
顔を俯かせたまま発せられた言葉は小さく、籠ってしまっていて上手く聞き取れない。
聞き返すと、夢月は見てわかるほどにぎゅっと身体に力を入れ縮こまり、更に顔を俯けた。
「そんなこと、言わないでください」
先程より幾分か大きくなった声は、僅かに震えている。
「わたしは、優月に雪月様に会って救われました。もし、あの出会いがなければ、今ここにいません」
ぽとりとこぼされた一粒の雫を見て、冗談半分で言った言葉で彼女をとても傷つけたことを知った。
過去をやり直せたら。
それは自らの行動を悔やんでの事ではあるが、過去を否定してしまったら今をも否定していることになる。
様々な事情が積み重なって今の関係があるのだ。
一つでも変えてしまったら、現在がどう変わっていたのかなんてわからない。
酷な話ではあるが、優月の幼い頃の一件がなければ“夢月”はここに居なかっただろう。存在していたかも危うい。
普段共にいると忘れがちだが、この子は“調夢師”なのだ。
本来はここに居ることも外に出ることも叶わず、厳重に城の奥に隠され、接する人物すら限られるような“世界にたった一人の調夢師”。
制限はあるものの、そんな彼女が一人の少女として生活出来ているのは、偶然が重なり合った結果だ。
「すみません」
落ち着いたらしい夢月が、静かな声で謝った。
感情を押し殺す事に長けている彼女が立ち直るのは早い。
「いいえ。謝らなくてはいけないのは私の方ですね。ごめんなさい」
本当は感受性豊かな子でしょうに。
我慢して……諦めを覚えて、自分の事になると事務的になる。それらは、調夢師として必要な事なのだと、あの方から聞いたことがある。
欲を持たないようにするためなのだと。
「いらっしゃい」
けど、私は調夢師ではなく、夢月が大切だ。
呼ばれた彼女はイスから立つと、素直に傍に来た。少ししゃがむように言い、私は座ったまま身体を抱き寄せる。
バランスを崩した夢月はそのまま私の方に倒れてきた。
「雪月様……?」
当惑したような声音だったがあえて気付かぬフリをして、その身体を抱き締める。
「貴女も大きくなりましたね」
こちらが驚くほどの速さで大人になろうとしている子供達。
もっと子供でいて欲しいのに、本人達はそれを望まず、周りもそうさせないだろう。
どうか、この子をお願い……
大切な友人だと言ってくださった貴女様との約束を、私は守れているでしょうか。
あの方と同じであって違う少女を抱き締めながら、そう心の中で問いかけた。