13.紫の花
様々な甘味がたくさん並んだ……いや、敷き詰められたテーブルを見て、物理的にも引いた。
甘いものが嫌いと言うわけではないが、さすがにこれは無い。見てるだけで腹いっぱいになる。
しかし、手をぎゅっと握られているせいで離れることは出来ない。
「もう少しくらい良いだろう?」
イスに座るように促されたが、さすがにそれは遠慮させていただく。
「心配している方々がいますから、早く現に戻りましょう」
「今まで良い子で居たんだ。最後くらい、我が儘を言わせておくれ」
服の裾を掴み、顔を見上げて言う姿は幼い子供の様。見た目というのは恐ろしい。庇護欲が僅かばかり湧いてきた。
言い分は何となくわかる。だが、あまり長引かせるわけにもいかないのが現状だ。
しかし、一つだけ気になった言葉があった。
「最後?」
とは、どういうことだろうか。事によっては、もう少し付き合おうかと思い始める。
「ん?言っていないのか」
「私は伝えていない」
キョトンとした顔をした王女様に、夢月は首を振って答えた。
母からは王女様が俺に会いたがっていることしか聞いていないため、一体なんの事だろうかと少々不安になってきた。
だが、それもすぐに杞憂に終わる。
「輿入れが決まっているんだ。政略結婚というやつだな」
なんてことはないような口調で王女様が言った。悲しそうでも、特段嬉しそうでもなく、淡々と当たり前の事として受け取っているようだ。
「それは、おめでとうございます」
「ありがとう」
社交辞令を口にすると、それは相手もわかっているだろうに嬉しそうに微笑む。子供のような無邪気なものではなく、子を慈しむ時の母を思い出す笑みだった。
生憎と、どうしてそんな顔をするのかわからない。弟である俺には、姉の記憶は無いのだから。
ちくりと痛んだ胸を隠すために、冷たく言う。
「それとこれとで何の関係が?」
「王女で居るうちに、我が儘をしておこうかと」
「……はた迷惑ではありますが、優しい我が儘ですね」
心配はかけるが、お金はかからない。国庫に負担をかける我が儘を言う者もいると聞くから、まだ良い方……とはいえないな。
運よく夢月が居るから良いものの、居なかった時の事を考えるとぞっとしない。
何も知らない王女様は「そうだろう」と胸張って言うが、無視をする。
「しかし、帰りましょう」
そうでなくては、夢月が現に帰れない。それは困る。
王女様はむくれ面をするが全く怖くない。幼い見た目と先入観がないせいか、母みたいに恥ずかしいからやめてくれとは思わなかった。
「少し見ない内に可愛くなくなったな……」
「男なので可愛くなくて良いです」
可愛いと言われても嬉しくない。
年頃というやつなので、可愛いと言われても反発心しかわかない。残念だが、気にしないでいられるほど余裕があるわけでないからな。
「まぁ、約束だからなぁ」
やっと諦めたらしい王女に、近くに寄れと手招きされる。
渋々近付くと、イスに立ち上がった王女様が俺の顔を両手で掴んで更に引き寄せ、額にそっとキスをした。
「あと数年もすれば、離宮にずっといる事も叶わなくなるだろう。外に出れば幼い頃のように、悪意に晒されることもあるだろう」
顔を合わせるように持ち上げられ、俺はされるがまま。
「だが、潰れてくれるなよ、愛しき弟よ」
真正面から力強い瞳に見つめられ、気圧されそうになった。
こういう時、自分は弱いなと思う。逃げたくなってしまうのだ。相手の気持ちを、同じぐらいの強さで受け取れない。
向けてくれる想いがありがたいものでも、強い視線が恐い。
「例え離れようとも、近くにいなくとも、私はお前の味方だ」
だが、頭を抱えて抱き締める腕を、懐かしいと思った。
「……と言っても、もうすぐ嫁ぐし、女の身だ。何もしてやれることは無いが」
最後にもう一度額に口付けし、顔から手を離した王女はそう言って苦笑する。
そんなことはない、なんて言葉は口に出来なかった。何かして欲しいと思わなければ、相手に何かしたいとも思えない。心の籠らない言葉は不要だろう。
「さて、調夢師、現に戻してくれるか?」
イスから降りた王女は、少し離れた場所で静かに佇んでいた夢月に向かって歩いて行く。
夢月はこくりと頷くと目を合わせる様にしゃがんだ。
小さな二つの手を取り、両手で包み込む彼女を王女は不思議そうに眺めている。
目が合った夢月は微笑み、自分の手と一緒に、包んでいた小さな手も開いた。
そこに現れたのは、王女の瞳と同じ色を纏った一輪の花。
「ほう、可愛い花だな」
嬉しさよりも驚きの方が勝つのか、感心したように言う。
しげしげと花を見つめている王女に、夢月は優しい声で語りかけた。
「お守り。もうあなたが夢で迷わないように。……それと、あなたは優月の味方と言ったけれど、あなたの味方もいるよ」
そこで一息ついてから、もう一度口を開いて言葉を紡ぐ。
「遠く離れていても、華月を想っている人もいるよ」
勢いよく顔を上げた王女は呆けたように夢月を見ていた。その視線から彼女は逃れようとせず、しっかりと見つめ返している。
「調夢師である貴女もか?」
試すような言葉にも一瞬の迷いなく、こくん、と頷いた。
「現では難しいけれど、華月がまた夢の世界に来たなら、その時はすぐに会いにくる」
彼女は必ず言葉通りに行動するだろう。出来ない事は口にしないから。
暫く呆けていた王女は俯くと、何かが琴線に触れたようでくすくすと小さく笑いだし、仕舞には堪え切れないといったように声を上げて笑った。
その様子に俺と夢月は驚いて、無言で見ていることしか出来ない。
ようやく笑いが収まったらしい王女は深呼吸してから、改めて夢月を見ると
「それはそれは……頼もしいな」
そう言って、綺麗な笑みを浮かべた。