12.夢の道
「優月」
誰かが名前を呼んだ。
声に反応してうっすらと目を開いてみるが、何が見えるわけでもなく相変わらず視界は黒一色に塗りつぶされている。
なんとなく声が聞こえた方へ顔を向けると、唯一暗闇に飲み込まれていない彼女がいた。
こちらに歩いて近付いてきた彼女は、目の前で立ち止まり、ストンとしゃがむ。
その姿をぼんやりと眺めていた。
差し出された手に、無意識に自分の手を乗せる。すると、寝転がっていたらしい俺は、起き上がるようにと引っ張られた。
抵抗することもせずに従い、繋いでいない方の手を身体の下に入れて起き上がる。
「夢、か……」
改めて周りを見回してみるが、どこもかしこも黒ばかり。地に足を付けたように立ち上がったが、これも思い込みでしかない。
真っ黒なこれが床でも地面でもなく、大きな穴なんて思った時にはいつまでも落ちる羽目になるのだから。
「正確には夢の世界へと続く道の途中」
訂正した夢月は、俺がしっかりと立っていることを確認すると、また手を引いた。
先導する彼女と手を繋いだまま、道なき道を歩く。
「来ないかと思ってた」
前を向いたまま呟かれた言葉に、現での会話を思い出した。
「母上にも言われたよ。嫌だと言われるかと思った、と」
こんな事で要らぬ心配をさせるほど、彼女たちにとって俺はまだまだ幼い子供らしい。
言葉で言わずとも思考を読める夢月にはお見通しだろう。一度足を止めてこちらを振り返った。
「守りたいだけ、だと思う」
子供扱いをしているわけではなく、ただそれだけだと大真面目な顔して彼女は言う。
大切にしてくれるのはありがたいが、それではいけない、という事くらい分かっているつもりだ。
真っ直ぐな瞳を見つめ返して、微笑む。純粋にその想いは嬉しいから。
けれど
「もう、守られているだけは嫌だな」
自分も大切な人達を守れるくらい強くありたいと思う。
母や夢月だけに負担をかけないように。
「好きだからやっているだけ」
負担だなんて思っていない、そんなこと考えなくてもいいと、困ったように眉を下げる夢月。
繋いでいない方の手で、そんな彼女の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「俺だって守られる側にずっといるのではなく、守る側に回りたい」
珍しく視線を逸らして俯いた夢月は、それ以上何も言わずに身体を反転させて歩き出した。
手を引かれ、俺も少し遅れて歩き始める。
機嫌を損ねてしまっただろうか、と不安になった心もきっと彼女には知られている。こればかりはどうしようもない。
少し下にある彼女の頭を眺めながら無言で暫く歩いていると、唐突に夢月が立ち止まった。
どうしたのだろうと前を向くと、目の前にあるのは何の変哲もないドア。
しかし、周囲に壁がないため空中に浮かんでいるようにも見えるそれを押し開けると、一気に光が広がり辺りを白色に包み込んだ。
あまりの眩しさに目をつむる。
瞼を閉じたままでも感じられる、刺すような光。落ち着いた頃に、ゆっくりと目を開け光に慣らす。
白かった視界はだんだんと色や形を認識し始めた。
「ここは……」
そして、見慣れた風景が広がっていることに一瞬、現に戻って来てしまったのかと思った。
外からこちらを隠すように並ぶ背の高い木々や、色鮮やかな花々はどれも見覚えがある。
同じ花などどこにでもあるだろうが、配置まで馴染みのある庭と同じだった。呆気にとられた俺は間抜けな顔をしていたと思う。
「調夢師か……?」
不意に子供のような高めの声が聞こえた。周囲を見回してみると、それらしき人物を見つける。
緩く波打ったシナモン色の髪を揺らし、こちらまで近寄ってきたその人は目の前で立ち止まり、顔を上に向けた。
「もしかして、貴方が優月か?」
気が強く見えた吊り目の瞳を大きく開いて、不思議そうにこちらを見ている。
紫苑の花のような紫の瞳に見つめられ、俺は……混乱していた。
どうしてここに子供がいるのだろうか。
姉にあたる第二王女に会いに来たはずなのに、それらしき姿は見当たらない。代わりに目の前でこちらを観察しているのは、俺達よりも小さな子供だ。
わかっているが、わかりたくない。
混乱して答えない俺の代わりに、夢月が頷くことで子供の言葉を肯定した。
「ほう、こんなに大きくなったのだな」
感心したように下から上まで眺め、満足そうに言う子供に不安しか浮かばない。
「誰……?」
そう訊いて何が悪いだろうか。
「ん?華月だ」
それが何だ?とでも言いたげにこちらを見る子供から若干視線を逸らして「……第二王女様です」と夢月が付け足した。
「小さくないか」
目の前の子供……もとい、第二王女は俺の胸くらいしか身長がない。当然、夢月よりも小さかった。
悪足掻きをしているのはわかっている。
だが、自分よりも小さな子供を見てすぐに姉だと思えるだろうか。否、俺には無理だ。
「夢だからな。現実だともっと大きいぞ?」
そうでなくては困る。今と同じ身長だったら驚きだ。
「王女殿下……」
「姉様と呼びなさい」
現に帰りましょう、と続けようとして遮られてしまった。
ただでさえ覚えがない姉という存在。さらに夢の中限定だろうと、自分よりも年下に見える少女を姉と呼ぶのに違和感を覚える。けど言わないと話が進みそうにない。
腹を括るしかなかった。
「……姉上で勘弁してください」
「ふむ、仕方がないか」
どうしても「姉様」と呼ばせたかったらしい。妥協してくれたが、少し不満気だ。
いやいや、気にしてはいけない。
己を奮い立たせ、本来の目的を果たそうと口を開く。
「さて、帰りましょうか」
「やだ」
「やだって……」
子供じゃあるまいし。いや、見た目は子供だが。
呆れていると、小さな手が俺の手を掴んで引っ張った。手を離させることも出来たが、仕方がなく引かれるままに付いて行く。
連れてこられた先にあったのは、紅茶やお菓子が並んだテーブルだった。