11.我が儘
夢月が仕事で居なくなってから三日目の朝。
母の私室に呼ばれて来てみれば、耳を疑うようなことを言われた。
「少し、調夢師の仕事を手伝ってきてくださいませんか?」
「正気ですか?」
思わずそう返してしまう事を許して欲しい。
俺が夢の世界に関わることを極端に嫌う母にしては、口調も言葉も軽すぎる。そもそも、夢月に仕事が舞い込んだ時も釘を刺された、というのにだ。
「失礼ですね。折角、夢月に会いに行ってもいいと言いましたのに」
ぷくっと頬を膨らませて言うが、可愛いと思えない。胡散臭さが増すだけです。
心の声が聞こえていたのか、じろりと睨まれたため僅かに視線を外した。口だけ微笑みの形を作るとかやめてほしいと切実に思う。
「普段、夢に籠るな、夢月の邪魔をするなという母上の言葉とは思えませんが」
「今回は特別です」
渋る様子も全く見せずに即答する姿に、呆気に取られた。
だが、すぐに考える。母がこんなに前向きに俺を夢に送り出そうとした事は思い返しても皆無。まぁ、大抵は勝手に夢に迷い込むため、送り出されるというシチュエーション自体がなかったわけだが。
連れ戻されては母に静かに叱られるというのがパターン化していた。
「……夢月に何かあったのですか」
母が俺に夢に行くように促すなど余程の事が起きたのかもしれない。
役に立つかもわからない俺に手伝いを求める程、危ない目にあっているのだろうか。
不意に思い浮かんだ嫌な想像を、頭を振って追い払う。
「あったといえばありましたが、ないといえばないかもしれませんね」
結局、どっちだ。
悪い方向へ考えて焦っていたが、その言葉に脱力した。遠まわしで紛らわしい言い方は、人をおちょくる時に使うものだ。
普段であればムッとしていただろうが、今は安堵が浮かぶ。
遊ぶ余裕があるのなら、緊迫した状態でもなければ大して悪い事でもないのだろう。
「手伝いの内容とは?」
落ち着きを取り戻し、真っ直ぐに見つめる。
すっと目を細めた母は、ふぅとわざとらしくため息を吐いた。
「面白くありませんわ。もっと動揺してくださっても良いですのに」
「らしくない事を言われて驚いたばかりでしたので、逆に落ち着きました」
ありがとうございます、と嫌味っぽく言ってやると、母はまた頬をぷくっと膨らませた。
やめてください、その歳でこのふくれ面はない、と思います。
似合う、似合わないの話ではないのだ。息子として、歳を知っている者として恥ずかしい。
雄弁に目が語っていただろう。母はさらに口を尖らせたが、知ったこっちゃない。
話を進めたくて「手伝いの内容とはなんでしょうか」と再度促すと、やっと拗ねたフリを止めた母が話し始める。
「今回の仕事、実は貴方の姉に当たる方が関わっていまして」
曰く、調夢師である夢月が遣わされたのは、ある日から眠り続けている王女様。
幼い頃共に過ごした弟に会いたいという願いが強かったために、夢の世界に迷い込んでしまったのだという。
「それが、俺に何の関係が?」
「彼女が会いたいと願ったのが貴方だったので」
予想はしていたが、実際に聞かされても何だか微妙な気分だ。
作り話だと言われた方がまだ納得できる気がする。
「俺はその方のことを覚えていませんが……」
困惑して言い淀むが、「そうでしょうね」とあっさり肯定された。
「歩月よりも幼い頃のことですもの」
それは覚えているはずがない。
いや、覚えている子供も世の中にはいるのかもしれないが、少なくとも俺は覚えていなかった。
「命令ではないのですか?」
問答無用で行ってこい、と言われない事を不思議に思う。いつもなら仕事に関して拒否権を与えることはないのに。
しかし、母は首を横に振った。
「この件については、ただのお願いです。そして、私の我が儘ですわ」
驚いた。母が自らの行動を我が儘だと認め、それを口に出す事は珍しい。
「第二王女様は私の数少ない友人の忘れ形見でしてね。現に連れ帰る術があるのに、一生夢に囚われたままにはしたくないのです」
なんて身勝手で優しい方だろう。
自分の実母だというのに、他人事の様にそう思った。冷酷に命令することもあるのに、必要時以外はとことん身内に甘い。
幼い頃に共に過ごした、というくらいなのだから、きっと引き取って面倒をみていた時期もあったのだろう。
「だから、調夢師の領域である夢での事象に“一般人”を巻き込むことは私の我が儘です」
だが、的確に釘を刺してくれる辺り、本当に身勝手だ。
「会って連れ戻せばいいのですか」
とはいえ、これは夢月にも関わることであり、仕事が終わらなければ彼女は帰ってこない。
渋々ではあるが了承すると、「あら」と驚いたように目をぱちくりさせた。
「行ってくださるのですか?」
嫌と言われるかと思っていました、と心から意外そうに言う。
それに苦笑を返すしかない。
「もう、外を嫌うような幼い子供ではありませんよ」
こんな態度を取られる理由は俺自身にある。だからこそ、強くは言えない。
母は更に驚いたように目を見開いた後、そのまま目を伏せた。
「囲っているだけでは、いけませんね…」
何やら呟いたような気がしたが上手く聞こえず、「母上?」と聞き返すように呼ぶが「なんでもありません」といつも通りに笑って返された。
こうなった母が、俺の問いに応えることは稀だ。
「では、お願いしますね」
悪足掻きをして訊く気にもなれず、早く手伝いに行くために「はい」とだけ返事をし、その場から立ち去った。
だが、目を閉じてすぐに眠れるほど、器用な身体ではない。
大して疲れている訳でもない身体は休息するために睡眠を欲しているわけでもなかった。
つまり、何が言いたいのかと言うと
「眠れない……」
さっそく自室のベッドの上で横になってみてはいるが、なかなか寝付けないでいた。
母の我が儘に付き合おうと行動を起こそうにも、眠って“夢の世界”に接触しないことには出来る事は何も無い。
生憎と、普通の眠りにつき、目を覚ましてからそんなに時間が立っていなかった。昼寝をするような時間でもないため、都合よく睡魔が襲ってきてくれることはない。
「どうしたものか」
口に出して考えてみるが良い案を思いつくわけでもなく、大人しく横になって目を瞑る。
カーテンを閉めていても部屋を僅かに明るくする日の光。
だが、布団に潜って瞼を閉じているとそれすらも感じ取れない。暗闇だけを目は捉える。
真っ黒に塗りつぶされた世界は、何もない夢の世界とそっくりだ。
暗闇を恐いとは思わない。一人が嫌だとは思わない。だってそこには何も煩わしいものなどないのだから。
それに
「む、つき……」
彼女が必ず見つけてくれるから。