番外その6 秘密結社の女幹部~割と昔‐白谷銀子5歳‐編~
窓の外から、ミンミンゼミの鳴き声がする。
「寒い……」
夏なのに毛糸の帽子、マフラー、手袋、セーターを着込んで、わたし――白谷銀子は部屋の中で寒くて震えていた。
外は暑いのに、わたしの部屋はまるで冷蔵庫の中みたいに冷たくて、わたしの体はずっと寒くて震えが止まらない。
わたしは普通の人と違っていて、まだ未熟だから、使えない力が返ってきて寒いことになっているってお母さんから聞かされている。
もしも、わたしがこれで普通の女の子だったら、とっく死んでいてもおかしくないらしいんだって。
そうならないのも、わたしが普通じゃないから。わたしのお父さんが普通の人じゃなかったせい。
こうやって厚着をしているのは、少しでもわたしの周りを寒くさせないように。寒いからじゃない、こうして厚着をしないと私は触れるもの全部が凍っちゃうからだ。
それでも完全じゃなくて、手袋や服の上から触れたら、冷たすぎて火傷してしまうぐらいわたしはとっても冷たくなっている。
それだから、わたしはお母さんやお父さんに触ったことがない。
昔、一度だけワガママをいって、お母さんが手袋してだけど手を握ってくれたことがあった。でも、その後で見た酷いことになったあのお母さんの手の事は忘れられそうにない。
あれからわたしは、もう手を握りたいなんて言わなくなった。
「今日は絵本を読もう」
部屋の周りには、絵本やパズルやぬいぐるみを沢山置いてある。これは誰とも遊べないわたしに、お父さんとお母さんが全部買ってくれたものだ。
一緒に読んでくれる青い熊のぬいぐるみを取って、絵本棚から好きな絵本を抜き出す。
お気に入りの絵本のタイトルは『氷の女の子』。
わたしはぬいぐるみを抱きかかえ、その上に本を置いて声に出して読んだ。
* * * * *
『氷の女の子』
ある雪山には氷の女の子が住んでいました。
氷の女の子の体はとても冷たく、触れると凍ってしまいます。
せっかくなかよくなったユキウサギのぼうやも、シカのお姉さんも、コグマの男の子も、みんな凍ってしまいました。
氷の女の子は、誰も傷つけたくなくて、とうとう氷のどうくつに引きこもってしまいました。
女の子は独りぼっちが好きではありません。けれど友達を傷つけるのは、もっと嫌です。寂しいのずっとガマンして、ひとりぼっちをずっと抱えて、どうくつの中を過ごします。
冬の来たある日、季節外れの春風に乗って、男の子がやって来ました。
まだ春には程遠いですが、その年の冬はとても暖かく、男の子はカン違いを起こしてやって来てしまったのです。
「どうして冬なのにこんなに暖かいんだい?」
山の様子が変なことに気付いた男の子は、暖かくて冬眠をしていないどうぶつたちに、この冬が暖かい理由をたずねました。
「それは氷の女の子がどうくつにかくれちゃったから」だと、山の動物たちは口々に答えます。
それから、女の子が引きこもった理由を話して、女の子を助けて欲しいと男の子に頼みました。
女の子が引きこもった理由を聞くと男の子は、女の子を助けてあげたいと思いました。
男の子は、動物たちに氷の女の子のいる場所を聞くと、洞窟に向けてまっすぐに向かいました。
聞かれた場所を訪れると男の子はそこで、とても冷たい風を出いるどうくつを見つけました。
ここだと思った男の子がそのどうくつに入り奥深くに進むと、そこに一人ぼっちで悲しそうにしている女の子を見つけました。
男の子は聞きました。
「どうしてきみは出てこないの? 動物たちから聞いたけど、きみが出なくないから冬なのに外は暖かくなったって言っているよ」
女の子は冷たく言い返します。
「わたし、みんなを凍らせたくないの。だから誰とも会いたくない。ここから出てって」
女の子が男の子の誘いを断ると、洞窟の奥から男の子を追い出さんとばかりに冷たい風が吹き付けました。
まるで、吹雪に遭ったみたいに強くて強い風でした。
けれども男の子は、風が強ければ強い程、寒ければ寒い程、頑として去ろうとはしません。女の子も男の子に帰ってもらおうと必死です。
女の子と男の子、根競べに勝ったのは男の子の方でした。
男の子は疲れてクタクタしている女の子に言いました。
「それ、ボクがなんとかしてあげるよ」
男の子は自分の春風を掴むと、その春風をほぐしだしました。
男の子は春風をほぐしてそこから一本の糸を紡ぎだすと、今度はその春風の糸を編んで、一組の手袋と一着の服を作ってみせました。
「これあげるよ」
「これを私に?」
「うん。春風でできているからきっと暖かいよ。着けて見て」
男の子に促されて、さっそく女の子は貰った手袋と服を着けてみます。
すると女の子の体が不思議な暖かさに包まれました。
「似合う、似合う。お次は僕を触ってみてよ、平気だからさ」
女の子は、恐る恐る手を男の子へと伸ばしました。すると、不思議なことに男の子は凍りません。
「外に出てみんなと遊ぼうよ」
男の子に手を引っぱられ、女の子は氷のどうくつから外へと飛び出ました。
女の子が外へと出ると、茶色い地肌の見えていた雪山の地面は真っ白な雪へと変わり、色づいたまま残っていた木々の葉っぱたちはみな落ち、冬がやって来ました。
その日から、女の子はひとりぼっちでいることをやめ、もう寂しくはなくなりました。
それからは雪山には、毎年きちんと明るい冬がやって来るようになりましたとさ。
ただ、一つ困ったことが。
それは、女の子のいる雪山だけ少し早めの春風がやって来るようになったそうです。
* * * * *
この氷の女の子は、作り話のくせにわたしとよく似ている。特に独りぼっちを選んだとこなんか、そっくり。
わたしと違うのは、この子には春風の男の子やって来たこと。わたしにそんな子はいない。ずっと一人ぼっち。
けれど、いつかわたしにも春風の男の子が助けてくれるのかな。来て欲しいよ。
もういちど『氷の女の子』の絵本を読もうとした時、下でお母さんがわたしを呼んだ。
「銀子ー。今日はお母さんの知り合いが来ているから、挨拶だけでもいいから部屋から出て来て」
本当は出て行きたくないけど、それだとお母さんが困ってしまう。どうしよう。
そうだ、挨拶だけしてすぐに上がってからまた本を読もう。それならお母さんも困らないよね。
私は部屋から出て、お母さんのいる部屋がちょっと分からなくてウロウロしてから、お母さんたちがいる部屋についた。
「わっ、涼しくなった」
部屋に入った途端、知らない女の人の驚く声がした。
部屋にある向い合せの二組のソファー。見ると、一つはお母さんが居て、そのもう一つに知らないおばさんと居心地が悪そうにしている男の子がいた。
「お母さん。あの女の人がお友達の人?」
「そうよ、挨拶しなさい。――この子が、私の可愛い可愛い娘なのよ」
「しらたにぎんこ、ごさい、です」
自分の名前と何歳か答えてわたしはぺこりとお辞儀をした。
「へー、この子がね。賢そうだし、何より可愛いらしい子じゃないの。ウチの子と取り換えっこしちゃいたいくらい!」
お母さんの友達の人らしいおばさんがそういうと、隣の男の子は不安そうに慌てる。わたしなんかより、その隣で慌てる男の子が可愛いと思うな。
あいさつもすましたし、早く部屋に帰ろーっと。
「銀子まちなさい! まだお母さんの友達とその子が挨拶してないでしょ。ちゃんと済むまではここに居なさい」
そんなの知らない。私が長く居ると良くないから戻る。
部屋から出ようとしたとき、ガタンとなった音にわたしは足を止めてしまった。
「ねぇ、ギューっとしていい? ギューって」
「わたしを触らないで!」
手をワキワキと動かしながら、近づくおばさん。
逃げないと、そうしないとこの人が凍っちゃう。
「どうして、そんなに可愛らしいのに……。それっ、ふにふに~」
「わー、いやー! おかーさーん!」
逃げようとして気付いたら、私の体はおばさんにギュッとされていた。
わたしを触ったらこの人凍っちゃ……。
「う~ん。冷え冷えねー。ねっ、本当に私の所の子にしていいい? 代わりにウチの子を貸してあげるからさ」
「馬鹿いわないでよ。ウチの子に会いたいなら私の家に来ればいいだけでしょ」
「……どうして平気なの?」
お母さんの友達の人は、わたしを平気で抱きしめていた。
「私もあなたのお父さんみたいに、普通の人じゃないからかな」
おばさんが私を抱きしめながらウインクをする。そうかこの人はお父さんと同じで普通の人じゃなかったんだ。
でもあれ?
お父さんも普通の人じゃなかったのに、それでも私を触るのは駄目だった。
なのに、この人はなんで平気なのだろう。
「本当に銀子ちゃんはかわいいな~。それに比べて……挨拶されたら直ぐにとしないさいよアクジ!」
「あいたっ! かあさんだってしてないじゃんか、あいさつ」
「お母さんはハグをしたからいいの」
おばさんに怒られて涙目の男の子。あいさつした直後にあんなコトしていたら、わたしでも入っていけそうに無いのに可哀そうだ。
「やまだあくじ、ごさい」
少し頬を膨らましてしぶしぶあいさつをする男の子。
あくじって名前なんだ。変な名前。
「そうだ。あくじ、ここでお母さんやおばさんと一緒にいてもつまらなかったでしょ? だからそこの銀子ちゃんと一緒に遊んでいなさい」
「そうね。銀子も少しは他の子と遊んで欲しいわ」
お母さん達がわたしとあくじ君を一緒に遊ばせようとする。
えー!? なんで?
挨拶終わったらお部屋に戻っていいんじゃなかったの?
「お母さん止めて。わたし独りでいるのがいい!」
お母さんたちには勝手だけど、わたしは誰かと一緒に遊ぶのは嫌だ。
わたしなんかが一緒にいたら寒がってすぐにわたしを嫌うに違いない。
「女の子と一緒になんか遊べ――」
そうだそうだ。あくじ君も反対してよ。
ガヅンッ!
「……遊べばいいんでしょ」
あくじ君はお母さんの力に屈した。最後の頼みの綱も消えてしまい、ついでにわたしも屈服した。
こうなったら早く帰ってくれないかな。
「ちぇ、わたしはひとりがいいのに」
「そんなこといわないの。冷蔵庫ジュースがあるから、コップと一緒にそれ持ってアクジ君と大きいのを一緒に全部飲んでもいいわよ」
わーい、ジュースだ。
いつもお代わりはコップ一杯しかさせてくれないけど、二人でも大きい方のならたっくさん飲めるや。
お母さんがそう言ってお盆とストローをつけたコップ、それからジュースの入ったペットボトルを用意してくれた。
あくじ君はお客さんだから私が運ばなくちゃ。
でも、どうしよう。持って部屋に行きたいけど、わたしが触ったらジュースが凍っちゃう。
「アクジ、あなたがジュースを持ってあげなさい」
「え~。なんでー? おもたいのにいやだー」
「あ~く~じ~」
「もっていきますもたせてください」
「それでよし」
あくじ君のお母さんは厳しい人なのかな。
「あくじくんがジュースもつなら、だったらわたしはコップとストローをはこんであげる」
コップとストローなら凍ることないし、わたしでも運ぶことができる。
あくじ君はお客さんでしかも重たい方を運んでくれるんだから、せめてわたしもお手伝いしてあげないともうしわけない。
「アクジ、四時ぐらいにお母さん帰るから時間をちゃんと確認していなさいよ」
わたしは壁にかかっていた時計を見た。え~と、短い針が何時ので2のところにあって、長い針が何分ので6ぐらいのとこにあるから……今は二時半だ!
四時が来るには短い針が半分まわってそこから一回転しないといけないから、あくじ君たちが帰るまであといっぱいある。
「こうなったら仕方ないっか。ねえ、ゲームある?」
男の子と遊ぶんなんてどうしたらいいのか分からなくて困っていたところに、あくじ君が先に声をかけてきた。
「うん、あるよ。けど、さっきまで遊びたくなさそうだったのにいいの?」
「もういいの。遊ぶのは好きだから。それに、母さんの拳骨がくるよりずっとましだし」
「あくじくんのおかあさん、やっぱこわいんだ」
「かあさん、おこるとおにみたいになるんだ」
私は持っている昔話の絵本に描かれた鬼の思い出してみる。
角が付いてて、怖い顔で金棒もって、人を血塗れになるまで痛めつけていた。
あくじ君のお母さんってそんなになるんだ……それは怖いな。
「それでかあさんがこわいってのもあるけど、いつまでもつまらないとかいってることのほうがつまんないもん。それよりすきなことするほうがいいよ」
そういえば、つまんないつまんない言っているよりも、好きな絵本を読んでいる時の方が楽しい。
つまんないのがつまんないのか。分かった気がする。
「それでゲーム? あくじくんはゲームが好きなの?」
「うん、ゲームで遊ぶのは好き。外で遊ぶのはもっと好き」
お外か、わたしはこんなんだから縁遠いなぁ。
私だって絵本を読むのは嫌いじゃないけど、転んだっていいから元気いっぱいにお外を走ってみたい。
「ねー、おまえのへやどこなの。じゅーすがそろそろおもい」
あくじ君の腕が、最初もっていたときより重たそうで、ジュースが床についちゃいそうなくらい、いっぱい下がってた。
「ごめん、ごめん。このドアのがわたしのへやだからはいって」
「それじゃ、しつれいしま―……ひやっ!」
わたしが部屋を出てからそんなに経っていなかったから部屋の中はとても冷たいままだった。
「さむい?」
どうしよう
「ううん、むしろさっきのへやよりすずしくてきもちいい。いいな、うちがこんなにれいぼうかけてたら、かあさんにおこられちゃう」
「れいぼうしてないよ。わたしのからだはとってもつめたいの。だからあくじくん、わたしに……」
これから遊ぶあくじ君には、わたしのことをちゃんと注意しないと大変。うっかりわたしを注意しとかないと。
「えいっ!」
あくじ君が説明している途中で突然わたしに抱きついてきた。
「きゃー!」
わたしはひっしであくじ君を引き剥がそうとした。早く離さないと、あくじ君があの時のお母さんの手と一緒になっちゃう。
それは嫌だ。
「はなして、はなして! わたしにさわったら、あくじくんがひどいことになっちゃう」
けれどもあくじ君は、ガッチリわたしにくっついてしまって離れてくれない。
それどころか、気持ちよさそうにわたしに擦り付いてくる。まるでわたしに触っても平気かのように。
「わー、ホントにヒンヤリしてるー。まるでれいぞうこのなかみたい」
「……わたしにさわってもへいきなの?」
わたしに触れても一向に平気そうなので、わたしはあくじ君に聞いてみた。
「へいきかって? ながーくだきついていたら、さすがにさむいかも」
それだけなの? 厚着してても、わたしを長く触っていたら凍っちゃうはずなんだけど。
「さわってて、あついってしないの?」
「なんで冷たいのにあついってなるの? へんなの」
どうやら本当にあくじ君はわたしを触っても平気みたいだ。
あくじ君のお母さんが平気だったみたいに、あくじ君もわたしを触っても平気なのかな。
「ところでさー、もっとぎゅーってしていい? ホントにつめたくてきもちいいから」
わたしは男の子から抱きつかれるのは恥ずかしかったけど、それよりもわたしを触っても平気な黙って頷いて「いいよ」ってした。
「わーい、ぎゅ~」
さっき抱きつかれた時よりも強く、嬉しそうにあくじ君は体をわたしにくっ付けてきた。
不思議。あくじ君にぎゅーってされる度に、あくじ君の体からあったかさが伝わってきて、ぽかぽかしてくる。
男の子にぎゅーってされるのはとっても恥ずかしい、けど、この感じは嫌じゃない。むしろ……好きかな?
――!!
わたし、変だ、変だ、変だ、変だ。
身体はとっても冷たいはずなのに、好きって思ったら、今お顔がとっても熱くなった。こんなこと初めて。
わたし、もしかして風邪をひいたの。
「もしかして、てぶくろのしたはもっとヒンヤリしてるのかな――えいっ!」
「それはさすがにダメー」
あくじ君が今度はわたしのつけていた手袋を外して直接手を触れようとしてきた。
それをしたらホントに駄目なの。手袋しないでわたしを触ったらどんなものでも凍ってしまう。
わたしを触って平気だったあくじ君でも、さすがに大丈夫じゃない。
触ろうとしてきたあくじ君の手をのけようとしたんだけど、一歩遅くて先にあくじ君が手を触ってしまった。
「ちぇー、もう冷たくなくなってんじゃん」
「あ……」
残念そうな顔であくじ君はわたしの手をすぐに放す。わたしもあくじ君に手を放されて残念な気分になる。
手が冷たくない? まさかそんなはず……。
熱い顔に手をくっ付けると、あくじ君に触られた手の方が顔よりも熱かった。冷たくなくなってる。
もしかして、あくじ君がわたしの春風の男の子なのかな?
……うん、そうだと思う。どうしてあったかいんじゃなくてあっちっちになるかは知らないけど、きっとそう。
「ねぇ、もうこのゲームしていい?」
あくじ君はわたしより先に部屋に入って、ウズウズと早くゲームしたそうにゲーム機とゲームソフトを見ている。
「まってて、わたしがゲームつけるから」
あくじ君を追って急いで部屋の中に入る。
その日、わたしはお母さんやお父さん以外の人と初めてゲームを一緒に遊んで楽しんだ。
これが、わたしとあくじとの最初の出会い。
胸の中に大事にしまってある大切な思い出。
本編を知っていてこれを読んで、「誰だこいつ!」と驚いた方々。胸に手を当て、大昔の純心を持っていた頃の自分を思い出してください。
しかし、彼らがどうして変わっていったのかは、なんとなく察せるのではないでしょうか。
本文の内容より作中作を考える方が手こずってしまったのは、ここだけの内緒。