約束
【約束】
(1)
「ご無沙汰してます」
大学を卒業してドラマの制作会社で事務をしている二十八歳の繭からは、昔の幼さは抜け美しい女性になっていた。
「久しぶりだな」
繭に呼び出された雄大が、オープンカフェに座りマフラーを解いた。
黄色く色づいた銀杏並木は三年前よりも美しいと雄大は思った。
「ごめんなさい。忙しいのに」
大学を卒業して銀行に勤めた雄大は、地方の支店を回って八年ぶりに東京に戻って来ていた。
「仙台の銀杏も綺麗だったけど、東京の銀杏も綺麗だな」
繭が雄大に電話をしたのは、仙台から転勤するひと月前だった。
「お母さんの三回忌をやりたいんだけど、来てくれませんか」
「そうか、もう二年経つのか」
「あの時は、ご会葬有難うございました」
二年前の秋。
お焼香を済ませた雄大が、お寺の中庭で繭を見つけ話しかけた。
もみじの葉が黄色い絨毯をつくる庭には柔らかな太陽の光がり注ぎ、天気予報では小春日和だと言っていた。
「卒業以来だから、四年ぶりかな」
二十六歳になった雄大は大人びていた。
「お父さんに聞いたの?母が亡くなったこと」
「ああ、でも不思議なことに悲しんでる様子ではなかったんだ。
ところで、お前は親族席には座らなくていいのか」
「うん、香里のお父さんには座っても良いって言われたけど、ややこしくなるから遠慮しといたの」
「そうだな、あそこに座っても座らなくても変わらないものな」
雄大はまだ読経が聞こえる境内に目を向け父の姿を探したが、やはり見つからなかった。
「やっぱり来なかったな」
繭も境内に目を向けたが、そこに晴生の姿はなかった。
繭が大学を就職をして三年が経った秋に朝美の癌が見つかった。
専門学校を卒業し、資格をとった晴生は朝美の店から歩いて行ける街の不動産屋に勤めていた。
給料は前に働いていた時の半分ほどだが、それでも晴生には特に不満はない。特に贅沢がしたいとも思わなければ、生活に困ることはない。
晴生の妻も少なくなった給料を補うために働き始めると、意外なことに仕事に向いていた。
今までの妻とは違い、どこか自信に溢れている。
「もういいわよ自由にして。誰かを好きになってもいいしね」
離婚はしなかったが、もう晴生に何も言わなくなった。
晴生は不動産屋の行き帰りに朝美の店に寄り、少しだけ話をした。
「繭は雄大くんのことが好きだったのよ」
「そうだったんだ」
繭の舞台のあと、朝美と繭は今まで以上に仲良くなった。それは、親子と言うよりも歳の離れた友だちのように。
繭は雄大への想いを朝美に告白した。
「繭ちゃんは、好きだって言われて何も言えなかったんだ」
繭の部屋でお菓子をつまみながら話をする。
「言えないよ、だって沙織先輩に悪いじゃん」
「それだけ?それだけの理由なの?」
「うん、それだけじゃない気もする」
「なんだろうね、これって」
朝美も繭に晴生のことを話した。
「これって、いけないことだよね」
「いけないことだけど、仕方がないことのよな気がするよ」
繭は自分と雄大のことを考えると、朝美が晴生を好きになってしまったことが分かる気がした。
癌が見つかり入院した朝美を繭は休みのたびに会いに行った。
もう、助からないことを朝美の口から聞いたときは、世界中の神さまを罵倒した。
これ以上の悪口が見つからないほどに恨んだ。
「親孝行出来ないじゃん」
繭はベッドの上で笑う朝美にすがって泣いた。
朝美は繭の意外な言葉に涙がまらなくなり廊下まで聞こえる声でわあわあと泣き出した。
「繭が生まれてくれたことが、一番の親孝行だよ。こんな母親のところでごめんね」
朝美は喉の奥を詰まらせなが、必死で繭に謝る。その言葉は涙声になり病室に響いた。
「運命なんでしょう。私がお母さんの娘に生まれたのは。お母さんの娘になるのは、生まれる前から決まっていたんでしょう。
天国で私とお母さんが約束したことじゃない。生まれ変わったらお母さんの子供になるって。ねえ、そうでしょう」
繭は朝美の胸に顔を伏せて「ねえ、お母さん」と何度も同じことを尋ねた。
「そうだよね。」
(2)
二年前と同じ温かい日差しが振る注ぐカフェで、繭は葬儀の日に言えなかったことを言おうと決めていた。
「お母さんが最初に癌のことを告げたのは、雄大くんのお父さんだったのよ」
繭は目を見開く雄大の顔を覗き込んで言った。
「自分は晴生さんより先に死んじゃうんだと思ったら、どうしても伝えなくちゃいけないと思うことがあったんだって」
謎をかけるような繭の言い方に、雄大は少し昔の自分を思い出した。
父が繭の母親に好意を抱いていることは知っていた。しかし、その現実を二十代の雄大は受け入れる気にはなれなかった。
「雄大くんには悪いけど、お母さんと雄大くんのお父さん、朝と晴は愛しあってたと思うの。
二人がどこまでの関係だったか本当のところは分からないけど、朝はプラトニックだったと言ってたわ」
楽しそうに話す繭に、「随分と饒舌になったな」と嫌味を言った。
「そうよ、雄大さんが夢の場所から居なくなってから、私は夢の舞台に立ち続けたんだもん。すっかり女優」
楽屋の隅で震えていた繭は、もういない。
泣きながらも雄大が愛した場所で、雄大が居なくなった後も繭は頑張って居続けた。
長いセリフを上手に言えるようになり、雄大が好きだったちょっと語尾が上がるイントネーションも消えている。
「でもね、私は信じてないの。きっと朝と晴は結ばれたと思う」
「どうして」
「だって、そうじゃなきゃ悲しすぎるじゃない。好きとも言えず、キスも出来なかったなんて。ごめんね、でも私はそうだって信じてる」
繭は苦笑いする雄大を見ながら、この人はもう大口を開けて笑わなくなったのかと悲しくなった。
朝美が晴生を愛したのは、どんなに世間で非難されようと、運命だったのだと雄大に分かってしかった。
「謝んなくていいよ。俺も、そうだと良いと思うから」
晴生も繭に伝えられなかった朝と晴のことを話そうと思っていた。
就職をして地方勤務になった雄大が晴生と顔を合すことはなくなっていた。
雄大は晴生を避けていた。母を裏切ったとは思ってはいなかったが、自分や母に縛られたくないと思う父の気持ちが悲しかった。
晴生から連絡があったのは、広島支店で残業をしているところだった。
「繭さんのお母さんが亡くなったよ。葬式は日曜日の十時からだそうだ」
電話の声は沈んでいるというより、何かを決意しているような毅然とした声をしていた。
「葬儀の日程は誰から聞いたの?」
繭ともずっと合っていなかった。だから、葬式にも行くつもりはなかった。
「朝美さんのご主人だ。正確には離婚したご主人」
朝美は癌が分かってから、離婚を申し出た。
「わがままを言ってごめんなさい。どうしても離婚して欲しいの。これは本当に最期のお願い」
朝美の願いを夫は快く許してくれた。
「いままでありがとう。朝美と暮らせて幸せだったよ。でも、最期まで僕は傍にいるよ」
朝美は夫と二人で離婚届けを出し、そのまま入院した。
「父さんは葬式に行くのか」
雄大は地方都市の夜景を見ながら尋ねた。
「俺は他の場所で見送る約束だ」
それはどこだと聞いても、きっと父の晴生は答えないと思った。
「じゃあ、俺が行くよ。父さんの分まで焼香してくるから」
「ああ、頼むよ。それと、繭ちゃんが悲しんでたら声をかけてくれよ」
晴生は笑って電話を切った。
雄大の話を聞いた繭は頬を伝う涙が暖かいと感じていた。
「あの時は分からなかったけど、あれからずっと考えていて分かったことがあるんだ」
小刻に体を震わす繭がやっぱり昔と変わらないと雄大は思った。




