言いたかった
【言いたかった】
珍しく雪がった日、店先の雪かきをしていた晴生に、言いにくそうに話しかけた。
「晴も忙しいから、もう手伝いに来なくていいよ」
専門学校の帰りに、晴生は朝美の店を手伝っていた。
「邪魔かな」
晴生が出来ることは、売り物にならなくなった花の片づけぐらいなことで、たいして役には立っていなかったが、ただ、そこに晴生が居るだけで朝美は幸せだった。
それだけに、夫から「最近、変な男が店に入り浸ってるって聞いたんだけど」と言われた時には大切にしていた柔らかいものを、素手でかき回されたような悲しい不快感に襲われた。
「変な人じゃないよ。お客さんだよ」
朝美は晴生のことを追及したがる夫に、それだけいうのがやっとだった。
夫が自分のことを愛していくれているのは十分に感じていた。しかし、それは朝美が望む愛とは違う。
常に自分のことを気にしているのは、単に自分が安心したいからだ。そして、朝美が自分に恋心を抱いたことがないことも、夫は分かっていた。
それでもいいと、思い夫は結婚を望んだ。
だが、結婚して一緒に暮らし始めると夫は朝美の行動が気になって仕方がない。
本当は店をやることも働きに出ることもして欲しくなかった。
しかし、それを止めれば朝美に嫌われることも分かっていた。
ジレンマの中で、夫の嫉妬心は更に強くなる。
「そうだな、こんな変てこな男が店にうろうろしてたら、客も減るよね」
晴生は朝美の話を聞いて、素直に店に来ないことを約束した。
(そんなに簡単なことだったの)
精一杯笑う晴生の顔を見ながら、朝美は心の中で叫んだ。
(ここに晴がいることが、どれほど幸せなことなのか、晴には分からなかったの)
朝美は涙が零れるのを必死で我慢しながら笑顔で「ごめんね」と晴生に謝った。
翌日、晴生は店の前を通り過ぎた。専門学校から家に帰るには遠回りな朝美の店の前を。
少しだけ歩を遅くし、中を覗き込むと何も言わずに通り過ぎる。
そんな晴生に朝美が気が付いたのは一週間してからだ。
「あっ」
朝美は店に入って来るものだと思った晴生が、朝美にだけ分かるように鼻の下を指で擦って店の前を通り過ぎる。
「よく、鼻の下を擦るよね」
朝美は晴生の癖を「鼻の下が伸びていやらしくなるよ」とからかったことがる。
「下心があると擦るのかな」
からかわれた晴生は、もっと鼻の下を擦ってせた。
「どんな下心よ」
「それは秘密、言ったら下心にならないからね」
朝美は晴生の口から、ちゃんと下心を聞きたかった。もしも、晴生が「好きだ」と言ってくれたなら、きっと自分も素直に「好き」と言っただろう。
それを言ったところで、何も変わらないのは分かっていた。でも、言って欲しかった。
朝美は振り返ることなく通り過ぎるだけの晴生の背中が少し小さくなった気がした。




