7話
この物語はフィクションです。登場する人物・団体とは関係ありません。
次の日の朝、僕はまた浜辺に来ていた。今日はお父さんと一緒に。波の音は昨日と変わらないのに、なぜか少しだけ落ち着かない。
砂浜を歩いていると、見覚えのある姿が目に入った。ギターケースを肩にかけたあかりと、本を抱えた莉菜。そして、その少し後ろに龍が立っていた。僕はお父さんの方に目をやるとお父さんは静かに頷きにこりと笑う。僕はみんなのところへ走って行った。
「……あ」
僕が立ち止まると、あかりが先に笑った。
「やっぱり来たね」
莉菜も小さく笑う。
「私たち、考えること一緒みたいですね」
龍は砂を蹴りながらぼそっと言った。
「別にお前らに会いに来たわけじゃねえけど」
「はいはい」
あかりが笑いながら言った。僕は少しだけ安心したように息をついた。昨日で終わりだと思っていた関係が、こうしてまた繋がったことが、なんだか嬉しかった。
「てかさ、今日で最後なんだよね」
あかりが海の方を見ながらぽつりと言った。
「……うん」
「私もです」
莉菜が静かに頷く。龍は何も言わず、足元の砂をいじっていた。一瞬、空気が止まった気がした。波の音だけがやけに大きく聞こえる。
「じゃあさ」
あかりが急に明るい声を出す。
「最後だし、なんかしようよ!」
「なんかって?」
龍がめんどくさそうに顔を上げる。
「思い出作り的なやつ!せっかく集まったんだし!」
「小学生かよ」
「いいじゃん別に!」
二人のやり取りに、思わず少し笑ってしまった。
「例えば?」
僕が聞くと、あかりは少し考えてから指を立てた。
「じゃあ、お互いのこと話すとか!」
「は?」
龍の声が低くなる。
「いや、ほら!名前しか知らないじゃん、私たち」
「それで十分だろ」
「十分じゃない!」
あかりは真っ直ぐ龍を見る。
「どうせもう会えないかもしれないんだよ?」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。龍が目を逸らしながら言った。
「話すことなんてねえよ」
「あるでしょ」
莉菜が小さく口を開いた。みんな少し驚いて、莉菜の方を見る。
「……昨日、学校行ってないって言ってましたよね」
「……それがどうした」
「理由、あるんじゃないですか」
龍は少し黙った。砂を強く踏みつける。
「……別に」
「無理に言わなくてもいいけど」
莉菜は優しい声で続ける。
「でも、ここでなら話してもいいのかなって、少し思っただけです」
風が吹いた。ギターケースのストラップが揺れる。龍は舌打ちをして、空を見上げた。
「……朝になるとさ」
ぽつりと、低い声が落ちる。
「外、出れなくなるんだよ」
僕は思わず顔を上げた。
「ドア開けようとすると、なんか……無理で。理由とか、よく分かんねえけど。体が動かねえんだよ」
昨日聞いた言葉より、ずっと生々しかった。
「だから、行ってない。それだけ」
言い終わると、龍はまた目を逸らした。誰もすぐに言葉を出せなかった。でも、不思議と重たい空気じゃなかった。少しだけ、距離が縮まった気がしたから。
「……じゃあ次、私ね」
あかりが、あえて明るく言う。
「私、アイドルやってたの」
「知ってる」
僕が反射で言うと、あかりは笑った。
「だよね」
でもその笑顔は、少しだけ弱かった。
「でも今、休んでる」
「なんで?」
龍が聞く。あかりは少しだけ黙ってから、海を見る。
「分かんなくなっちゃったんだよね」
「何が?」
「全部」
その一言が、静かに落ちた。波の音だけが、一定のリズムで続いている。
「全部って?」
龍が少しだけ首をかしげる。あかりは少し考えるようにして言った。
「なんで歌ってたのかとか、なんで頑張ってたのかとか、誰のためだったのか、とか」
一つ一つ、言葉を選ぶみたいにゆっくりだった。
「気づいたらさ、全部“誰かのため”だった気がして」
僕の胸が、少しだけざわつく。
「ファンの人とか、スタッフさんとか、応援してくれる人、たくさんいたのに」
あかりは小さく笑った。
「なのに、自分の気持ちが一番分かんなくなっちゃってさ」
その笑顔は、どこか暗く見えた。
風が、少し強く吹いた。僕は何か言おうとしたけど、言葉が見つからなかった。
「……でもさ」
あかりが顔を上げる。
「こうやって、全然違う人たちと会って話してると」
「ちょっとだけ思うんだよね」
「世界、狭かったなって」
その言葉に、誰も否定しなかった。たぶん、みんな少し思っていたから。
「……私も」
今度は、莉菜が口を開いた。少しだけ緊張したように、本を抱え直す。
「学校、行ってないって言いましたけど」
僕たちは自然とそっちを見る。
「正確には……行けなかった、です」
莉菜は少しだけ目を伏せた。
「人といるの、怖くなっちゃって」
「……怖い?」
龍が聞く。
「はい。嫌われてるわけじゃないのに。なんでか、ずっとそう思っちゃって」
僕は、どこかで聞いたことがある感覚だと思った。
「だから、気づいたら一人でいる方が楽になってて」
莉菜は小さく笑う。
「でも、本当はちょっと寂しいんです」
その言葉は、すごく静かだったのに、はっきり聞こえた。しばらく、誰も喋らなかった。でもそれは、気まずい沈黙じゃなかった。みんな、それぞれの言葉をちゃんと受け取っていた。
「……なんかさ」
龍がぽつりと呟く。
「全員、ちょっとずつ詰んでね?」
「言い方!」
あかりが笑いながらツッコむ。その場の空気は少し軽くなった。
「でも、なんか分かるかも」
僕は小さく言った。
「みんな、全然違うのに、同じところで止まってる感じ」
龍がこちらを見る。少しだけ迷ってから、僕は続けた。
「僕、ずっと“医者になれ”って言われてて」
「それが当たり前で」
言葉にするのは、少し怖かった。
「でも最近、それが分からなくなって」
みんなが静かに聞いている。お父さんも遠くからこちらを眺めていた。
「やりたいのかも、分からないし、やらなきゃいけない気もして」
波が足元で弾ける。
「逃げたいのか、続けたいのかも分からない」
言い終わると、少しだけ息が軽くなった気がした。龍が鼻で笑う。
「なんだよ、お前もじゃん」
「うん」
僕も少し笑った。そのとき、あかりが立ち上がった。
「……でもさ」
海の方を見ながら言う。
「違うよね、私たち」
「え?」
「似てるけど、同じじゃない」
風で髪が揺れる。少しだけ振り返って、笑った。
「全部、それぞれ違うんだよ」
あかりは空を見上げる。
「こうやって会えたの、ちょっとすごくない?」
誰も否定しなかった。龍がぼそっと言う。
「……まあな」
莉菜も小さく頷く。そこで僕はとあることを思い出した。
「そういえば、人が出会う確率って24万分の1なんだって」
「そうなの?!すご!」
あかりが目を輝かせてそう言った。
「24万分の1ってことは、えっと……」
龍が少し考える。
「めっちゃ低いってことだろ?」
「うん、かなり低いね」
僕は砂に数字を書いた。
「1万分の1が0.0001でしょ」
「……おう」
「24万分の1は、それを24で割るからから…」
「うん」
みんなが真剣に僕の説明を聞いていた。
「ざっくりだけど、0.000004くらい」
「ちっさ」
「それを%にすると、0.0004%くらい」
「うわ、やば」
莉菜が素直に反応する。
「ほぼ奇跡じゃん」
龍はしばらく黙って、砂の数字を見ていた。
「もう一回教えて」
「え?」
「今、そこに書いたやつ」
龍の言葉に少し驚いたが、僕はにこりと笑った。
「いいよ。やろう」
龍は自分で指を動かして、同じように書き始めた。
「えっと……1万分の1が0.0001で……それを24で……」
少し止まってから、顔を上げる。
「……で、こうして……こうか?」
「うん、正解」
龍は少しだけ目を見開いた。
「できたわ」
その一言が、なんか少し嬉しそうだった。
「え、すご!」
あかりが拍手する。
「ちゃんと理解してる…!」
莉菜も優しく笑う。
「……なんか」
龍はぽつりと呟く。
「分かったら、ちょっと楽しいな」
僕は少し驚いた。龍からそんな言葉が出るなんて思わなかった。
「でしょ?」
「……うん」
龍は照れくさそうにこう言った。
「お前、教え方うまいな」
「え?」
「さっきの、めっちゃ分かりやすかった」
不意に言われて、言葉が詰まる。
「そう……かな」
「うん。今までこんなちゃんと分かったことなかったわ」
その一言で、胸の奥が少し熱くなった。教えるって、こんな感じなんだ。誰かが理解してくれるって、こんなに嬉しいんだ。
「……なんかさ」
龍が続ける。
「ちょっと勉強、やってみてもいいかも」
「え?」
みんなが目を丸くする。
「いや、別に学校行くとかじゃねえけど」
「でも、ちょっとくらいなら」
龍は砂を蹴りながら言った。
「どうせ暇だし」
「いいじゃんそれ!」
あかりが嬉しそうに言う。
「絶対いいと思う!」
「……うるせえな」
でも、少しだけ口元が緩んでいた。
「じゃあさ」
莉菜が小さく言う。
「分からないことあったら、私も聞いてもいいかな」
僕は少しだけ驚いてから、頷いた。
「もちろん」
僕たちはそう言って連絡先を交換した。
そのとき、ふと気づいた。ここにいるみんなが、ほんの少しだけ前に進もうとしていることに。




