5話
この物語はフィクションです。登場する人物・団体とは関係ありません。
「石垣行き、A便は搭乗を開始いたしました」
空港内でアナウンスが聞こえた。僕はお父さんと搭乗ゲートまで向かった。
仕事が忙しくて、家にいないことが多いお父さん。二人きりでこんなに長く過ごすのは、いつぶりだろう。
飛行機が安定すると、機内アナウンスが流れた。客室乗務員がカートを押して通路を進んでいく。
「ジュース、飲むか?」
お父さんが聞いてきた。
「……りんご」
そう答えると、お父さんは少しだけ安心したように笑った。
「……楽しみだな」
「うん」
その後、会話が続くことはなかった。
しばらく経つと広がる大きな海が見えた。僕は窓に張り付くように外を眺めた。
「綺麗だな。海」
「うん」
「……ホテルチェックインしたら海の方も行こうか」
「うん」
「あ、お店も見たいか?」
「どっちでも大丈夫」
「そうか…」
飛行機がゆっくり高度を下げていく。窓の外には、さっきよりもずっと近い青い海が広がっていた。
「もうすぐだな」
「うん」
飛行機を降りた瞬間、むわっとした空気が体にまとわりついた。東京とは全然違う、湿った暖かい空気だった。空港を出て、僕は思わず空を見上げた。やけに青かった。
僕たちはタクシーでホテルまで向かった。少し開けた窓から、静かな風が入ってきた。遠くの方で見える大きな海。全てが新鮮で、珍しく感じた。ただ、ぼーっと外を眺めるのは久しぶりだった。
その日、ホテルに着いた僕は疲れてすぐに眠りについてしまった。
朝、目が覚めた。カーテンの隙間から、強い光が差し込んでいる。時計を見ると、まだ六時だった。隣のベッドでは、お父さんが静かに寝息を立てている。もう一度寝ようとしたけれど、なぜか眠れなかった。仕方なく、ベッドから降りる。カーテンを開けると、遠くに海が見えた。朝の光で、昨日よりもずっと青く見える。少しだけ、外の空気を吸いたくなった。僕は静かに部屋を出て浜辺の方へ向かった。
朝の光に照らされた砂浜を、僕はゆっくり歩いた。波が足元でざぷんと音を立てる。まだ人は少なく、海は昨日よりも青く光っている。
少し進むと、砂の上に座ってスマホをいじる僕と同い年くらいの男の子が目に入った。ゲームをしているのか、指先がすごく速く動いている。ちらっと目が合い、僕は軽く頭を下げた。
僕はそのまま通り過ぎようとしたけれど、彼がぽつりと声をかけてきた。
「なんでこんな朝から散歩してるの」
思わず僕は肩をすくめた。
「別に、特に理由はないよ。君こそ、どうしてこんなところでゲームを?」
僕が質問で返すと、彼は不機嫌そうな顔をしてスマホに目をやりながらこう言った。
「別によくね。人が何してようと」
「先に言ったのは君だろう?」
彼は黙り込んでまた、ゲームを始めてしまった。僕は、どうしてもその子から目が離せなくなってしまった。
その後、僕は波打ち際を歩きながら、ぼんやりと朝の光を浴びていた。昨日より青く光る海を見ながら、あの男の子の姿が頭をよぎる。
「ここにいたのか。ほら、朝ごはん食べに戻るぞ」背後からお父さんの声がした。僕は振り返ると、少し汗をかいた顔で手を振るお父さんが立っていた。どうやら迎えに来てくれたらしい。
「うん、すぐ行く」
僕は少し名残惜しそうに浜辺を振り返る。海の色と、あの男の子の姿がまだ目に焼き付いていた。
ホテルに戻り、テーブルにつき、ご飯を食べた。お父さんは静かに箸を動かしながらご飯を食べていた。そこで僕は少し緊張しながらも、気になっていたことを聞いた。
「お父さんは、どうして医者になったの?」「…実はな、俺は最初医者をめざしていなかったんだ」僕はお箸を持つ手を止め、お父さんの顔を見た。
「俺は最初、教師になりたかったんだ」
「…そうなの?」朝の光が差し込むテーブルで、少し汗ばむ顔が穏やかに見える。
「でも、ある出来事があってな。俺が高校生のとき、親友が意識不明で目覚めなくなってしまってな。すごく心配したよ。そのとき、どうしてもその親友を助けたいと思った。だから医者になる道を選んだ」
お父さんは静かに箸を置き、少し遠くを見つめるようにして言った。僕は黙ってうなずくことしかできなかった。お父さんの過去の話を聞きながら、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
「お母さんは、"絶対”っていう言葉をよく使うけど、自分のやりたいことを見つけて好きなことをやればいいんだ。たまにはこうやって旅行に来たりさ。大丈夫。お父さんはいつでも力になるし、見守ってるから」
お父さんの目は優しかった。朝の光と、優しい言葉で、僕は初めて、自分が求めていたものが何なのか少し分かった気がした。




