第三話 拾われた侍
5分の3話です。
男は、三日目の朝に目を覚ました。
最初に出た言葉は、礼でも名でもなかった。
「……敵は」
それだけだった。
「いない」
私は即答した。
「ここは、母のいない村。
戦の続きは、外でやりな」
男は、ゆっくりと瞬きをした。
天井を見て、壁を見て、焚き火の跡を見て、最後に私を見る。
「……助けたのか」
「拾っただけ」
それが、この村で一番重い決断だと、男はまだ知らない。
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男は、よく黙った。
回復するまで、名を名乗らなかった。
聞いても、答えなかった。
その代わり、よく見ていた。
子どもが水を分け合うのを。
婆さまが火の番をするのを。
私が、最後に食べるのを。
「……奇妙だ」
ある日、男はそう言った。
「何が」
「順番だ。
弱い者が、先だ」
「当然」
私は薪を割りながら言った。
「子どもが死ぬと、国が死ぬ」
男の手が止まった。
「……国?」
「ここが」
私は、周囲を指した。
「立派じゃないけどね」
男は、少し笑った。
でも、その笑いはすぐ消えた。
「……それを、誰が決めた」
「母」
それ以上、説明する気はなかった。
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男は、役に立とうとした。
動けるようになると、剣を取ろうとしたが、私は止めた。
「刃物はいらない」
「……侍だ」
「今は、怪我人」
言い切ると、男は黙って下げた。
代わりに、薪を運び、水を汲み、畑を手伝った。
ぎこちない。
でも、投げ出さない。
有能だ。
それが、逆に怖かった。
「お前……」
ある晩、男は私に言った。
「なぜ、俺を助けた」
「目が開いてたから」
「それだけか」
「それ以上、いる?」
男は言葉に詰まった。
戦場では、理由は常に過剰だ。
忠義、命令、国、名誉。
どれも、人を殺すには十分すぎる。
ここでは、足りなかった。
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夜、焚き火のそばで、男は初めて震えた。
寒さじゃない。
悪夢だった。
呻き声。
汗。
掴む空。
私は、起こさなかった。
母がそうしたように。
朝、男は頭を下げた。
「……弱いところを見せた」
「見てない」
「見ていただろう」
「寝てた」
嘘だった。
でも、必要な嘘だ。
男は、しばらく黙ってから言った。
「俺は……有能だ」
唐突だった。
「戦も、策も、人を動かすことも」
「そう」
「だが、肝が小さい」
自分で言うのか、と私は思った。
「殺せない」
男は、焚き火を見つめた。
「子どもを」
その一言で、すべてが繋がった。
この男は、逃げてきたのではない。
耐えられなくなったのだ。
「それで、ここに流れ着いた」
「……そうだ」
私は、母の布の感触を思い出した。
敵国。
子どもを道具にする国。
この男は、
“向いていない”。
そして、
“必要だ”。
⸻
数日後、追手の気配がした。
遠くで、火。
煙。
川向こう。
男は、即座に立った。
「……俺のせいだ」
「違う」
「いや、違わない」
男の目が変わった。
逃げ腰だったものが、決まる。
「この村を守る」
宣言だった。
「一人で?」
「一人でも」
私は首を振った。
「母の国は、そんな国じゃない」
私は皆を集めた。
「戦は来る。
逃げたい人は、今、逃げなさい」
誰も動かなかった。
男が、息をのんだ。
「……なぜ」
「守られてきたから」
私は言った。
「今度は、守る番」
男は、その場に膝をついた。
それは、恋じゃない。
忠義でもない。
価値観が、ひっくり返った音だった。
この村は、
小さい。
貧しい。
でも――
子どもを捨てない。
男は、初めて知った。
自分が守りたかった国の形を。
愛も恋も恐ろしいのです。




