S-9 「だからグリンネルは強いんだ」
バイレスリーヴ東/黒き森【視点:臆病者オリアン】
ロルガドーアと彼らの戦闘は、予想以上に刺激的だった。黒獣の俊敏に対抗する、グリンネルの剣の軌道、キノルの魔法の熱。そしてオリアンの勇気。
そんなオリアンは木の根元でへたり込み、グリンネルは剣の手入れをしている。
「はい、お疲れ様」
キノルが布に包んでいた銀色のポットと、手作りのクッキーを取り出した。温かい紅茶の湯気が立ち上る。
「わぁ!キノルは女子力高いね!」
『この状況で茶会を始めるとは、鈍感なのか、天然なのか』
ルトが彼女の意図を測りかねているが、私は気にせずクッキーに手を伸ばした。甘くて美味しい。
熱い紅茶をすすったところで、ふと、隣でクッキーを齧っているキノルに尋ねた。
「ねぇ、キノル。オリアンって、魔法使えると思う?」
キノルはクッキーを持つ手を止め、少し考え込むように首を傾けた。
「うーん……たぶん、無理」
「えっ!?」
オリアンが寂しい視線をこちらに向けた。とりあえず笑顔で返しておこう。どんまい。
「呪文を唱えれば発動するんだよね?」
私はルトが使う魔法が一般的な方法で唱えられているのか確認のために聞いた。
「『魔力の孔』が生まれつき身体にないと、発動すらできない」
(魔力の孔?)
彼女の言葉を聞き、何となく納得した。
そんなキノルの言葉に、オリアンが少し寂しそうにしているのが見て取れた。
「あー、素質かぁ。オリアンにはないんだ」
『いえ、彼には素質がありますよ。多分』
ルトが私の中で、オリアンを慈しむような視線を向けている。
『ルト、波長が合うからって、オリアン贔屓すぎない?』
『子犬に感じる愛情のようなものですよ』
そんな会話をしていると、剣の手入れを終えたグリンネルが笑顔でオリアンに近づいた。
「大丈夫だよ」
グリンネルが剣を鞘に戻し、オリアンの肩に手を置いた。
「剣は誰にでも平等だ。鍛えれば、ある程度の強さは身につく。さっきの一撃も、なかなかいい線をいっていたからね。オリアンは俺が鍛えてやるよ!」
グリンネルの励ましに、オリアンは複雑な表情で頷いた。
『陰キャは、ああいう熱血的な絡みが一番困るんです』
ルトがまるで自分のことのように解説した。
「そういえばさっきの話、グリンネルとキノルの出会ったところって、王国の闘技場って言ってたけど、グリンネルも王国の決闘大会に出てたってこと?」
私が何気なく尋ねると、オリアンが紅茶で喉を潤しつつ、口を開いた。
「えーとですね、王国では決闘大会はありません。剣闘士が戦う、闘技大会が昔から盛んに行われています。なので、彼もムネラに剣闘士として出ていたということです。僕はイルさんのこと、てっきり王国出身だと思っていましたよ」
オリアンの言葉に、私は一瞬言葉に詰まった。
『イル、浅はかな質問をしない。怪しまれましたよ』
ルトが私の中でジト目をしているのがわかる。
「あ、あぁそうだったんだ!私、文明とほど遠い場所に住んでたから、そういうの全然知らないんだよね。だから、見聞きする全部が新鮮なんだ」
誤魔化すように、私は少しわざとらしく聞こえるほど明るい声で答えた。
「垢抜けてるから、都会っ子だと思ってた」
キノルも意外そうに呟く。
『良かったですね。君はおしゃれだって褒められたんですよ』
『キノル好き』
私は、自分の失点を帳消しにしてくれたキノルの心遣いに感激し⋯
「うわ」
思わず抱きついた。
「ありがとー!」
しばらく紅茶とクッキーを楽しみながら、私たちは静かな時間を過ごした。森の中の静寂が、私たちの間に心地よく広がっていく。
その沈黙を破るかのように、グリンネルが口を開いた。
「さっきの話。続きだけど、俺、闘技場にいる前は、開拓村の奴隷だったんだ」
彼の声は、これまでの明るい調子とはまるで違っていた。深く、重く、まるで大きな岩を背負っているかのような、重々しい響きがあった。
「グリンネル、いいの?」
キノルが、オリアンと私たちに聞こえないほどの小さな声で問いかけた。
「うん、俺は今、不思議と二人にも聞いてほしい気分なんだ」
グリンネルは一つ息を吐き、口を開く。
「俺は、ザーラム共和国に一番最初に占領された《ルス村》出身。物心ついた時から、開拓地の奴隷として働かされていたんだ」
グリンネルの壮絶な過去。奴隷として生きてきた日々、闘技場で命を懸けた戦い。
「だからグリンネルは強いんだ」
私がぽつりと呟いた。それは物理的な強さもあるけど、彼から感じられる揺るぎない精神力と包容力。何もかも包み込むような寛容の化身。
その強さは、壮絶な過去を生き抜いた中で培われたものだったのだ。
『暗い過去があるんですね。この陽キャにも。まぁ、少しだけ見直しましたよ』
ルトの捻くれた感想を聞き流す。
私の言葉に、元奴隷という身分に蔑まれると思ったのだろうか。グリンネルは少し驚いた表情を浮かべた。
「よかった。グリンネル、受け止めてもらえたよ」
キノルは、私たちの反応を見て、安堵の表情を浮かべた。
「えっと、じゃあ、私も皆に秘密を暴露しちゃおうかなぁ」
私がそう口にした瞬間、まるで、張り詰めていた弦が突然切れたかのように、場の空気が弾けた。しかし、それは直ぐに収束することとなる。
「ああ、でもそれはこの後にとっておこう」
木々のざわめきが止まり、鳥たちのさえずりも聞こえなくなった。森が、私たちを警戒するように、一瞬にして静まり返っている。




