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S-89 「がぁおぉぉぉーーっ!」

バイレスリーヴ領南/隠れベイン・ファラハ/クルーア廃坑内【視点:世界(観測者)】


 その金属音と同時に、ゲアラハの背後で控えていたローブの集団が、まるで影のように体制を低くしながら散会し、四方八方からライカンスロープめがけて迫っていく。


 ヒュン!ヒュン!


 空気の裂ける音と共に、空洞の隅の暗がりから何処からともなく矢がライカンスロープに向かって飛んできた。


 ライカンスロープは、迫りくる矢を片手で容易く掴んで止め、まるで小枝のように折り曲げた。


「がぁおぉぉぉーーっ!」


 という、野獣の咆哮とは思えないほど間の抜けた、高く響く大声をあげた。


 ローブの集団たちはその異様な声に違和感を覚えながらも、迷うことなく各々の暗器を抜き、ライカンスロープに襲い掛かる。


 ライカンスロープは、体を周囲の空気を歪ませるほどの凄まじい速さで回転させ、鞭のようにしなる白い尾で、それぞれの暗器を的確に撃ち落とす。


 ガキキキンッ!


 その尾はフサフサの狼の尾と似つかわしくない程、異常に硬質であり、暗器を撃ち落とす音はまるで鉄と鉄がぶつかり合うような、甲高く鋭い音。


 ただ、何処からか放たれた矢も、ローブの集団の攻撃も、すべてが百影の精錬された単なる陽動に過ぎなかった。


 ライカンスロープが体を回転させた、その一瞬の隙を縫って、後ろで控えていたゲアラハは、衰えを知らない驚異の脚力で、音もなく、一気に間合いを詰め、その喉首を、禍々しい魔力が秘められた黒い短剣で狙った。


 ゲアラハの自然体から繰り出されたその攻撃は、秋風が肌を撫でるかのような、殺気を全く感じないものだ。しかし、一撃で獲物を仕留めるに足りる、致死の刃。身構えていても躱すことは困難だろう。


 案の定、ライカンスロープはその視線から、致死の刃が自分の喉元に迫っていることに全く気づかない。筋肉の動きや腕の位置、体制など…どれをとっても、この「百影」将軍の必殺の一撃を躱せる手段は残されていなかった。


(屠った)


 ゲアラハは確信した瞬間、しかし…突然の側面からの猛烈な殺気に、その攻撃を中断して即座に己の体を翻す。


 彼がいた場所には、冷たく禍々しい紫色の輝きが走り、彼の代わりに、その光の直撃を受けた百影の一人は、叫び声をあげて倒れ、酸っぱい腐臭を漂わせながら瞬時に白骨化した。


 ゲアラハは、今までに感じたことのない異様な危険を察知し、隙を見せずに十分な間合いを取り、その殺気の方向、ライカンスロープの肩のあたりに目をやった。そこには、半透明で紫色に光る、少年の姿をしたゴーストが静かに浮遊していた。


「こいつは…何だ」


 ゲアラハは細い目をさらに細め、明確な違和感を覚えた。そして、その違和感は、長年死線を潜り抜けてきた彼の経験上、絶対に起こってはならない、致命的な見落としによるものだった。


 彼は嗅覚を集中させ、何かを感じ取る。


「こいつ…ライカンスロープではないな。61だ。良いな!」


 ゲアラハはその場の部下に、作戦変更のため、暗号で次の行動を指示した。(61:「一旦引いて体勢を立て直す」)


 ゲアラハは手での合図を交え、百影の部下を先に引かせ、自らが殿を務める。


「待て…がおぉぉっ!」


 ライカンスロープ(仮)は、慌ててローブの集団を追いかける。しかし、ゲアラハの殺意のない暗器の投擲に、追跡の勢いを妨害され、何度も足止めを食らう。


「これでは近付くことも出来ませんね…それに、これだけ横穴があると追いきれません。燻り出すのが得策でしょう」


 とルト。


「あ、でもドッカンドッカン系の魔法はダメだから。ボスがこの山に《眠れる亡者》を呼び覚まさないようにって…言ってたでしょ?」


 ライカンスロープ(彼)は、幽霊少年の魔法に注文をつけた。それは、ディナリエルが「この山に封印された怪物が目を覚まさないよう、廃坑や山に対する衝撃は最小限に」との忠告を受けてのものだった。


「わかってますよ。まぁ、見てみたい気もしなくはないですけどね…その《眠れる亡者》とやらを」


 紫色に光るゴーストの少年は、静かに空中に浮遊しながら、彼の知識の深淵にある、数多の呪文を記した図書館から、この状況に最適な魔法を一瞬で引き出した。


 ヌール・アルオムク、アキーム・レヴ(深闇の核よ、核を確立せよ)ナディーブ・リー、ワー・フタル・シルシル・アルアブド・ラカーブ(我が求めに応じ、永劫なる腐敗の連鎖を解き放て)べダーム、ヤーシュ・ヨデム・メナー・ルプア(血潮には治癒を拒む淀みが宿る)ベギシュタ、クシャ・ムティ・イェヴォー(その奥底に緩慢な崩壊が来たらん)


 呪文を唱え終わるころには、ライカンスロープ(の姿をしたもの)の体が紫の光を帯び、その前方から松明の光を飲み込むような、紫に輝く、触れたものを腐敗させる腐食の雲が空洞全体を覆うように噴き出した。


「がおぉ…ちょっと待って!あれ、もしかしてこの雲、私にも効くよね」


「あー…はい」

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