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S-87 「父上は私たちが死んでも、きっと何も感じない」

挿絵(By みてみん)

帝国ゼーデン皇帝と三皇女(左から、ティナ、ソラス、ジーナ、ウィスカ)

挿絵(By みてみん)

帝国ゼーデン三将軍(左から、万騎将軍カースラン、千弓将軍オルタ、百影将軍ゲアラハ)

ゼーデン帝国首都/ゼア・ドゥーン/皇帝のドゥルタン・リ【視点:世界(観測者)】


 黒曜石で作られた重厚で巨大な《覇者の玉座》。その玉座は意図的に装飾は排されている。


 その玉座にある、堂々たるその男の琥珀色の瞳には、強い憂いの色が映りこんでいた。


 彼は、かつての皇帝の血筋。《ファラン家》の長子で、厳格かつ勇猛、時に冷酷・非情な側面を持ち合わせる、帝国の第69代皇帝、《ソラス・マグ・ファラン》その人である。


 そして、覇者の玉座が据えられている段下には、威厳ある壮年の男が頭を下げて跪いている。彼は、帝国大三軍がひとつ、主として騎兵で構成される、最も規模の大きい《万騎軍》の将軍、《カースラン・ジス・グレングラン》。


 カースランの後ろに控えるのは、氷のような端正な顔立ちをした、銀髪の精悍な雰囲気を漂わせている女性。唇の左下の一点の黒子が特徴的な、ソラスの長女で、カースランの側近。万騎軍の一番隊隊長を務める第弌皇女、《ジーナ・マグ・ファラン》。


 彼女は、武を重んじる帝国の国是と、それを厳格に履行するソラスの意思に則り、自らそれを求めて戦いの現場に身を置いている。彼女の青がかった灰色の瞳には、一切の迷いや感情の揺れが見られず、鉄壁の忠誠心だけが宿っている。


 カースランの左隣に、同じく頭を下げて膝まづくのは、僅かに艶めいたブロンドの髪を持つ、端正な顔立ちの二枚目。帝国大三軍のひとつで、主として弓兵、魔法兵で構成される《千弓軍》将軍、《オルタ・ジス・ドルモア》。


 オルタの後ろに控えるは、ジーナと非常に似た顔立ちながら、快活で、日に焼けているのか浅黒い肌を持つ美少女。側頭部の頭髪の一部が編み込まれた銀髪のその女性の名は、《ティナ・マグ・ファラン》。彼女もその名のとおり、ソラスの子。第参皇女である。


 そして、オルタの左隣には、不自然な空間があけられている。そこには、本来なら帝国大三軍のひとつであり、暗殺・諜報活動を担う百影将軍、ゲアラハ・ジス・バルブレアが居るはずの場所であった。


 その空間から間をおいて、ティナが控える右側には、ローブを目深に被った百影の幹部が皆と同様に膝まづいている。


 皇帝の間に充満する重い沈黙は、玉座の前の床に敷かれた石の冷たさをさらに際立たせていた。


 漆黒のローブに身を包んだ百影の幹部は、頭を下げたままその沈黙を破り口を開いた。


「我々、百影の四番隊が王国と繋がりを持って工作を働いていたことは、ご報告の通りにございます」


 四番隊と王国との繋がりは、レクイウム連合王国の内通者から、ソラス宛に届けられた密書により、つい先日明らかとなったことだった。彼は言葉を区切り、ソラスからの言葉の有無を待つ。それが無いことを確認し、報告を続ける。


「四番隊の掃討に、身辺隊とともに向かわれた将軍は、《グレスク》とバイレスリーヴの『境界にて待機中』との報告あり。バイレスリーヴ内での有形力行使の許可を求めておいでです」


 彼は再びソラスの反応を伺う。


「うむ…私の、そなたらへの信用は地に堕ちたぞ。これはゼーデン始まって以来の大失態だ。私は恥を忍んで古き友を頼り、奴らの討伐を命じている」


 ソラスは重々しい言葉を放った。報告を行った百影幹部は、その言葉を聞き、心臓が鷲摑みされるような感覚に陥った。


「腐った果実は、周りにも腐敗を伝播させるものだ。百影が何処まで腐っているのか…もはや判断がつかぬ故、如何にゲアラハの求めであっても、安易に応じるわけにはいかぬ」


 その場の誰もが、呼吸すら憚るように身動き一つせずに彼の言葉を拝聴している。帝の怒りから発する重圧は、空気中のわずかな湿気さえ凍らせるかのようだった。


「忌々しい…。我が友、《ガラルフ》を屠った者どもが、この城の中に居ようとはな」


 ソラスの言葉は、単なる皇帝の怒りではなかった。ガラルフ・バルクシフは、ソラスがカースランとそうであるように、その立場によらず固い絆で結ばれていた友だったのだ。


 ソラスの静かな怒りは、彼の瞳に冷たい、しかし燃え盛る琥珀色の炎を燃え上がらせた。


「カースラン。血の匂いに当てられた『蜥蜴共』の侵攻は、完全に跳ね退けたのだろうな」


 ソラスのその言葉の意味。それは、帝国の北東に広がる大樹海のさらに向こう…黄泉砂漠に住むリザードマンらが、王国を背後から支配する《血の間の支配者》らに唆されて起こしたゼーデンへのゲリラ的な侵攻戦の結末を語るものだ。


 彼の声は、怒りに震えるのではなく、むしろ刃物のように鋭く研ぎ澄まされていた。その尋問は、返答を許さない、絶対的な確認の圧力を含んでいた。


「はっ…想定以上の時間と犠牲を割いてしまいましたが」


 カースランは、頭を低くして応えた。


 帝国は、ここ1年ほど、リザードマンらの猛攻への対処に力を削がれていた。最近、その首魁を捕らえたことで、その背後には、王国の工作があったことが判明している。玉座に座るソラスの影は長く伸び、その報復の意志が、石造りの部屋全体を冷たい決意で満たしていた。


「オルタ。私はこれまで借りは必ず返してきた男だ。百影の今の件が片付いたら…その借りを返そうと考えている」


 ソラスは、カースランからオルタへと視線を移し、その琥珀色の瞳の鋭さを緩めることはなかった。その言葉は、次に千弓軍に課されるであろう、過酷な任務の予告であった。


「私は、常に陛下の弓でございます。どんな敵でも、どんな距離からでも射止めてご覧に入れましょう」


 オルタは、跪いたまま、その端正な顔立ちに寸分の揺るぎない自信を浮かべ、剣が交わるような鋭さをもって即座に応えた。


「話が早い。流石だ、オルタ。だが、主役はあくまで大地を踏みしめる騎兵だ。どうか、カースラン」


 ソラスはオルタの返答に満足し、カースランへと視線を戻す。その瞳には、すでに戦場の血潮が見えているかのようであった。


「はっ、我々も、常にそのつもりで鍛錬に励んでおります。この命、いつでもこの国に捧げる所存でございます」


 カースランは、その重い言葉を噛みしめるように深く頭を垂れた。万騎軍の将軍としての責務の重さが、その白い髪の男の肩にのしかかっている。


 カースランの返答を聞き、ソラスは深く息を吸い込んだ。その一瞬の静寂が、部屋の隅々にまで緊張の極致を伝播させた。


「よろしい。ならば…準備を始めよ。100年ぶりとなる戦争の準備を!」


 ■ ■ ■


 ソラスがその威厳と共に玉座から立ち去り、重々しい足音が遠ざかると、皇帝の間に残された将軍たちの間には、氷が解けるような、それでいて新たな重圧を帯びた沈黙が訪れた。


 玉座の段下。


「いやぁ、俺のところも、替えの利かない、貴重な魔法使い達をかなりの数失った。王国との戦争は、ガチンコ勝負だとかなり厳しいのが本音だ」


 オルタは眉をひそめて後頭部に手を当てた。彼のブロンドの髪を固める仕草は、困惑と苛立ちを同時に示していた。


「お前さんがそう言うなら、よっぽどなのだろうな。確かに、100年前とは両岸情勢も様変わりしている。百影もアレだ。レクイウムだけでなくザーラムにまで対処できるほど、我が国の体力は無いだろう」


 カースランはオルタと、黄泉砂漠でのリザードマン掃討戦で失った兵力と、百影の失態等について、重い声で話している。


 その隣に控える第弌皇女のジーナに、第参皇女のティナが静かに近寄った。


「ジーナ姉。聞いた?」


 ジーナは視線だけティナの方へと向ける。


「何のことだ」


 ティナは、視線を左右に動かし、カースランとオルタの意識がこちらへ向いていないことを確認した後、さらに声を潜めた。


「ウィスカ姉のこと」


「…ウィスカがどうしたというのだ」


 ジーナはピクリとも動かない。しかし、その言葉は若干の不安の気配を帯び微かに揺らいだ。彼女の鉄のような表情の奥に、ほんの一瞬、亀裂が入るような動揺が走った。


「連絡が途絶えたって、父上の近衛が話してた」


「なに…」


 ジーナは流石に我慢しきれず、わずかに身体を傾け、身体ごとティナの方を向けた。


「ウィスカ姉は突っ走る性格だから。無事だといいけど」


 ジーナの表情が、みるみるうちに青ざめていく。


「父上は…そのことを知っているのか」


「知っているよ。でも、無反応だったみたい。父上は私たちが死んでも、きっと何も感じないよ。むしろ『国の犠牲となった誉れだ』と喜んでおしまいだろうね」


 ティナはつまらなさそうな、諦観が混じった表情を浮かべている。


「……国を背負っているのだ。父上は。それに私たちは一人前の戦士。死ぬことくらい常に覚悟している筈だろう」


 そう話すジーナの声は皮肉にも震えていた。ティナはそんなジーナの様子を見て、小さく息をついた。


「では、ゲアラハが戻り次第、改めて全軍会議を招集しよう。皇帝陛下の意向は変わらぬ」


「そうかもね」


 ティナは、カースランとオルタの話が終わりそうになる気配を感じ、ジーナから離れようとした。


「ザーラム……だったな。ウィスカは潜入しているのは」


 ジーナは離れようとするティナに問いかけた。


「うん!」


 ティナは、カースランたちへ向き直るジーナの背中を見つめ、その姿に安堵の息を漏らした。


 その背中は、ウィスカと共にずっと頼りにしてきた、冷たさの中に揺るぎない強さを秘めた頼もしき姉の背中だった。

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