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S-84 「蜂蜜飴、食べるかい?」

バイレスリーヴ領南/農村ダマン【視点:世界(観測者)】


 ドチャッ……。


 鈍く、湿った音が響いた。ウィルの視界の中で、振り上げられた山賊の右腕が、肘から先を失って地面に落ちた。断面から鮮血が噴き出す。


「おっ、お前……腕……」


 山賊が呆然と自身の欠損を見つめる。その額に、指先ほどの小さな穴が空いた。理解も絶叫も間に合わない。次の瞬間、彼の体の至る所が内側から弾けたようにバラバラになり、肉塊となって崩れ落ちた。


「っ?!」


 最も離れた場所に立っていた山賊は、何が起きたのか理解できず、血走った目で辺りを見回す。仲間たちの動きは止まっていた。皆、額に小さな風穴を開け、糸が切れた操り人形のように、音もなくその場に崩れ落ちていく。


「なあっ?!な……」


 恐怖に顔を引き攣らせた彼もまた、額に冷たい衝撃を感じた瞬間、視界が暗転した。ドサリ、と死体が積み重なる。


 崩れた山賊の背後には、何者かの人影が佇んでいた。


「やっぱり……。あの時のキミだ……」


 ウィルは、その人物が誰なのかを本能で理解した。冒険者ギルドで出会った、あの不思議な雰囲気の女性。


「お……お姉ぇちゃんは……」


 その人物は、快晴の日の遠浅の海のような、深く美しい青い髪と、透き通る貝殻のように白い肌を持つ女性。イルだった。彼女の足元には、血だまりが広がっているが、彼女自身には返り血ひとつ付いていない。


 彼女の後ろから、イルと同年代くらいに見える、銀髪の青年が黒馬に乗ってやってくる。ノエルだ。彼は惨状を見て息を呑んだ。


 ウィルは、原形を留めない山賊の無惨な残骸と、彼女の凛とした立ち姿を見比べて、何がどうなったのか全く理解できずに震えている。


「……キミは、いったい何をしたんだ……。恐ろしい……」


 ノエルも、ウィルと同様の驚愕と恐怖を混ぜた反応を示した。商業者ギルドの若頭として修羅場は見てきたつもりだったが、これは「戦闘」ではない。「処理」だ。

「こうしないと、善良なこの子が殺されてたから」


 イルは、表情を変えることなく淡々と答えた。そこに殺生への忌避感や、高揚感はない。ただ、作業を終えただけという風情だ。



「確かに、そうだけど……」


 ノエルは、反論の言葉が見つからなかった。


 ウィルとオーニャ、ドルカは、濃厚な血の匂いが立ち込める中で、互いに身を寄せ合って縮こまっている。


「あんた、大丈夫か!?」


 離れたところから、恐怖に竦んでいた村人たちが、ようやく事態を飲み込んで近づいてきた。


「イル、行こう。人が集まってきた」


 ノエルは、逸る気持ちを抑え、イルに促した。これ以上ここにいれば、騒ぎになる。


「うん。じゃあね」


 とイル。二人は、まるで何事もなかったかのように、黒馬に乗ってその場を走り去っていった。蹄の音が土埃を巻き上げる。ウィルは、あまりの壮絶な光景に、助けてもらった礼を言うことすら出来ず、ただ遠ざかる背中を見つめ続けた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ領南/街道【商業者ギルド若頭ノエル視点】


 新人のイルを従え、任務の目的地へと向かう道中。彼女と、彼女の内に潜む幽霊少年ルトの他愛もない会話の内容が、馬の足音と風を切る音に遮られて断片的に聞こえてくる。


 そんな中、イルは獣のような鋭い嗅覚で血の匂いを感じ取ったかのように、馬を走らせる速度を急激に早めたのだ。彼女の視線の先に目を向けると、栗色の馬に乗った複数人の人影と、首をはねられて倒れる農夫たちの姿が視界に入った。


『ノエル、あれ、殺すから』


 そう言い放ったイルは、恐らく「何か」をした。指先を向けただけに見えた。


 その直後、男の子に剣を振り上げていた野盗が、まるで強い風に晒されたタンポポの綿毛が崩壊するが如く、バラバラに崩れたのだ。


 彼女はその勢いのまま、馬から靭やかに飛び降り、一人の野盗の背後へ降り立つ。と同時に、子供達を囲んでいた野盗達は、糸の切れた人形の如く、次々と崩れ込んでいった。


 そして、最後に残った野盗の一人の後頭部を指さした瞬間。彼女の指先から、透明で極細の何かが野盗の頭に向かって放たれ、その野盗も同様に地に伏したのだ。


 それは、戦いというより、まるで家畜を屠殺するかのような無機質な作業。その光景を目の当たりにし、喉の奥が引き攣った。


「……では、改めて……。どうしたらあんな事が?」


 農村からしばらく離れ、人の気配を感じなくなったところで、馬の速度を緩め、精いっぱいの冷静を装いイルに尋ねた。


「うーんと……秘密かな」


 彼女は、まるで子供の質問をかわすように、わざとらしく笑ってごまかした。


『……イルは、水氷魔術の収束率を操作したのです』


 彼女の肩から、淡い紫に発光する幽霊少年、ルトが現れて、困惑する俺を見兼ねて暴露した。


「あっ!ルト、何勝手に話してんの!」


 とイルは拗ねたように咎める。


「いや、魔法を扱えない者に、今の説明で分かると思っているのか?」


 ルトは暴露した気になっているようだが、自分には全くピンとこない説明だった。彼は、そんな凡人の思考を察したように、肩をすくめた。


『これは失礼。……彼女は、決闘大会に乱入した《ルタルタ》が使っていたような激流を放つ水氷魔法を、極限まで圧縮し、糸のように細く、強い勢いをつけて放つよう調整しているのです。結果、どんな硬い物質でも穿ち、切断することができる』


 ウォーターカッターのようなものか。それも見えないほどの極細の。


『彼女はそれを、指先だけでなく、尾からも発動させることができます。更にはその尾もバラバラに分離・浮遊させ、意思を伝播させて飛ばすことで、遠隔の標的にすら……うぅ……苦しい……』


 得意げにその原理を解説していたルトが、紫色の霊体を青白く変化させ、苦悶の表情でイルの体の中には引っ込んだ。イルがルトのお喋りを咎めるため、内側から何らかの干渉をしたのだろう。


 それはさておき。イルがヴュールの姿を現した時に見せた、あの背骨の様な太くて黒い尾。彼女はあれを分離させて飛ばしたのか。骨が飛んでいくのは見えなかった。もしかしたら彼女は、人の姿に化けられるだけでなく、別の姿に形を変えたり、不可視化することもできるのかもしれない。だが、仮にそんな事ができるならば、諜報組織の常識が覆ってしまう。


 しかも……。


「自分は、魔法の知識に疎い。だけど、イルは少なくとも、魔法を唱えているようには見えなかったが」


 剣術に限界を感じたとき、魔法が使えればと、魔術に関する本を読み漁ったことがあった。結局、自分には適性がなく、魔法を使えない事を知って絶望しただけとなったが、並程度の知識は付けている。その知識によれば、魔法を使う場合、詠唱は絶対だということ。イルが事前詠唱や短縮詠唱をしている余裕は、あの一瞬には無かった。にも関わらず魔法効果が発動したことに、理解が及ばなかった。


『……それは、イルは呪文の構築式プロセスを介さない方法で、魔力を行使しているからです。どういう原理かは、僕にも完全には解析できていませんが……ぁぁあ!苦しい……』


 ルトが頭だけを出してそう話す。彼が並々ならぬ意志を持った少年だと理解した。


「私のこと何でもかんでも喋りすぎ!普段からそんなにお喋りだっけ!?」


 イルは、ルトの対応が珍しいことと、機密を漏らされた不満で声を荒げた。


 呪文を唱えずに魔法を行使する?本の知識ではありえない。一瞬、ヴュールは皆、そうするのかと思ったが、決闘大会を襲撃してきたルタルタも唱えていた事を思い出すと、彼女は特別なのだろう。


 呪文を唱えることなく、見えない尾を飛ばし、あらゆる角度から不可視の刃を放ち、対象を暗殺できる。しかも、ルトという、常識はずれの魔術師も身体の中に潜んでいる。


 彼女らが、味方のうちはいいが、もし敵に回ったとしたら……。あの山賊のように、気づいたら身体がバラバラにされているなんてこともあるのだろうか。


(……冗談じゃない)


 背筋に冷たい汗が伝う。ただ、これだけは言える。常識というタガを外れた彼女は、間違いなく、バイレスリーヴが握っておくべき「超戦力」だ。


 もはや、ヴュールだという過剰反応など捨てた方がいい。理性的で理知的なヴュールは、ドワーフやエルフ、リザードマンやナーガと何が違うのか。何も違わない。彼女を扱いきれず、手放してしまうのは、愚か者のすることだ。我々《黒き監視団スカル・ズーヴ》は、彼女を全力で囲い込まなければいけない。


 俺はイルとルトを見つめ、自らの認識を改めた。恐怖を飲み込み、商人の顔を張り付ける。


「……ということで。蜂蜜飴、食べるかい?」


 飼い慣らすなら先ずは餌付けから。鞄からとっておきの高級甘味を取り出し、彼女に差し出した。


「え?……何が『ということ?』」

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