S-83 ドチャッ……。
バイレスリーヴ領南/農村ダマン【視点:世界(観測者)】
バイレスリーヴの最も南に位置する、小さな村ダマン。中央平野から南の山脈へと繋がる街道の脇で、収穫を待つ冬小麦が、山脈から吹き下ろす風にその黄金の穂を揺らしていた。大陸の東西をつなぐ《巨大海門》の関所から、都を目指す商人たちが一息つくこの村は、旅人の休息地としても賑わいを見せている。
オリアンが新たな国家元首に就任し三週間。その報は、バイレスリーヴの全ての地方へ届いていた。引き篭もりだった前元首の息子。その手腕を、地方の長や農民たちは警戒と疑念を持って注視していた。
「何か新しい事をやりたがるのは良いが、儂らの負担が増えるような、余計なことだけはしてほしくないな」
「全くだ。こちとら汗水垂らして、やっとのことで食い繋いでいるというのに……」
土埃と小麦の粉が舞う脱穀場の側。立ち話をしている農夫たちの顔には、収穫期の疲労と、若き国家元首への不安が深く刻まれている。
「大丈夫だよ!オリアン兄ちゃんは僕たちのことも、しっかり考えてくれる人だから!」
「ニャアァン」
重苦しい空気を切り裂くように、明るい声が割り込んだ。栗色の髪をした少年、ウィル。かつて冒険者ギルドで、オリアンとイルに助けられた孤児院出身の少年は、今は自立してこの村で暮らしていた。
彼の足元には、艶のある黒い毛並みを持ったロルガドーアの子、《ドルカ》が従順に寄り添っている。
「おぉ、ボウズ。なんだ?新しい元首にやけに肩入れするなぁ」
農夫は、親しげに彼に話しかける。
「まぁね!」
ウィルは誇らしげな笑みを浮かべて、それ以上の説明はせずに、鎌で刈り取られた冬小麦をせっせと脱穀場へと運ぶ。彼は、先の決闘大会の賭けで大穴を当て、一生遊んで暮らせるほどの大金を手にした。だが彼は、若くして自立する道を選んだ。故郷に戻り、空き家だった実家を買い取り、農地を購入。近所の農夫の見習いをしながら、小麦農家としてのノウハウを懸命に学んでいる最中だった。
「ウィル!」
彼の元に、柳の枝で編み込まれた籠を持った、同年代くらいの赤毛の女の子が笑顔で駆け寄ってきた。
「オーニャ!どうしたの?」
ウィルは目を丸くして手を止める。
「お昼ご飯、作ってきたの。一緒に食べましょ」
とオーニャ。ウィルは農夫たちに伺うような視線をやる。
「おっと、もうそんな時間か。いいぞ少年。行ってこい」
農夫は二人の間の甘酸っぱい空気を読み、片目をつぶって親指を立てた。
ウィルとオーニャは幼馴染だ。両親を亡くしたウィルが孤児院に入れられた事で離れ離れになっていたが、彼が村に戻ってきたことを、オーニャは誰よりも喜んだ。
彼女はずっと、優しい心を持つウィルに、秘めた好意を抱いていたからだ。帰ってきたウィルは、以前より少し背が伸び、大人びて見えた。そんな彼に、オーニャの想いはさらに深まっていた。
二人は、街道脇のジャナの木陰に並んで座った。木漏れ日が揺れる中、オーニャ手製のブルーベリージャムと、蜂蜜をたっぷりと塗った素朴なパンを頬張る。
「……甘すぎない?」
オーニャは、不安そうにウィルの顔を覗き込む。
「ううん、とっても美味しい!」
ウィルは、口の端にジャムをつけながら満面の笑みで答えた。
「良かった……。おばあちゃんに教わったの。うちの裏庭でいっぱい採れたのよ」
オーニャは安堵の表情を浮かべ、はにかんだ。
「オーニャのおばあちゃん、料理得意だもんね。オーニャもそれを受け継いでるよ」
ウィルは確信を持ってそう伝えた。
「えへへ……そうかな」
オーニャは顔を赤らめ、膝を抱えて嬉しそうに微笑んだ。平和な午後。黄金色の小麦畑と、優しい風。この穏やかな時間が、いつまでも続くと思っていた。
その時。村へ通じる街道の向こうから、地響きが聞こえた。栗色の頑強な馬に乗った五、六人の男たちが、砂埃を上げて、ウィルたちが休んでいる方へと向かってくる。
「冒険者かな……いや……ちょっと違うか」
ウィルが呟いた、その直後だった。
男たちは、速度を緩めることなく脱穀場へ突っ込んだ。そして、先ほどまでウィルと話していた農夫たちとのすれ違い様に、腰から片手剣を抜き放った。
ザンッ!!
騎馬の勢いのまま、躊躇なく振るわれた刃が、農夫の首を跳ね飛ばした。甲高く鋭い悲鳴。黄金の小麦畑に、鮮血の雨が降り注ぐ。
「なっ……山賊だッ!」
「いやっ……いやぁっ!」
平和な日常は、瞬きする間に地獄へと変わった。ウィルは恐れと怒りを込めた声を上げ、震えるオーニャの手を力強く引く。
「逃げるんだ!オーニャ!」
ロルガドーアの子、ドルカと共に、その場から必死で走り出す。
「ハァッ!ひゃはは!ほれほれ、逃げろ逃げろ!」
背後からは、馬の蹄が乾いた地面を蹴る音と、山賊たちの下卑た笑い声が迫ってくる。彼らはすぐに追いつくことができるのに、あえて距離を保ち、獲物が恐怖に逃げ惑う様を楽しんでいるのだ。
ヒュンッ!
山賊の一人が馬上から剣を振りかざし、逃げるオーニャの頭を狙って戯れに振るった。
「危ない!」
ウィルは反射的にオーニャの腕を思いっきり引き寄せる。
シャリッ。
オーニャの長い三つ編みの毛先が切られ、切断された赤毛が虚しく砂埃に舞った。あと数センチで、首が飛んでいた。
オーニャを引きつけた勢いで、二人はもつれ合って地面に倒れ込んだ。すぐに山賊たちが馬に乗ったまま二人を取り囲む。荒い馬の息遣いと、山賊たちの汗と鉄の匂いが、ウィルたちを圧迫する。
「へっへっへ、ションベン臭そうなガキだが……ひひひひ」
山賊の一人が、汚い涎を垂らして笑い、馬から降りてきた。その目は、人間を見る目ではない。壊して遊ぶ玩具を見る目だ。
「居心地が良かった廃坑のアジトを追われた腹いせだ。男のガキは引きずり回しの刑、女のガキはまわしちまおうや。ひゃはは!」
別の山賊も、邪悪な目をぎらつかせながら馬から降りる。
ふと、ウィルの視線が、山賊の乗っている馬の鞍に釘付けになった。そこには、縄で括られた「人の形をした肉塊」が引きずられるように縛り付けられていた。原型を留めていないそれは、どこかの村の誰かが、彼らの犠牲となり、道中ずっと引きずられて弄ばれた成れの果てだ。
「フゥゥゥーッ!!」
ドルカは、山賊たちの前に飛び出し、牙を剥き、全身の毛を逆立てて必死の威嚇をした。
「あぁ?なんだコイツ……鬱陶しい」
山賊の一人が、興奮を冷ますように、無造作にドルカを蹴り飛ばそうとした。
「やめろ!」
ウィルが反射的に体を割り込ませ、ドルカを庇う。
ドゴッ!
ウィルの横腹に、鉄板の入ったブーツのつま先がめり込む。
「うぐっ……!」
ウィルはその勢いで地面を転げながらも、ドルカを抱きかかえ、悲鳴を上げるオーニャの前でよろよろと立ち上がった。口から血が垂れる。
「オーニャ!ドルカと逃げて!」
ウィルはドルカをオーニャに押し付け、叫んだ。
「あ?なんだコイツ……カッコつけやがって!」
山賊は苛立ち、ウィルの腹部に強烈な膝蹴りを放つ。
「がっ……うぐぅッ!!」
躱すことなどできない。胃液が逆流し、彼は泥の上にうずくまって悶絶する。
「ウィル!」
オーニャが泣き叫ぶ。山賊達は、ウィルの正義感溢れる行動が癇に障ったようで、次々と馬を降りて二人に迫ってきた。
「コイツ、うぜえな。……首、撥ねちまうべ!」
山賊の一人が、剣を高く振りかざした。ぎらりと光る冷たい刃が、ウィルの首筋に狙いを定める。
「やめてっ!お願い!」
オーニャが恐怖に歪んだ絶叫を上げる。ウィルは身体を硬直させ、ぎゅっと目を閉じた。死ぬ。殺される。
「クッ……」
その時。
ドチャッ……。
奇妙に湿った音が、ウィルの耳元で響いた。




