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S-80 「あの時は楽しかったな……犬っころ狩り」

挿絵(By みてみん)

血の間の支配者たち(左から、ヴェルメリオ、メラハ、ソルフ、バルロフ、エリュトロン)

血の間【視点:世界(観測者)】


 金と黒、深い赤を中心とした豪奢な装飾が、ランプの揺らめく炎の光に照らされる。


 窓のない、閉ざされた、淀んだ空気の部屋。その空気は、甘ったるい香と、錆びた鉄のような生臭い血の匂いが混じり合い、粘質的に空間に滞留している。


 その場所は、この世界で最も豪奢できらびやかな、そして最も汚れた王座の間だろう。そこに置かれるすべての品々は、幾つもの命を奪い、あらゆる贅を尽くしてつくられたものばかりだ。


 そんな暗く淀んだ美しき世界を統べるよう、階段の上に設けられた王座に、肩肘をついて退屈そうに鎮座する男は、大きな欠伸をした。


 後ろに流され、固められた黒く艶やかな髪。シミ一つない真っ白な肌。際立ったような鮮烈な赤い口内。そして、鋭く尖った上顎の犬歯。欠伸を戻したその顔は、絵画の様に容姿端麗な吸血種の王、ソルフ。


 その視線の先には、一糸まとわず、冷たい石床に跪き、頭を床に擦り付けながら必死な形相で何かを懇願する若い女がいた。


「……つまらぬ」


 ソルフはそう呟き、掌を握りつぶすように閉じた。若い女は小さな悲鳴を上げた。その途端に彼女は全身を波打たせ悶え苦しみ、大量の血を吐きながら絶命する。床の大理石が赤黒く汚れた。


「ソルフ……これでは『嘆願』の意味がありませぬ」


 王座と横並びの、わずかに小さな椅子に座る女が、諦めのため息混じりに呟いた。その女、メラハは、黒く艶やかな髪を持ち、その後ろ髪の一部は結い束ねられている。真っ白できめ細やかな肌と、鋭く尖った犬歯が覗く紅の口内が特徴的な、ソルフに負けず劣らない妖艶な美形だ。


「血肉どもの『嘆願』は『座興』なのだよ、メラハ」


 ソルフは口を歪ませて、絶命した女を見下ろす。その瞳には、一片の興味すら見られない。

「この血肉、新鮮なうちに食っていいか?」


 ソルフが見下ろした先に控える、彼らより若干若い見た目の黒髪の美青年、ヴェルメリオが、絶命した女の側でしゃがみ込み、髪の毛を掴んで死体を持ち上げる。彼の大きく赤い口は開けられ、今にも噛みつきたいと言った様子。


 その姿は獲物を前にした美しき獣そのものだった。


「ヴェルメリオ!貴方はどうしてそういやしいの?そのような死体など……本来ならば掃き捨てるもの」


 メラハは、苛立ちと嫌悪感を露わにし、その美青年、ヴェルメリオの行動を制した。


「うるせぇな……オバさんは。なぁ、エリュトロン」


 美青年ヴェルメリオは、メラハの言葉に顔をしかめ、部屋の端に控えていた長い黒髪をもつ美男子に声をかけた。


「坊ちゃん。私からも、そのような振る舞いは控えていただきたい」


 エリュトロンと呼ばれた男は、心底困惑しているという様子で、静かに頭を下げた。その表情には、ヴェルメリオの扱いへの心労が垣間見える。


「して、メラハ様。ご報告が」


 とエリュトロンは、この面倒な話題を変えるべく、王座に対する畏敬を払いつつ進言した。


「何?今言うこと?」


 メラハは不機嫌そうに、エリュトロンを睨んだ。


「それを言われると、何も言えなくなりますが……」


 とエリュトロンは、苦笑いを交えて応じる。


「ふふ、言いなさい」


 メラハは彼の返答に満足し、一転して、愉快そうな笑みを浮かべ、彼の報告を促した。


「私が帝国に置いていた優秀な眷属達が、その尾を捕まれ、追われているようです」


「ははは!優秀ならば己の尾くらいうまく隠すはずだが」


 ソルフは大声で笑い、痛烈に指摘する。


「そんなもの、捨て置けば良いでしょう」


 メラハも冷淡に切り捨てる。


「いやいや、その者の中には、20年来私に仕えてきた者もおります故、愛着もひとしおでして……。捨てるのは惜しいと考えております」


 エリュトロンは、主人の冷たさを理解していながらも、彼の冷静な顔には僅かな懇願が滲んでいた。


「そう。我々の諸工作を統べる貴方が言うならば、そうなんでしょう。で、どうしたいと?」


 とメラハは、同意を示した。


「彼を派遣しようと……」


 とエリュトロン。その視線の先には、彼らとは反対側の壁際に、美しき彼らの中でも、特に際立って端正な容姿を持つ美青年が、壁にもたれかかっていた。


 メラハはソルフに視線をやる。


「ふん。良いだろう。お前は私以上に暇を持て余している。なぁ、バルロフよ」


 ソルフは、彼、バルロフが退屈しのぎの駒となることを望むように言った。


「……身に余る光栄」


 バルロフと呼ばれた美青年は、深く淀んだ瞳に微かな諦観を湛えて答える。彼は、常にこの血の間の空気に馴染めていないかのように見えた。


「それ、俺が行くから。こんな『半端者』には任せられないだろ」


 と横からヴェルメリオが、割り込んできた。その目には、退屈を破る獲物を見つけた興奮が宿っている。


「ぼ、坊ちゃんが?!」


 とエリュトロンは、驚きと不安で言葉を詰まらせた。


「駄目よ!貴方、10年前もめちゃくちゃやって……母さん、その後始末が大変だったのよ!?」


 メラハは、過去の経験からの懸念を滲ませ叫んだ。


「10年?あぁ、あの時は楽しかったな……犬っころ狩り。てことで、行ってくるから」


 ヴェルメリオは、無邪気な笑みを浮かべ、未だ床に転がっていた女の髪を引っ張って死体を引きずりながら、部屋から出ていく。床に血の跡が一直線に残る。


「貴方、あの子に何か言ってあげて!」


 とメラハは、ソルフに助けを求めるような視線を送った。


「ヴェルメリオ!」


 ソルフは、彼を呼び止めた。


「なんだよ……父さん」


 とヴェルメリオは、振り向きもせず返事をした。その背中には僅かに緊張が感じられる。


「楽しんでこい」


 ソルフは、彼の残忍性を楽しんでいるかのように告げた。ヴェルメリオは、父から咎められなかったことに安堵しつつ、バルロフを一瞥しその場を後にした。


 バルロフは彼の視線に気付きながらも、反応を示さず、ただ静かに虚空を見つめている。


「貴方!」


 メラハはソルフに訴える。


「アイツも退屈なんだ。少しは楽しませてやっても良いだろう」


 ソルフは、寛大にそう語る。


「そうやって送り出すのは貴方、揉み消すのは私やエリュトロンなのよ」


 メラハは、ため息をついて額に手を当てた。二人はヴェルメリオの暴走を懸念するばかりで、その身の心配は一切しない。何故なら、彼が人間に敗北する事などあり得ないと考えているからだ。


「ははは、それもまた一興。案ずるでない、私がうまく立ち回れるよう、ハイデス様に祈っておこう」


「ハイデス様には……私からも……祈りを捧げておきます。面倒事は御免だって」


 ヴェルメリオの行動と、目に見える結末に、深くため息をついたエリュトロン。そんな彼の薬指の指輪が光り、微かな振動と共に眷属から連絡が入った。


「どうした?」


 エリュトロンは、壁のほうを向き、闇と向かいあった。


「……館の使用人になれました。今後は対象と更に距離を縮め、信頼を深めていきます」


 か細い女性の声が、彼の耳に届く。その声には、成功を収めた安堵と、密命への重圧が混じっていた。


「よろしい……取り組みを継続しなさい」


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