S-78 「ただひたすらに、主の影となる」
バイレスリーヴ/地下/拠点ウーガ・ダール【視点:世界】
ディナリエルは話を区切ると、ノエルが部屋の入り口から現れた。続いて、ブロンドの髪を整え、伝統的なバイレスリーヴ元首の礼服を着た青年、オリアンを招き入れた。その優しそうな顔立ちのなかに、以前のような弱さはなく、強い光を湛える瞳が煌めいていた。
円卓に着座していた常闇の影たちは音もなく立ち上がり、胸に手を当てて首を垂れる。
ノエルは、オリアンを先導し、円卓の最も豪奢な空席に案内した。オリアンは、異形の者たちが放つ威圧感の中にあっても戸惑いを見せることなく、案内された椅子に腰掛け、円卓の面々を見渡した。
「先日、第36代バイレスリーヴ元首となった、オリアン・ワードベックです」
「信仰を護りし始祖の血が、我が忠誠の源。黒き監視団の誓いは、その血を継ぐオリアン・ワードベックの命にあり。彼の敵は我らの敵。夜陰に潜みし我らは、彼の見えざる刃となることを今日ここに誓う」
ディナリエルたちは、彼女の言葉に従い、恭しく彼に向かって首を垂れ、しばらくの間静止した。重厚な沈黙が、契約の重みを物語る。
ゆっくりと頭をあげたディナリエルはオリアンに告げる。
「元首オリアン・ワードベックよ。御身に流れる血潮をもって、この街の正当なる後継者たることを、常闇の神デヒメルに示し給え」
それを聞いたオリアンは、恐る恐る立ち上がる。彼の脇に控えるノエルは、彼の掌を開かせ、儀式用の鋭利な黒曜石の短剣を押し付けた。
僅かに顔を歪ませたオリアン。しかし、その表情は依然として毅然さを保っている。かつての彼から感じられた自信の無さや弱弱しさは、そこにはない。彼は、父の遺志を継ぎ、この国を背負っていく断固たる覚悟をその瞳から滲ませていた。
スパッ。オリアンの掌から、鮮血がしたたる。ノエルの案内により、オリアンは円卓を見下ろすように彫られたデヒメルの石像の足元に向かい、血が滲むその手のひらを、石像の台座に強く押し付けた。
すると、その石像は黒紫色の光を帯び、その怪しくも神秘的な光が部屋全体を照らし出した。
「血の証は、常闇の神に示された。忠誠の儀式は、完了せり。我らは、ただひたすらに、主の影となる」
デヒメルの像が放つ光の中で、オリアンは新たな元首として、この暗闇の組織に正式に受け入れられた。
「虚像の光を追うのを止めてまで、我々の星の審判を必要とする運命の交錯とは何じゃ」
儀式を終えた後、オリアン同席の下で常闇会議は開始され、開口一番でスノウシャはイルを一瞥し、ディナリエルに鋭い視線を向けた。
神妙な面持ちで、言葉を発することなく、ただその席に座っていたオリアンが、スノゥシャのその言葉を聞いて、初めて同じ部屋の隅にイルが居たことに気づき、驚くような表情を浮かべた。オリアンと視線が合ったイルは、僅かに気まずそうな表情を浮かべ、小さく手を振った。
「帝国、ゼーデンの皇帝、ソラス・マグ・ファランから直々の依頼が届いた」
ディナリエルはオリアンに目くばせをしながら、常闇の影たちにそう告げた。皆はその言葉に安易な反応をせず、意味を重く受け止めた様子で沈黙する。
このギルドは、バイレスリーヴの元首に忠誠を誓う諜報ギルドであり、彼らは基本的にバイレスリーヴの繁栄と安寧の維持、そしてその益となるよう働いている。
その根底にあるのは、彼等が信奉する「常闇の神、デヒメル」を、他国が異端とする中で、かつてのバイレスリーヴ国家元首が唯一信教の自由を容認し、彼らを庇護した事から来ている。
その系譜は現在まで続いており、その恩義に報いるため、彼等はこのバイレスリーヴの、代々の国家元首に忠誠を誓っている。だが、忠誠を誓っているわけでもない帝国からの依頼については、基本的に彼等が動くことは無い。
しかし、現皇帝直々ともなると話は違う。その理由は、「黒き監視団」の過去に遡る。
ギルドの南東拠点は、かつてクレイガンと呼ばれた小さな村そのものだった。その拠点を統べていた常闇の影は、かつての若かりし皇帝ソラスの命を救った恩人であり、その頃からソラスの信頼を得ていた人物。故に、その彼はギルドの幹部として、親友として、長きに渡りソラスと交流を持っていたのだ。
そんな彼は、ある頃、帝国で起きた重大事件に巻き込まれたことで、その事件を画策した者達から執拗に狙われた。そして、今から10年前。彼はついに、拠点として運用されていたクレイガンの村ごと焼き払われ、村人は一人を残して惨殺されたのだった。
その村の生き残りが……。
「ルガルフ。……そう、この件は、今は亡き彼の父で我々の同胞、《ガラルフ・バルクシフ》に深く関わっている」
ディナリエルは、背後に立つルガルフを名指しした。そう、皇帝ソラスの命を救い、事件に巻き込まれ殺された常闇の影は、ルガルフの父、ガラルフなのだ。
その言葉を聞いて、そこにいる者たちが僅かに動揺した。黒き監視団では、その忌々しい事件を《クレイガンの惨劇》として語り継いでおり、その頃にこの組織に属していなかった者達でも、その惨劇を知らないものは居ない。
ルガルフはその言葉を聞き、ギリリと拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込む。
「言え、ディナリエル。……我、いつでも、戦える」
ゼク・ヴェンは、その爬虫類の瞳の奥に怒りの炎を湛えている。
「話が早くて助かる。だがまだ早まるな。これは我々の10年越しの弔い合戦となるだろう。これからその依頼の内容と作戦を説明する」
■ ■ ■
バイレスリーヴ/地下/拠点ウーガ・ダール
ディナリエルは先ず、懐から皇帝ソラスから届いた手紙を取り出し、厳かに代読した。
我が友、ガラルフの同胞たちよ。
10年。我らの友を葬った仇が、今、姿を現した。
奴は、我が帝国の誇る諜報部隊《百影》に潜む、連合王国レクイウムのネズミ。
我らは、奴を暴くために多くの命を散らし、限界まで追跡した。
しかし、あと一歩及ばず、我が領地の外へ逃がしてしまった。
奴らは今、バイレスリーヴ領南方に聳える火山、《隠れ山》の麓に、ひっそりと口を開ける廃鉱山《クルーア廃坑》に潜伏しているとの情報に接している。もはや、奴を討ち、その亡骸を地に還せるのは、そなたたち以外にありえぬ。
友の同胞たちよ。我、ゼーデン帝国皇帝、ソラス・マグ・ファランは、そなたたちにこの使命を託す
ディナリエルは、手紙を円卓に置き、常闇の影達に回した。
「ネズミが潜んでいる場所は、ビヴォールの担当地域。本来なら、ビヴォールを通じて私達もその動向を察知していなければならないのだが、彼をこの拠点に引き上げさせており、かの地域の監視を緩めてしまった都市拠点、つまり私の落ち度だ。済まない」
ディナリエルの謝罪を受け、スノウシャはソラスの手紙を注意深く読み、手紙の質感や筆跡まで、細かく確認している。
「この銘を記されし紙片は何じゃ。運命の刻はいつじゃ。どの星の使者がそれを届けた」
「スノウシャ、キミの言いたいことは分かる。その手紙は本物か?だろう」
スノウシャは静かに頷く。
「これはソラスの星が記した銘に違いない。ゼーデンの羊皮が使われている故、偽りの影は薄いと見るが……星の審判に誤謬はないと断言できるか」
「私も初めにそれを確認したよ。ただ私もスノウシャと同じ見立てだ。そして、この手紙は、先日、4日前に帰路についたジーナ皇女から、皇帝直属の《早駆け》により届けられたから、まず本物とみてよいだろう。加えて、同胞たちによって、《クルーア廃坑》にそれらしき人物らが出入りしていることが確認できた」
その言葉を聞き、スノウシャは納得したようだ。
「……ルガルフ。殺す許可、与える。だが、我の血の怒り、貴様と同じ」
ゼク・ヴェンは、その手紙を読む手に力が入り、紙が僅かに軋んだ。
「ゼクさん……ありがとうございます。どちらが先か。……早いもの勝ちです」
ルガルフは不敵な笑みを浮かべ、歯を強く噛み締めた。その瞳には、暗い殺意が燃えている。
「………ノエルとヴュールは?」
ビヴォールは低い声で唸りながらディナリエルに問うた。
「そうだな、作戦案を説明しよう」
手紙をひと通り回覧したところで、ディナリエルは手紙を受け、検討していた作戦の案を説明した。
先行班はディナリエル班(ディナリエル、ルガルフ)。監視の同胞たちと交代し、様子を見て中に入る。
後追いはゼク班(ゼク、ミセイラ)。洞窟の側道から湧き出し背後を狙う輩への対応。場合によってはディナリエル班と合流し応戦。
周辺監視はスノウシャ班(スノゥシャ、ヨークス)。洞窟直近での周辺の監視。敵の援軍があった場合には対処する。
高所監視はノエルとイル。敵の援軍を認めた場合は、スノウシャ班と連携して対処する。ビヴォールは「日中の行動制限」があるため、後方支援に徹する。
相手は帝国の諜報集団、百影。命を削る戦いが予想されることから、それぞれ、戦闘力に覚えのある同胞たちを数名従えるよう告げた。
ディナリエルの作戦に、我こそは最も危険な先行班に……と、求める声は上がったものの、大筋に異論はなく、ルガルフの境遇を汲んで、最終的には皆が納得した。
「出発は準備ができ次第、班ごとに発つこと。スノウシャ班、ノエル班は周囲の事前検索を。敵は泣く子も黙る帝国の諜報部隊・百影。命を捧げる覚悟で任務に当たること。以上」
場の雰囲気を見て、言葉を発するタイミングをはかっていたオリアンが立ち上がる。
「皆さん……僕からも一言。政治的な話をして申し訳ありませんが……この厳しい任務……これが達成されれば、バイレスリーヴとして、帝国に大きな貸しができることになります」
オリアンは円卓の面々を見渡した。
「この街は今、ザーラムの脅威に晒されています。その脅威に立ち向かうため、議会の発議もあり、随分昔に大国の圧力で放棄した軍隊を再び作ろうと動いています」
オリアンは息を整える。
「もし、帝国に貸しができれば、バイレスリーヴが軍隊を持つことを帝国に容認させる事が出来るでしょう。場合によっては、その先の……ザーラム攻略に向けて、彼らから支援が得られるかも知れません」
オリアンは、円卓に両手をついた。
「これは、バイレスリーヴの今後を左右する最重要な任務です!皆さんの働きと、無事の帰還をお祈りします……。我らが常闇の神、デヒメルの加護がありますように」
彼の言葉を終えた時、その場の皆が声をそろえた。
「我らが常闇の神、デヒメルの加護がありますように!」
デヒメルの像が放つ黒紫の光が、円卓を妖しく照らしていた。
彼らは知る由もなかった。《クルーア廃坑での戦い》が、人間史上最大規模となる、凄惨な大戦争の始まりを告げる鐘となることを。




