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S-76 「オリアンさん、大好き!」

バイレスリーヴ/地下/拠点ウーガ・ダール【視点:幽霊王子ルト】


 ピタ……ピタ……。


 生足で暗く狭い通路を歩く、湿った音が重い空気の中に響く。


 ルガルフの拘束からようやく解放されたイルは、冷たい地下の湿気に肌を晒しながら、羊毛のガウン一丁という出で立ちで、広大なアジト《ウーガ・ダール》の中を歩いていた。外へと通じる通路を探して。


『……イル、気付きましたか?この場所』


 ルトが、通路を歩くイルの肩から、透き通った光を放つ上半身を浮遊させて語りかけてきた。僕の目には、この地下空間のすべてが、明暗のコントラストだけで構成された静謐な版画のように映っている。


『出口でも見つけた!?』


『いいえ。このやたらと広いアジトの構造のことです』


 出口を探し回っていたイルは、僕の意外な問いかけに、思わず苛立たしげに唇を尖らせた。


『そんなことより、出口がわかんなくて焦ってるんだけど……』


『これほどの広さの空間が、こんな大きな街の下に広がっていて、その壁はしっかりと加工された重厚な石で覆われている。……これはあのビヴォールでも、一人では到底できない所業です』


 僕は彼女の苛立ちを無視し、考察を続けた。壁面の石組み。柱の意匠。それらは、僕の記憶にある「文明」の香りを色濃く残している。


『……確かに。そう言われるとそうかも』


 イルは立ち止まり、規則的に組まれた壁の石を注視する。


 その石の加工方法は、バイレスリーヴの街で使われている石畳とは若干違う。彼女自身、最近どこかで見たことがある、見覚えのある模様だった。


 それはまさに……海に沈んだ、ルトの国の建造物に使われていた石材と同様のもの。


『もしかして……ルトの国が海に沈む前、この場所は山の上だったとか?しかもその山の上に何かあったんじゃない?神殿とか』


 イルは直感で辿り着いた推論を口にした。僕は驚き、霊体を一瞬強く明滅させた。


『……流石です。今回は素直に褒めますよ。イスカ・ファルに住んでいない貴方がその答えに一瞬で至ったのには、驚愕せざるを得ません』


『別にルトに褒められてもうれしくないんだけど……』


 イルは素っ気なく返したが、声質は僅かに高揚していた。


『およそ1400年前、国の中心からずいぶん離れたこの場所には……山を繰り抜いて作られた、巨大な神殿があったんです』


 僕の声は、静かに歴史の重みを帯びていた。かつて、母様と共に訪れた避暑地。あるいは、祈りの場。


『へぇ!じゃあ、バイレスリーヴの街は、その神殿の上に作られた街ってことなんだ』


『はい。おそらく』


 僕は静かに、懐かし気に、アジトの空気を肌で感じ取る。冷たく、淀んでいるが、そこには確かにあの時代の粒子が残っている。


『あの時の……僕が生きていた時代の空気だ……』


 僕は、霊体を微かに震わせ、この場所から1400年の歴史をたどるような神妙な表情をした。


『そういえば……なんでこの場所が長い間封鎖されてたんだろ……』


 このアジトは、長きにわたり誰にも発見されることなく、賑やかな喧騒の下で、ただただ静謐を保っていたのだ。何か、封印されるべき理由があったのか。


『分かりません。ディナリエルなら知っているかもしれませんね』


『確かに。今度聞いてみようかな』


 と、その時。イルがずっと探し求めていた、微かに差し込む陽の光の筋を見つけた。遥か頭上。石造りの井戸の底のような場所から、光が漏れている。


『あっ!あった!!!出口だ!』


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/元首の館/市街地へ向かう坂【視点:世界(観測者)】


 ガラガラ……。


 昼の鐘が鳴ってからのバイレスリーヴの空は、薄い雲がかかり、遠くの海から吹き付ける潮風に湿気を含ませていた。今にも降り出しそうな雨の予感。


 そんな空の下を、オリアンを乗せた馬車は軋みをあげながら、御者の慎重な操作で館から市街地へ向かう坂を下っていた。


 館と市街地をつなぐ潮風通りを進む途中、偶然、麻の籠を手に提げた女性とすれ違った。


 ファウラだ。


 彼女はオリアンに気づくと、明るい茶色の髪を揺らし、市井の賑わいに馴染んだ華やかな笑顔で馬車に駆け寄ってきた。


「こんにちは、オリアンさん!」


「あ、ファウラさん」


 オリアンは馬車を止めさせ、急いで降りると、御者にことわりを入れてファウラと並んで歩き始めた。彼女に近づいた時に香る、僅かな石鹸の匂い。


 イルの纏う芳醇な葡萄酒の香りとは違う、生活の温かみを感じさせる香りに、彼は僅かに緊張した。


「お買い物ですか?」


 オリアンは、ファウラの空の麻籠を見た。


「そ、そうなんですけど、実は冒険者ギルドのクエストで」


 ファウラは僅かに躊躇う様子を見せながら俯いた。


「ファウラさんは冒険者ギルド?どうして?」


 オリアンは意外に感じて尋ねた。


 彼女の説明によれば、黄金の潮風亭のグラースさんが冒険者ギルドの会長に就任したことで、店が暫く休業することになったらしい。そのため、働き先が無くなった彼女は、生活費を稼ぐために冒険者ギルドに登録し、脚が不自由な高齢者の「お使いクエスト」を受けているのだという。


「そ、そうだったんですね。グラースさんに冒険者ギルドの会長を頼んだのは僕たちです……申し訳ないことをしてしまいました」


 オリアンは心底、自責の念を感じて眉を下げた。自分の頼みが、巡り巡って彼女の生活を脅かしていたとは。


「ぜんぜん良いんですよ!寧ろ誇らしいんです。働いていたお店の店長が、ギルドの会長に加わるなんて、なかなかありませんよね?」


 ファウラはオリアンの気遣いを打ち消すように、満面の笑みを見せた。その健気さが、オリアンの胸を打つ。


 そんな二人は、賑やかな市場の喧騒と香辛料の匂いが漂う中、何気ない会話を交わしながら、都市の裏通りにある、人けのない石造りの井戸端に辿り着いた。


「オリアンさんこそ、少し疲れた顔をしていますけど……しっかり寝ていますか?」


 ファウラは立ち止まり、心配そうにオリアンの顔を覗き込んだ。その距離の近さに、彼は全身をこわばらせ、顔を赤く染めた。


「じ……じつは。最近あまり……」


 オリアンはこれまで、同年代の女性と縁が無い生活を続けてきた事もあり、こういう時の振る舞いはどうしたら良いのか分からなかった。


「手も……カサカサしてます……。たくさんの書類が油分を吸ってしまってるんですね……可哀そう」


 ファウラはオリアンの返事を待たずに、そっと彼の右手をとって、指先をなでた。その指先は温かく、優しかった。


「あっ……いや……」


 オリアンの緊張は絶頂に達し、心臓が激しく鼓動し汗が噴き出した。彼は、このままでは心臓が持たないと考え、何か別の話題は無いかと、麻痺しつつある頭で思考を巡らせた。


 ――もっと身近で貴方を支える、優秀な補佐官が必要だろう


 彼の頭に、今朝のディナリエルの言葉が響いた。


(働き者の彼女は、僕たちの都合で働き先を失い、困っている。僕には優秀な補佐官が必要。彼女は僕の理解者……)


 オリアンは、全ての欠片がカチリと音を立てて組み合わさったような感覚を覚えた。


「あ、ファウラさん……仕事探しているんですよね?」


「は、はい」


 ファウラはオリアンの手を握ったまま目を丸くした。


「館で……使用人として働いてくれませんか?ファウラさんのような働き者が居てくれると……とても助かります」


 彼女は目を潤ませて表情を緩めた。


「え、え?私なんかで良いんですか?!うれしい!絶対に、一生懸命働きますね!」


 彼女から、純粋な喜びが溢れ出している。


「オリアンさん、大好き!」


 オリアンの視界からファウラが消え、気づいたら彼女の頭が彼の胸元にあった。人気のない裏通りの井戸端で、感情の高ぶりからか、オリアンは彼女に抱きつかれていたのだ。柔らかい感触と、温かい体温。


「あっ……あの」


 オリアンの膨れ上がった感情の泡は弾け飛び、ただ顔を真っ赤にして呆然とする他なかった。イルへの崇拝にも似た想いとは違う、等身大の安らぎとときめき。


 その時。


 ガコッ……。


 二人の近くにある枯れ井戸の、重い石蓋が不自然に持ち上がった。そして、その隙間から、深海を思わせる青い髪と、病的なまでに白い肌の人影が、ぬらりと這い出てきた。


「きゃっ!」


 ファウラは驚きの声をあげ、反射的に抱きつく力を強めた。オリアンも一瞬、それが「井戸から這い出る悪霊」に見えて仰け反りそうになるが、隣のファウラの手前、元首として何とか平静を装いこらえた。


 その人影は、井戸から上半身を出し、ガウン一丁の姿で、薄雲から透ける陽の光に照らされた。


「……え?イル?」


 オリアンは驚きと拍子抜けした情けない声を出した。


「あれ?オリアンじゃん」


 羊毛のガウンを着たイルは、金色の瞳を丸くして、オリアンと共にキョトンとした顔を見せた。場違いなまでの平然とした態度。


 その時、オリアンはファウラと未だ抱き合っている状態であることに気が付く。イルの視線は、オリアンと、彼に抱きつくファウラの間を行き来する。


「あっ、これは……その」


 オリアンは狼狽して言い訳を探すようにファウラと見つめ合った後、慌てて身体を離した。


「あ……もしかして、邪魔しちゃったかな」


 イルは、胸元がはだけたガウンを無造作に整えて、気まずそうな表情で言った。そこには嫉妬も怒りもなく、ただ純粋に「間が悪かった」という困惑だけがある。


「いや……邪魔とかじゃ……」


 オリアンの視線と言葉は、またしても宙を彷徨い、その場が絶妙な空気に包まれる。


 オリアンは、この修羅場を乗り切れるほどの経験を持ち合わせていなかった。そんな凍りついた空気を、先に動かしたのはイルだった。


「私、喉乾いたから。またね」


 イルは二人に背を向け、最低限の言葉を残して、その場を足早に去っていった。まるで、逃げるように。あるいは、関心を失ったかのように。


「あっ……あのっ」


 オリアンが彼女を止めようとした言葉に、イルは全く反応しない。その背中は、すぐに路地の角を曲がって見えなくなった。


 急激に空を覆い始めた黒雲から、石畳に、ポツリと冷たい水滴が落ちた。徐々にその数が増していき、オリアンの頬を濡らす。雨の予感は、確信へと変わった。

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