S-73 「『空っぽな神ども』とは違う」
バイレスリーヴ/地下/拠点ウーガ・ダール【視点:常闇の影ディナリエル】
カン……カン……。
ビヴォールは仕事に戻り、アジトの壁の装飾の最終調整に入っている。
「人の姿に化けてると、肌が突っ張る感じがするんだよね。ここでは元の姿に戻ってもいいって考えると、いい場所ができたなぁ」
「よかったじゃないですか。受け入れてもらえて。一時はどうなるかと思いましたけど」
イルとルトは、張り詰めていた緊張が解けた様子で、円卓に突っ伏してくつろいでいる。彼女達は驚異的な適応力を持っているようだ。
そんな二人を見て、私は頭を悩ませ、思考を巡らせていた。
決闘大会への干渉で、このバイレスリーヴの未来まで変えてしまった彼女たち。幸いその結果は我々の望むところだったわけだが……。
今ある材料の中で、イルという劇薬をどう最大限に扱うか。彼女らを何処まで信用し、何処まで情報を与え、何処まで仕事を与えるか。
この組織の今の現状と、私が動かせる衛士、そして議会が掌握する冒険者ギルド。ヴュールへの対処に迫られる他国と、その必要が無いと知った我々。
それらすべてを勘案した最適な運用。そして、私の頭を悩ませている「ある案件」への対処について。
対処する問題が多すぎるが、彼女、イルを我々がうまく活かせれば、長年の懸案が、問題ではなくなる可能性すらある。今まで、ノエルやルガルフには荷が重くて任せられなかった、大局を見据えた仕事も、彼女らなら或いは……。
彼女らが、何ができて何ができないのか、見定めつつ、運用の幅を広げていこう。
ある程度考えがまとまったところで、最も優先すべき事項に対処するため、組織を動かすこととした。
「一先ず……幹部たちを招集する案件がある。ノエル、各支部に手配しておけ。《美しき夕部》は明後日だ」
ノエルは、意表を突かれた表情をするも、即座に表情を戻し、恭しく指示を受け取った。
「はい。デヒメルの加護がありますように」
詰問が終わり、ノエルは支部手配に取り掛かるため、私は「表の仕事(回診)」のため、この場を去っていった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ地下/拠点ウーガ・ダール【視点:蒼髪の少女イル】
ビヴォールは黙々と作業を続けており、アジトの広間は一時の静寂に包まれた。
『……僕が機能停止している間に、随分と面白いことになっていましたね』
ルトが私にだけ聞こえるように、頭の中で冷ややかに呟いた。
『ほんと、肝心な時に使えないよね。ルトって』
『……カンテラの特殊な波長が、僕の構成要素を乱したのです。不可抗力です』
私の嫌味を受け流し、ルトは続ける。
『記憶を改竄するなら今のうちですよ?時間が経つと、記憶が脳に定着して書き換えの難易度が上がります』
記憶って、幻妖魔法って、そういうもんなんだ。でも……。
『しないよ。私としては、嘘を取り繕うよりもずっとこの方が楽だし。あの人達、諜報を生業にしてるんでしょ?口が堅そうだから大丈夫じゃない?』
『……楽観的すぎますね。どうなることやら』
ルトは疑心暗鬼なようだが、私は、すっきりしていた。隠し事なしでいられる場所があるというのは、悪くない。
「そう言えば……この像が、《常闇の神デヒメル》なのかな?」
頭の中での会話を終え、表に声を出した。その声は、この広いホールで反響し、自分が思ったよりも大きな音で聞こえてくる。
『……おそらく。森のアジトにもありましたよ』
その石像は、頭から生えた歪んだ2本の角が特徴的な、大鎌を持つ人間の女性のような姿をしている。
ただしその者は、その背中からは、羽根のように8本の蜘蛛のような脚が生えており、その目も主眼の下に、左右それぞれ三つの目を持つ、人ならざるものであることを物語っていた。
ルトの言うとおり、確かに、黒き森のアジトにも、同じ様な石像が鎮座していた。もっと小さいものだったけど。
気づけば私は、その像の複雑な造形と、そこから漂う異様な存在感に、ついつい見惚れていた。
ノエルが去る直前にデヒメルに祈った際に生じた《エテル》の流れ。
ルトを含めて恐らく誰も感知していないだろうけど、この石像から伝播した「何か」により、この場のエテルが黒紫に変化し、徐々に透明へと戻っていくのが見えた。
この像自体には、特別な魔力が込められているようには見えないけど……。
そのエテルを私が視覚的に取り込んだ際、僅かながら、感覚が研ぎ澄まされたような気がした。
(これが、加護ってやつなのかな)
「常闇の神、デヒメルは、俺達のような日陰者が崇める古き神だ」
その場に残っていたルガルフが、私が像に興味を持っていることに気付き、独り言のように話しかけてきた。
「デヒメルは、8つの目で真実を見抜き、8つの蜘蛛の足でつまらぬものを捕らえ、人の手で尋問し、足で愚者を踏みにじり、その大鎌で命を刈り取る。いま世の中で信仰されている『空っぽな神ども』とは違う。俺が求めていた真なる神だ」
「空っぽな神ども」。そう話す彼の瞳には、言い表せないような憎悪と、深い悲しみが宿っていた。
私は、そんな彼への言葉が見つからず、ただ頷き、デヒメルの像に視線を戻す。
この像を眺めていると、不思議な感覚に陥る。最近何処かで感じた……それよりも微かで弱いんだけど……。
(そうか、《天光の結晶》を手にした時だ)
確かに、ルガルフが「真なる神」と言うだけある。そんな惹きつける力をこの像から感じた。
そこまで思考が至って……確認しておきたいことができた。
「『空っぽな神ども』っていうのは?」
この大陸に上陸して、これまで様々な人々が、様々な神に祈っている姿を見てきた。それらの神々が「空虚」だというのだろうか。
「……アンタたちヴュールに神という概念があるのかは知らないが、地上では《ウニヴェリア》という神々が広く信じられており、《世界神教団》の布教により支配的となっている。だが、そんな神々は教団が金儲けの為だけに作った空虚な偶像にすぎない。だから『空っぽ』だと言っている」
世界神教団とウニヴェリア。
書籍《新説、両岸文化論》を始めとした様々な文献でその宗教に触れられていた。
ただ、ルガルフが語るような、ウニヴェリアに対する批判的な記述は見当たらなかったため、彼の主張は地上文化を考察する上で、ある意味、とても貴重な生の声だ。
「……僕が生きていた時代には既に広く信じられていました。ウニヴェリアの歴史は相当古いはずですが」
ルトが補足する。
「そうなんだ。その神達は、キミを救わなかった……ってことかな?」
私は、彼の傷に触れそうな気がしたが、新参として、共に働く者のことをある程度知っておくことは大切だと思った。
「……あぁ。敬虔な信徒だった俺の父も、家族も、村の皆も。誰一人として奴らは救わなかった」
ルガルフは、吐き捨てるように言った。そして、話を急に打ち切った。
「……って、俺はアンタにこんな話をするつもりで、ここに残ったんじゃない」
「俺は不器用なんだ。あの日から、拳を交えないと、人を信用できなくなった」
彼は私に向き直り、ボキボキと首を鳴らした。
なるほど、理解した。確かにこの場所は広い。そして、壁や床は頑丈な石材でできている。多少暴れても問題なさそうだ。
「いいよ。やろう。実は私も嫌いじゃないんだよね。むしろ、好き寄り?」
私は椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。
「……海でのイルを観察していた僕からすれば、キミは生粋の戦闘狂ですよ」
ルトのジト目は気にしない。
「話が早くていいな。ただし、ひとつ条件がある。『魔法は使うな』。つまらなくなる」
「望むところ!」
確かに、魔法は場合によってはタイマン戦を非対称にさせる。肉体言語での会話をご所望らしい。
『……やれやれ。野蛮な儀式ですね。僕は干渉しませんので、好きにしてください』
ルトは気を利かせて私の体の中へと戻っていった。あのルトがこんなに空気が読めるようになるなんて。ちょっと感動した。ていうか、なんだか最近のルトは、やけに素直になった気がする。
「武器は」
ルガルフが問う。彼の全身の筋肉が膨張し、銀色の毛並みに覆われていく。巨大な狼人間への変貌。
「え?良いの?」
ルガルフが唸るように頷く。
「じゃ、遠慮なく」
その言葉に甘えて、私は上を向いた。大きく口を開き、喉の奥へと右手を迷いなく突っ込む。
ズッ、ヌラァァ……。
粘着質で湿った音が、薄暗い広間に響き渡る。
異物がせり上がってくる感覚。
喉の奥から引きずり出したのは、《ムィルヴォラ》と名付けた、光沢のない、黒錆に覆われた禍々しい長剣。
ヒュムオニス海から今まで、ずっと私と戦ってきた相棒だ。水滴に濡れたそれを、私は無造作に振って水気を払った。
「ははは、バケモノらしくていいな!」
ルガルフが、鋭い牙を剥き出しにして凶悪に笑った。
「そうかもだけど、キミに言われたくない」
私も笑みを返し、剣を構えた。




