S-68 「その名は捨てたんだよ……」
バイレスリーヴ/潮風通り【視点:元首オリアン】
昼を告げる鐘の音が、潮風に乗って街中に響き渡った。それを合図に、僕は今日一番の目的地である《黄金の潮風亭》へと足を向けた。
快晴の昼下がり。いつもなら外のテラス席まで客で溢れかえるこの店も、定休日の今日はひっそりと静まり返っている。周囲の喧騒からそこだけ切り離されたかのように、寂しげな佇まいだ。
扉を開けて中に入ると、油と木材の馴染んだ匂いが出迎えてくれた。店主の《グラース》が、腕組みをして難しい顔で立っている。奥では給仕係の《ファウラ》が、定休日だというのに布巾を手に掃除をしていた。
「休みのところ、すまない」
隣に立つディナリエルが、僕に先んじて頭を下げた。
「あの……話は通してあるとおりですが……」
僕は言葉を濁した。彼が、決してそれを望んでいないことを知っていたからだ。繁盛店の店主という今の地位を捨て、火中の栗を拾うような真似をさせることになる。
「あぁ、わかってるよ。分かってる」
グラースは重く吐き捨てると、掃除をするファウラを一瞥し、再び僕たちに向き直った。その眼光は鋭い。ただの料理人の目ではない。
「アンタたち議会が、俺が適任だって言うんだから、俺しかいねぇんだろうが。……もう逃げ道はねぇって、そういうことだろ」
彼の瞳には、諦めに似た光と共に、どこか吹っ切れたような、腹の据わった強い光が宿っていた。
「聞き訳が良いな。『粉砕のグラース』・ラクロイグ」
ディナリエルが、懐かしい二つ名を呼んで不敵に笑う。
「……その名は捨てたんだよ。ブーアの野郎と二つ名が似通ってて気に食わなかったしな」
グラースは、恥ずかし気に頭をガシガシとかきむしった。
そう、彼はバイレスリーヴ冒険者ギルドで最も高い実力を持つ三人の上級冒険者のうち、ブーアとザインを除く、最後の一人だ。彼は二人よりも早く上級冒険者に昇格していたが、直後にあっさりと休職し、予てからの夢だった料理店を開業。その腕前と人柄で、連日大繁盛となるこの街の象徴的な店を作り上げた。
彼の娘である《バラ》が冒険者ギルドにいるのは、父の背中を見ているからでもある。そして、彼女の父親譲りの豪快さが、ギルドの荒くれ者たちを一喝で黙らせる理由でもあった。
「……いいぜ。受ける。受けてさしあげる。もう腹はきまったんだ」
グラースは僅かに思考し、意を決したように僕とディナリエルの目をまっすぐに見つめた。その巨躯から放たれる威圧感が、頼もしい覇気へと変わる。
「ありがとうございます!!」
僕は心から頭を下げた。
「助かるよ。もうキミには足を向けて寝られないな」
ディナリエルも、安堵の息と共に謝辞を送る。
「オリアン。……エドワルドさんは、そうも軽々頭を下げなかったぜ?顔をあげろよ」
グラースは苦笑し、僕の頭を大きな手でがっしりと掴んだ。そして、子供でも撫でるかのように、わしわしと髪を掻き乱す。痛いけれど、温かい手だった。
「ふふ、はい、どうぞ」
話がひと区切りついたところで、給仕係の看板娘、ファウラが湯気の立つ茶を運んできてくれた。
「オリアンさん。三日間お店に通って、頭を下げた成果が実りましたね」
暗茶色の艶やかな髪をした彼女は、僕の目を覗き込み、儚げに微笑した。荒くれ者や冒険者が集まるこの酒場において、給仕係もそれなりに逞しい者たちが集まる中、華奢で儚げな彼女は、岩場に咲いた一輪の野花のように際立っている。それが、客たちの間で絶大な人気を誇る理由だった。
僕だって、毎回そんな顔で微笑まれたら、心がぐらついてしまう。(……グラースさんだけに)くだらない駄洒落が頭をよぎるほどに、僕は動揺していた。
その後、温かい茶をいただいた僕たちは、改めてグラースに頭を下げて店を後にした。冒険者ギルドが新体制となり、新たな船出となることを確信しながら。
■ ■ ■
黄金の潮風亭から出たところで、ディナリエルは予定された診療のため、患者の元へ向かった。流石「バイレスリーヴで最も忙しい人物」。
一日のスケジュールが濃密すぎて、僕ではとてもついていけない。
父も生前、「困ったらディナリエルを頼れ」と言っていたほど信頼を置いていた。人と関わりを持たなかった僕は、彼女のことを殆ど知らなかったけれど、こうして一緒に動いてみると、その言葉は真実なんだと改めて感じる。(まさに「影の元首」って感じだ……)
「オリアンさん、いまからどちらへ?」
店の前でディナリエルと別れたところで、背後から鈴のような声がした。
振り返ると、ファウラが店から出てきていた。エプロンを外している。どうやら仕事を終えたようだ。
「え、えっと……昼の鐘がなるまでは、少し街を見て回ろうとおもってます。ずっと引きこもってたので……街のことにあまり詳しくなくて」
どうしても話すときは自虐要素が入ってしまう。染み付いた臆病者の性なのか。
「私で良ければ案内しましょうか?仕事も終わったし。このあと予定もはいってないんです」
彼女は儚げな笑顔を向けて、僕に一歩近づいてくる。甘い香りが鼻先を掠めた。
「え、あ……いいんですか?す、すごく、助かります」
緊張が一気に高まった。まさかそう来るとは……声をかけられたときに予想してなかった訳ではないけど、スマートな反応を返す引き出しを僕は持ち合わせていない。
「やった」
ファウラは嬉しそうに身体を弾ませ、僕の隣に並んだ。僕はその反応を見て、もはやどこに向かって歩いているのか分からないくらい緊張していた。
大通りを海と反対方向へ向かって歩く。日差しは暖かいのに、僕の手のひらは冷や汗で湿っていた。
「そう、ほんとうに館からでなくて……」
僕はファウラと語りながら歩いた。緊張感のあまり、もはや街並みを見る余裕はない。
「へー、わたしと似てますね!私は働くのが好きなんですけど、休みは何すればいいかわからなくて。いつも一人でぼーっとしちゃうんです」
胸が高鳴る。今の僕はどうかしている。イルとは違う、等身大の温かさを彼女から感じている。
例えるとするならば、イルは高名な写実主義者による、触れることすら躊躇われる至高の美術作品。対して彼女は、手に馴染む温かい村の伝統工芸品という感じだ。
どちらも甲乙つけられるものではないけど、僕とイルとの複雑な状況(正体を知ってしまった気まずさ)の隙間に、ファウラが心地よく流れ込んでくる感じがする。
(なんて浮気者なんだ。僕にはイルがいるじゃないか)
僕は、はっとして辺りを見回し、イルに見られていないかを確認した。いやいや、何を馬鹿なことを。僕とイルはそんな関係でもないし……。
そんなことをぐるぐると考えていると、ファウラが立ち止まった。
「この左手が冒険者ギルドです」
彼女は僕に控えめな感じで案内してくれた。
「さ、流石の僕でも、それは知っていますよ」
「あっ……ですよね!すみません。私……オリアンさんと散歩して、なんだか嬉しくて、一人で得意げになってしまって」
彼女は恥ずかしそうな表情を浮かべて顔を赤らめる。その仕草が、反則的に可愛い。
「あっ、いえ……その」
僕がその対応にあたふたしている、その時だった。
「新しい元首様ぁ!あれれ?もしかして、デートですかぁ!?」
冒険者ギルドの出入り口から、よく通る明るい声が飛んできた。荷物を運び出していた受付嬢のバラさんだ。
「ば、バラさん。決してそういうのじゃなくて……」
僕が必死に取り繕っていると、彼女は豪快に笑った。
「はっはっは!うぶだなぁ~。いいなぁ~。おねぇさん、やいちゃうなぁ~」
とにかく明るい彼女。いつもこんな調子だと、荒くれ者の冒険者たちもペースが崩されるわけだ。グラースが会長になれば、この親子でギルドはさらに賑やかになるだろう。
そんな彼女に続いて、冒険者ギルドの出入り口から、二人の人物が同じく荷物を持って出てきた。大会で司会を務めていたサファルと、ルーガットの剣闘士として出場していた奇術師のファイネだ。
「えっと……皆さん、何しているんですか?」
ファウラさんは珍しいその光景に疑問を覚えたようだ。
「え?あぁ、バイトだよ!バイト。自分らは、放浪のディーミディウム興行団だから。旅先ではこうして仕事を見つけて働きながら、芸を披露して金を稼いで、次の街へと移動しているんだ」
サファルが快活に答える。その光景は、ファウラが疑問を覚えるのも無理はないくらい異様だった。サファルさんが働くのはまだ頷けるものの、あの不気味な雰囲気を醸し出しているファイネが、荷物を運んでいる姿は想像の埒外だ。
「しかし、この街は、居心地がいい。俺たちがいつ来てもずっといたいと思える、良い街にしてくれよな!」
サファルは、司会の時の芝居がかった口調と比べて砕けた感じだった。とても親しみやすい青年だと思う。
「も、もちろんです!次に決闘大会があったときも、司会をよろしくお願いしますね」
「おー、まかせとけー!」
彼は、バラさん達と一緒に冒険者ギルドの中へ入りながら、大きく手を振って挨拶をし、声を張り上げた。彼の声はとてもよく通る、魅力的な声だった。
「ふふ、賑やかな方ですね。うちのお店にも来てくれたことがあるんですよ」
ファウラは、にこやかに笑いながら歩き始めた。僕は、ファイネの仮面の下や、宙に浮いていた身体がどうなっているのか、お店で接客したファウラなら知っているかもしれないと思った。けれど、それを聞くのは野暮だと思って自粛した。
その時、カーン、カーンと、昼を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「あっ……そろそろ時間ですね」
「そ、そうみたいです」
僕は、もっとこのまま二人で歩きたいような、心臓が持たないので一人になりたいような、複雑な感情を抱きつつ、ファウラに別れの挨拶をする。
「……オリアンさん」
ファウラは立ち止まり、上目遣いで僕の顔を見上げてきた。
「また、時間があったら……ご一緒しても良いですか?」
恥ずかしそうな、けれど期待を含んだ声。そんなことを言われたことは、今まで生きてきて一度もない。そんな男にこんな言葉を言うということは……なんて罪な人だ。
僕は理性を保とうと努めたが、感情が制御できるはずもなく。
「も、もちろんですよ!」
声が裏返ってしまった。禍福は糾える縄の如し。昨日の絶望が嘘のように、僕の頭の中はバラ色に染まっていた。




