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S-60 「かくも数奇な運命か……」

バイレスリーヴ/元首の館/地下の書庫【視点:蒼髪の少女イル】


 ルトに指示されたとおりに、魔術に必要なアーティファクトを床に並べる。


「危険だから、少し離れていてください」


 珍しく気遣うような声色で言われた。だから、私は今回、部屋の隅で膝を抱え、ただの観測者としてそこにいるだけ。


 私は、手の中にあった《天光の結晶》の感触を思い出していた。


 金貨ほどの大きさ。内側から溢れ出る光は、呼吸をするように明滅している。この不思議な輝きを放つ魔石からは、ずっとそばに置いていきたいと思えるような、根源的な心地良さを感じる。


 ルトは、祈るように目を閉じ、小さな声でつぶやくように呪文を唱え始めた。


 彼の周りにあふれる「無色の小さな粒」が、状況に応じて異なる色の光を放ちながら、幾何学的な規則性を帯びて連鎖的に広がっていく。


 この「無色の小さな粒」――私は《イデア》と勝手に名付けている――のことは、前にルトに話したことがある。しかし、ルトにはそれが見えないようで、イデアが強く色づき、現象化した時にのみ、「魔力」として感知しているようだった。根源的には、同じものなのに。


 だから、それ以来、特に彼に説明することはない。理由は色々ある。見えない物を説明しようがないこともあるけど、一番の理由は「彼が壊れてしまわないため」。


 なお私は、ルトやキノルのように、呪文を唱えることはない。それは覚えられないからでは無く、イデアに直接「志向性」を持たせることで、より感覚的に、直接的にその力を行使できるからだ。


 つまり、頭の中で「こうしたい」と強く意識し、体内を含む、世界に充満するイデアにその意思を伝播させ、あまねくイデアの挙動を制御すれば、思い描いた力が具現化されるのだ。


 そんな話はさておき。


 私の目の前では既に、捧げ物の周りの粒子が銀色を帯び、渦を巻いて強く光り始めている。部屋の空気が張り詰め、静電気が肌を刺す。


 その光が最高潮に達したとき――。


 それは現れた。


 うすぼんやりとしたオーラをまとったそれの輪郭は、半透明だが確かにそこに存在する。


 慈悲深い微笑みを浮かべたその女性は、ゆっくりと天井から降りてくるように現れ、床に置かれた結晶の上に浮遊した。


「っ、母様!!」


 ルトは今まで見たことがないほどの喜びの表情を浮かべ、霊体を精一杯伸ばし、その存在にすがりつくように近寄る。普段の冷徹な彼からは想像もつかない、ただの子供のような姿。


 彼が母様と呼んだということは、彼女が《フィナリア・ダル・イスカリア》その人なのだろう。


『おぉ……ルト……』


 その女性の表情は、変わり果てたルトの霊体を見て、わずかに曇った。悲しみか、それとも憐れみか。


『その姿は……なんと……』


 フィナリアの霊体は、言葉に詰まった。そして、その透き通る瞳は、ルトの後ろに控える私にも向けられた。彼女の目が、見開かれる。


『おぉ、かくも数奇な運命か……』


 彼女は私を見て、何か恐ろしいものでも見るように、けれど慈しむように呟いた。そう語った刹那――。


 パリンッ……。


 乾いた音が響き、フィナリアの霊体と周囲の輝きは霧散した。床の上で、天光の結晶が粉々に砕け散り、光の粒となって空気中に溶けていく。


「あっ……」


 結晶が砕け散った時、無意識に声が出た。意識の奥底で、懐かしいような、寂しいような、何とも言えない感情が明滅する。


 失敗……?


 私は、その不思議な喪失感に引きずられながらも、彼女が消え去る間際に私を見て語ろうとした言葉を、頭の中で反芻していた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/元首の館、地下の書庫【視点:幽霊王子ルト】


『……母の意思を現世に繋ぎ止めるには、やや……魔力が少なかったのかもしれません。……いや、他にも何か決定的な原因が?』


 僕は、想像以上に落胆していた。1400年の時を超え、ようやく再会した母様が、ほんの一言二言話しただけで、僕の指の間からこぼれ落ちるように消えてしまったのだから。


 喪失感が、思考を鈍らせる。だが、それ以上に……背筋の凍るような違和感が、僕の思考の深淵で鎌首をもたげていた。


(…まて、そもそも、何故イルの時は成功した?いや…そもそも…本当に僕は彼女を蘇生させたのか?眠っていた『何か』を起こしただけではないのか)


 気づいてはいけない仮説。それが脳裏をよぎった瞬間、意識は例えようもない恐怖で大きく揺らいだ。


「また、別の結晶を手に入れて試そうよ」


 イルが、努めて明るい声で僕に声をかけてきた。彼女の声を聴き、感じていた不安・恐怖は不思議なほどに消え去っていく。ただ、次の課題が圧し掛かる。


『……ええ。ですが、この『結晶』こそが最も厄介なのです』


 僕は重い口調で、絶望的な事実を突きつけるしかなかった。


『この結晶は《大いなる五つ》と呼ばれ、同じ種類の結晶が同じ時代に複数見つかった記録がありません』


 そう、替えが効くような代物ではないのだ。ヒュムオニス海で見つけ、イルという「器」を構築するために消費した《茫洋ぼうようの結晶》。そして今しがた、母様を呼び戻すために砕け散った《天光てんこうの結晶》。


『残るは、《地緑ちりょくの結晶》、《炎熱えんねつの結晶》、そして《空哭くうこくの結晶》の三つのみ。……つまり、五つのうち、この世界に残されているチャンスは、あと三回しかないのです』


 しかも、それがこの広い世界のどこにあるのか、皆目見当もつかない。砂漠で針を探すような話だ。


「……」


 イルが黙り込んだ。やはり、事の重大さを理解してくれたか。そう思った矢先、彼女がポツリと呟いた。


「……『神の残滓が宿るその結晶の力は、その時代の権力者の元で輝く』……」


『……はい?』


「大魔術師ザラストラが記した《真実の魔術書》の一節にそう書いてあったけど。これってあの石のことであってる?」


 僕は驚きに目を見張った。あのオリアンの膨大なコレクションの中にあった魔術書。彼女はそれを読み、あまつさえ記憶していたというのか。


『……驚きました。おそらく、合っています。ザラストラといえば、結晶研究の第一人者ですから』


 権力者の元に集まる。それはつまり、無作為に探す必要はないということだ。歴史の表舞台に立つ強大な国や王家を洗えば、見つかる可能性がある。僕の霊体の輝きに、わずかに色が戻るのを感じた。


「私が思うに、残りの三つのうちの一つは、たぶんあの国にあると思う。……当てずっぽうだけど」


 イルが、何かを見透かしたような目で告げた。当てずっぽう?いや、彼女の「勘」は、時に予言めいていて恐ろしい。僕は、その言葉にすがるように耳を傾けた。

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