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S-6 奢られた対価

バイレスリーヴ/潮風通り/食酒場「黄金の潮風亭」【視点:蒼い髪の女イル】


 麦酒ビールを三杯飲みほしたところで、湯気だつ料理が次々と運ばれてきた。


 まず目を奪われたのは、煌めく銀色の皿に盛られた「海神の恵み」。


 パリッと焼き上げられた魚の皮は美しい狐色で、ふっくらとした白身からは透明な脂が溢れ出す。添えられた緑色の香草が、食欲を鮮烈に刺激する。


 次に、熱した漆黒の鉄鍋に乗せられてきたのは、深みのある褐色をした「漁師の豪快シチュー」。


 そして最後は、黄金色の衣をまとった「海鳥の唐揚げ」。


 視界を埋め尽くす極彩色の「美味しいもの」たち。

 私はルトの小言を聞き流し、夢中で料理を平らげていく。


『……少しは味わって食べたらどうですか。品がない』


『だって、こんな美味しいの初めてなんだもん!』


 食事において、ルトの制止を振り切るのはもはやいつものこと。


 料理の追加に次ぐ追加。私が夢中でそれらを胃袋に収めていると、いつの間にか隣の席に見知らぬ紳士が座っており、私に話しかけてきた。


「お嬢さん、お見事な食べっぷりだ」


 その紳士は、この街でよく見かける船乗りや職人、冒険者達とは趣が違っていた。

 深緑の上質な生地に、金糸の刺繍が施された異国風の服。

 彼は私の食事風景を見て、呆気にとられながらも、面白そうに目を細めていた。

 私は食べるのに忙しく、微笑み返す程度に留める。

 紳士は愉快そうに声を上げて笑った。


「旅の者かい?この街の食事は口に合ったようだね」


「控えめに言って、最高かな」


「ははは、気持ちのいいお嬢さんだ」


 紳士は笑いながら、彼が飲んでいた陶器のマグを私に向かって掲げた。


「この街の食事に……」


 彼のその動作が、何を表しているのか分からず、私の手は空中で止まった。すると、見かねたように、紳士は優しく微笑んだ。


「ははは。良いかい?私と同じ言葉を復唱するんだ。……この街の食事に!」


「この街の食事に!」


 マグ同士が軽くぶつかる心地の良い音が鳴る。


 紳士はその後、マグを豪快にあおる。私もそれを見て同じように、黄金色の液体を一気に流し込んだ。


「ははは。良いですね。そうです。これがバイレスリーヴ流の酒の楽しみ方」


 紳士は私の反応を見て満足げに頷いた。その瞳は黒曜石のように深く、知的な光を宿している。


「それにしても、この街の酒は良い。麦酒、葡萄酒ワイン琥珀酒ウイスキー……どれもレベルが高い」


「ほぇー。そうなんだ!どおりで美味しいと」


 私が感心して追加の麦酒を頼むと、紳士は楽しげに語り始めた。


「この街の酒が美味い理由は、南東の《ベイン・ファラハ山脈》と、そこから流れる《スコール河》の清らかな水にある」


 紳士の語り口は滑らかで、まるで詩を吟じているようだ。


「特に琥珀酒は絶品だ。スコール河沿いの蒸留所で作られる、濃厚な甘みとスパイス香る《グレン・ヴァディ》。そして内海沿いの蒸留所で作られる、潮風と煙の香りを纏った《アライゲ・オー》……。どちらも、愛好家垂涎の逸品だよ」


『……この男、ただの酒飲みではありませんね。知識の深度が深い』


 ルトが警戒するように呟くが、私は紳士の話に引き込まれていた。


「の!飲んでみたい!」


「ははは。残念ながら、今は在庫を切らしているみたいだよ。なので私はこれ、バイレスリーヴの《白》を楽しんでいる」


 紳士は、銀色の金属カップに入った、透き通るような淡い黄色の葡萄酒を揺らした。


『お酒の世界が私を引きずり込もうとしている……』


『水より腐りにくいですからね。キミには丁度良い水分なのかもしれません』


 紳士は私のことを気に入ったのか、酒を酌み交わしながら、この街の話題を語り始めた。


「なるほど、どこかで見たことがあると思ったら、あの広場で老婆に話しかけられていた娘だったね。いやはや、とんだ災難だった」


 紳士は、昼間の出来事を知っていた。

 少し顔を赤らめてはいるが、その観察眼は鋭い。


「あの老婆ダンラは、この街のちょっとした有名人みたいだ。普段は怪しげな邪神崇拝を広めようとしているようだが、最近はやたらと元首の息子を批判している」


 紳士は私が頷くのを確認し、続ける。


「私はね、暇さえあれば人間観察をしてるんだよ」


 彼は店内をぐるりと見渡した。

 その視線は穏やかだが、どこか獲物を探す狩人のようにも見える。


『ねぇルト。この人、凄い物知りだね?』


『そうですね。ただ、僕は少し胡散臭さも感じますが』


『え?でも、ルトよりはまともだよね』


『はは…僕と比較したら、すべての人間が聖人君子に見えますよ』


 私は、紳士の食事の合間を見計らって質問を投げかけた。


「あのお婆さんは、もうすぐ元首が決まるって言ってたけど……街中を賑わせている《決闘大会クレイヴァート》って、元首になりたい人が戦う大会なの?」


 紳士の黒い瞳が、キラリと光った気がした。


「いい質問だね」


 彼は葡萄酒で喉を潤し、語り始めた。


「まもなく始まる決闘大会クレイヴァート。これは、次期元首を決めるための『代理戦争』だ」


「代理?」


「そう。候補者は《剣闘士》を三人雇い、チームとして戦わせる。優勝したチームのあるじが、この国の頂点に立つんだよ」


「へぇー、面白そう!じゃあ私が立候補すれば、私が元首になれたりするの?」


「ははは。残念ながら、立候補できるのは『前元首の血縁者』か『議会議員』のみだ」


 紳士の話は、次期元首候補者たちへと移った。

 彼曰く、有力候補は三人。


 一人目は、《先代元首の息子、オリアン・ワードベック》。古書収集家で、引きこもりの臆病者と言われている人物。本屋の店主も言っていた名前だ。


『……禁術書を集めている男、ですね』


 ルトの声が、心なしか弾んでいるように聞こえた。

 彼にとっては、祖国の手掛かり(と、趣味の魔導書)を持っているかもしれない重要人物だ。


 二人目は、《商業者ギルド会長、ルーガット・ラガヴェリン》。さっき本屋で読んだ本の著者と同じ名前だ。


 そして三人目、《冒険者ギルド会長、アドホック》。

 荒くれ者たちを束ねる実力者。


「ルーガット氏は、金に物を言わせてか、あの最強と名高い《ゼーデン帝国万騎軍・元隊長の魔法剣士》と、《放浪の奇術師》を雇い入れたそうだ。最後の一人も目処はついているそうだよ」


 紳士の情報網は底が知れない。


 賭けの対象になっているとはいえ、部外者がここまで詳しく知っているものだろうか。


「ただ、いくらルーガット氏でも、冒険者ギルド会長のアドホック氏には敵わないというのが大方の見立てだ。彼は上級冒険者、《隠し芸のザイン》と《鉄槌のブーア》をそろえてきているからね」


『えぇ、世間の見立て甘すぎない?ブーアって、あのチンピラ親分がそんなに強いの!?』


『そんなものですよ。しかし…この男。本当にただの酒飲みでしょうか。情報の質と量が、一般人のそれではない』


 ルトは彼が持つ情報量の多さを不審に感じた。


『うん。でも面白い人だから、いいじゃん』


『……まぁ、こちらの情報は何も渡していないので、問題ないですが』


 私たちがそんなやり取りをしていると、異国の紳士から、ついに彼の名前が出た。


「しかし、オリアン君。残念だが、彼の勝ち目は無さそうだ。というより…彼はまだ一人も剣闘士を集められていない。館を追い出され、資金も人望もない彼には、この戦いは無謀だろうね」


 彼の言葉には、情報通としての複雑な感情が込められていた。


『悲惨だね。オリアン』


『ですね。陰キャで本オタク、金なし人望なし。なんだか僕は彼のことをかなり好きになれた気がします』


『最低だね。ルト』


 紳士との楽しい酒宴が終わりを告げる。


「私もだいぶ酔ってしまったようだし、お先に失礼するよ。気をつけて帰りなさい」


 彼は私に丁寧に会釈をすると、代金を置いて店を出ていった。私は彼の背中を見送ろうとするが、視界がぐらぐらと揺れている。なんだか瞼が重い。照明の光が滲んで、混ざり合っていく。


『イル。……キミ、相当酔っ払ってますね』


『酔っ払う?なにそれ、どういう事?』


『意識が低下し、判断力が鈍っている状態です!』


『えー、もっと飲みたい。喉渇いたー』


『うわ面倒くさ。さぁ!帰りますよ』


 私の身体に、自分の意思とは異なる力が入る。ルトが私の身体を動かしているのだ。


「あ、お客さんの代金、先ほどの殿方がお支払い済みですよ」


 店員の声に、私はへらへらと笑った。


「酒好きイケおじ。優しいなぁ……誰かと違って、優しいなぁ……」


 ろれつが回らない。視界の端から黒い色が浸食し、世界を塗りつぶしていく。


 そして、目の前が真っ暗になった。

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