S-59 「私の時みたいに」
バイレスリーヴ元首の館/イルの部屋【視点:幽霊王子ルト】
「ねぇ、これがキミの復活魔法を完成させるアーティファクトなの?」
元首の館に戻ったイルは、オリアンから借りた部屋の机に並べられた物品を、興味深そうに覗き込んでいる。
イルの瞳には、それらの光が映り込んで離さない。特別な何かを感じているような神妙な表情をしている。
結論から言えば、図書館でのイルの推測は正しかった。
バイレスリーヴの少し北、静かな内海の底に、僕の故郷は眠っていたのだ。石造りの構造物がサンゴに覆われながらも残っており、記憶に刻まれたあの日の情景が、水底の沈黙の中に鮮明に浮かび上がっていた。
僕たちは、海に沈んだイスカ・ファル王国の遺跡で、母様の墓を見つけた。そして、墓の中に眠っていた母様の骨片と、供物として収められていた《天光の結晶》を持ち帰ってきたのだ。
日が沈む頃には雨が降り出し、いま外は激しい嵐が窓を叩いている。これを何に使うのか。僕は彼女の質問に対し、少し言葉を選んでから答えた。
「はい。まず、これ。母様の骨片です。今回は、僕が完成させようとしている蘇生魔術を使って、母様を復活させようと思います」
「なんでそんな回りくどいことするの?」
「単純に、《タム・ゼラ》が不完全だからです」
僕は、これまで何度も蘇生魔術を使って、実験を繰り返してきたが、成功したのは一度きり。それ以外は、霊体として、その者の意識を一瞬呼び出すことしかできていない。
「不完全ゆえに、蘇生させるといっても、幽霊として一瞬呼び出すことが関の山。ならば、大魔術師である母さんの霊体を呼び出して、魔術を完成させるために足りないものを教えてもらおうと言うわけです」
イルは過去に僕が見せてきた実験の失敗を思い出しながら納得した様子。
「ただ、今回特別なのは、唯一成功した時に使ったものと同じ効果を持つ、アーティファクトが使えることです」
「おぉ!どれなの?」
イルは興味深そうに目を光らせた。
「これ。《天光の結晶》。極めて純度の高い魔力が凝縮された魔石です。長い年月をかけ、その土地の地脈から力を吸い上げて結晶化したもので、人の身では扱いきれないほどの膨大な魔力を要する大魔術を行使する際に、補助炉心として使われた歴史があります」
母様の葬儀の際、蘇って欲しいと願いを込めて、幼い僕が母様の部屋からこっそりと持ち出し、棺に入れておいたものだ。あの時の僕には、1400年という悠久の時を超えた今、自分がそれを使うことになろうとは想像もできなかっただろう。
「なんか凄そう!」
イルは天光の結晶を手に取り、光にかざした。結晶の中で、無数の光の粒子が舞っているように見える。
「だから、もしかすると、母様を霊体としてではなく、本当に復活させることが出来るかもしれません!」
勿論それは希望的観測に過ぎない。だからこそ、失敗も想定して、自分自身の復活に賭けて失敗するよりも、母様を霊体として呼び戻し、教えを乞うた方が良いと判断したのだ。
勿論、母様に会いたいという気持ちも負けないくらいある。
「おぉ!」
イルは自分のことのような反応を示す。
僕達は、一瞬だけ沈黙した。
「…成功するといいね」
そう言葉を発したイルの視線は、何処か遠い場所をみているようだった。
「――私の時みたいに」
ガラガラ……ッ!
外で雷が鳴った。閃光が部屋を一瞬だけ白く塗りつぶす。
沈黙。窓を打つ激しい雨音だけが、部屋の空気を埋める。
僕は、あの時の光景を脳裏に再生する。
長い年月をかけて編み出した蘇りの術式。ある方から託された《茫洋の結晶》。その全てをつぎ込んで、深淵に眠っていた《黒き遺骸》を復活させたあの日。
光の届かない深海の底。漆黒に輝く異質な骨格が、淡い燐光に包まれ、肉の衣を纏っていった。
僕の蘇生魔術、《タム・ゼラ》は、その時初めて成功し、彼女の魂と肉体をこの世界に呼び戻したのだった。
(イルは…全身の骨格が、完全な形で残っていた。頭蓋骨から指の骨の一本一本まで、欠けることなく。だから、タム・ゼラが完全に成功したのかもしれない)
僕は、机の上の母様の骨片を見た。小さく、脆い、骨の欠片。
「でも、母様は…これだけです。骨のほんの一部だけ」
「失敗するかも知れないってこと?」
「失敗を恐れていては、魔術オタクはやっていられませんよ」
イルは僕の言葉を聞いて微笑んだ。
「そうなんだ。お母さんが生き返って…久しぶりに話せるといいね」
そう言って、彼女は机の上の骨片を手に取り、慈しむように優しく撫でた。
その指先は、まるで愛しきものを扱うかのように慎重で、そして温かい。
ただの乾いた骨だ。1400年前に死んだ他人の残滓だ。理屈で考えれば、感傷を抱く価値などない、ただの物質に過ぎない。
だが、彼女はそれを撫でた。僕の大切な母様を。僕の呪いにも似た執着の根源を。忌まわしい遺物としてではなく、大切な「誰か」の一部として。
ドクリ。
心臓のないはずの霊体が、大きく脈打った気がした。思考が止まる。積み上げてきた理屈が、音を立ててきしむ。
(……あぁ。なんてことだ)
僕はずっと、彼女を便利な「器」としか見ていなかった。底知れぬ魔術的適性を持ち、僕の目的に利用できる都合の良い人形。所有物。道具。替えの利く依代。
しかし、今の彼女の横顔は。その慈愛に満ちた眼差しは。
道具が、持ち主の親を慈しむか?器が、中身の過去にこれほど心を寄せるか?否。断じて否だ。
彼女は、単なる「器」ではない。僕の都合で動く人形などではない。僕の隣に在り、僕の痛みに寄り添う、一個の尊い「意志」だ。
胸の奥で、冷たい氷壁に亀裂が入る音がした。所有者としての傲慢な支配欲や、管理者としての冷徹な計算が、形容しがたい不思議な焦燥感に塗り替えられていく。それは、1400年の孤独を溶かす、微かな熱。
(……認めましょう。キミは…僕にとって…)
僕は、震える霊体の手を伸ばし、彼女の頬――僕の知らない温もりを持つその頬に、触れるふりをした。触れられないことが、これほどもどかしいとは。
「……ええ。本当に」
僕は、自分でも理解できない感情の揺らぎに戸惑いながら、彼女の横顔を見つめた。
自分が復活するまでの依代に過ぎなかった存在が、急に、代わりの利かない「重み」を持って僕に迫ってくる。
そんな彼女のことを、僕は何一つ知らない。何故彼女があのような深淵で眠っていたのか。どういう最期を遂げたのか。何故、数千年、あるいは数万年もの間、遺骸は朽ち果てることなく、あの暗い水底で僕を待っていたのか。
彼女には蘇る前の記憶は残されておらず、真実を突き止める手段は永遠に失われている。目の前にいるこの「イル」という存在は、僕が作ったようでいて、その実、何一つ掴ませてはくれない。
「まあ、私はルトが身体から出て行ってくれるきっかけが見つかるなら、なんでもいいけどさ」
「……分かっていますよ。だから、力を貸してください」
以前と同じ言葉。だが、そこに込めた意味は決定的に変わっていた。利用するためではない。この不可解で、目が離せない「彼女」としばし共に歩むために。
暫くの沈黙。屋敷の外は雷が鳴り響き、雨脚が強まる音が聞こえる。
「……そう言えば。僕がイルから出て行った後、イルは何をしたいんですか?」
ふと、そんな疑問が口をついて出た。この「器」から僕という管理者がいなくなったら、彼女はどうするつもりなのか。
「……んー。そだね。何だろう……」
彼女は返答に戸惑っている。それが、本当に何も考えていなかったからなのか、それとも別の意図があって言葉を選んでいるのかは分からない。
だけど、彼女が即答しなかったこと……それが、僕の中で少しだけ安心感として広がった。まだ、手放さなくて済むかもしれない、という歪んだ安堵。
「そ、そうだ、地下室へ移動しましょう。《タム・ゼラ》の術式展開は結構繊細ですので、人気のない場所の方が僕の気が散りません」
外では嵐が激しさを増している。雷光が闇を切り裂き、雨が窓を打ち続ける。僕たちは、地下室へと向かった。
蘇らせた者と、蘇らされた者。死者を生き返らせる禁忌の魔術は、すでに一度成功している。そして今夜、その術式が再び起動される。




