表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/176

S-58 「汚い、汚い、汚い、汚い!!!」★

【警告】今回は敵キャラクターによる、非常に不快なシーンが含まれます。耐性のない方は閲覧を強く推奨しません。


 ■ ■ ■


とある暗い場所【視点:???】


 懐かしい夢を見ていた。


 だが、この暗黒の間で目を覚ました時には、その夢の内容は霧散していた。


 この感覚、何年ぶりだろうか。思い出したいような、思い出したくないような。記憶の彼方で消失しかかっているそれは、私にとって大切だったもののはずだ。


(あれは…誰の記憶だったのか)


 温かな日差し。優しい声。誰かの笑顔。


 それらが、朝霧のように消えていく。


 私は、簡単な羽織を着て、陽を拒絶した部屋を出た。その先には、陽を拒絶した廊下が続いている。石造りの廊下は、ひんやりとした空気に満ちている。


「ザーラムのバイレスリーヴに対する工作が失敗に終わりました」


 影が私に寄り添い、そう告げた。私は、無言で報告を続けるよう、影に促した。


「黒き監視団はこの件に絡んでいません。百影も…」


 その報告に僅かながら疑問を感じた。


「表の者たちが対処したと?」


「はい、予想外の候補者が、ザーラムの想定を上回った力を発揮したようです。加えて」


「なんだ」


 更に続けるよう促す。


「大会がヴュールの襲撃を受けたことで、予測にブレが生じたことも起因しているようです」


 ヴュール…か。


 あの頃は何と呼ばれていたか。《深淵の眷属》だったか、《外海の魔物》だったか。それとも、もっと別の名前だっただろうか。


 記憶が曖昧だ。あまりにも長い時が経ちすぎた。


「彼らはそれを討ち取ったのか?」


「いえ、内海に逃げられたようです」


「そうか」


 私は短く思考を巡らせた。ヴュールが内海に逃げ込んだ。ならば、また現れるだろう。彼らは執念深い。一度狙った獲物は、決して諦めない。


「良くやった」


 私は、愚者たちが集まる間に重い足取りで向かう。


 私はいつまで彼らに付き合わなければいけないのか。


 いや、その考えはいけないな。彼らへの感謝の心を忘れることは、今の自分を否定することにもなりかねない。


 彼らがいなければ、私は今ここにいない。この国すら存在しない。だから、感謝しなければならない。


 たとえ、彼らが停滞の象徴であっても。たとえ、彼らが私の足枷であっても。

 私は静かに、暗く閉ざされた目の前の扉を開いた。


 ■ ■ ■


ザーラム首都/ザハリア城/バージェスの寝室【視点:情婦の潜入者ウィスカ】


「クソぉっ!儂の大事なシェルクはどこへ行ったのじゃ?!お前が悪いのか?!お前がぁっ!」


 私の上に馬乗りになった醜い肉塊が、脂汗を撒き散らしながら咆哮する。彼は私の体を軋むベッドに押し付け、太い腕で首を絞め上げ、白い乳房に獣のように噛みついた。


「うっ、ぐっ……バージェスさま。くる、し……」


 おぞましい。吐き気を催す醜悪さ。私の口の中に、肉塊の蠢く舌が強引にねじ込まれ、腐った果実のような甘ったるい唾液と、汚物のような汁が注ぎ込まれる。


 この醜悪な肉塊――ザーラム執政官バージェスは、バイレスリーヴの決闘大会でシェルクが失踪して以来、常軌を逸していた。毎日何度も何度も、手当たり次第に情婦たちを呼び出しては、八つ当たりのように凌辱の限りを尽くす。


 グギギ……。


 ぶくぶくに腫れ上がった水死体のような指が、私の気道を締め上げる。


 大きな琥珀色の魔石がはめ込まれた指輪が、食道の軟骨に食い込み、ゴリゴリと音を立てた。酸素が遮断され、意識が遠のく。目の前で上下する見るに耐えない肉塊が、だんだんと色を失い、灰色の影へと変わっていく。


(このまま……死ぬの?)


 その直後。突然指が離され、空気が肺に雪崩れ込んだ。同時に、私の身体は酸素を求めて無意識に跳ね上がり、生理的な痙攣と共に絶頂を迎えてしまう。


「はぁ、はぁ、この盛ったメス豚にも劣る売女が!」


 下半身の奥で、生温かい不快感が広がる。屈辱に痙攣を繰り返す私の体を、奴は用済みとばかりに足でベッドの下へ蹴り落とした。


 ドサッ。


「おい!誰かこやつを退けろ!次のやつを呼べ!」


 私は自分の心を殺し、奴のお気に入りの情婦にまで上り詰めた。今まで奴は、気に入った情婦には極端な乱暴は働かなかったはずだ。だが、シェルクが居なくなった途端、奴はタガが外れたように豹変した。


 お気に入りに満たない情婦には、指や腕をへし折ったり、目を潰したり、皮膚を噛みちぎったりと、私以上に残虐な事をした上で、ボロ雑巾のように捨てている。


 私は、客間に控えていた侍女達に両脇を抱えられ、豚小屋のような異臭を放つ奴の寝室から、ずるずると引きずられるように外へ運び出された

 。

「……貴女はお気に入りの中でも、まだマシな方よ」


 私を運び出した侍女が、震える声で囁いた。


「貴女と一緒にバイレスリーヴに同伴した娘なんか……さっき、首を絞められた時に首の骨が折れて、死んじゃったんだから」


「ハァ……ハァ……。そう。……可哀想に」


 乾いた言葉しか出ない。教えてくれてありがとう、と心の中で呟く。


 私は、侍女に羽織らせてもらったガウンの前を合わせ、震える脚を無理やり前に踏み出した。

 太腿を伝う粘着質な液体が、生暖かく不快に張り付くのを感じながら、自室へと戻る。


 ■ ■ ■


 ザーラム首都/ザハリア城/自室


 自室に入った所で、私はガウンを脱ぎ捨て、水瓶から冷水を掬い上げた。バシャッ、バシャッ!


「汚い、汚い、汚い、汚い!!!」


 下半身を清める。いや、清まらない。指を突っ込み、最奥から溢れ出る生臭い汚物を、爪で内壁を削る勢いで掻き出し、何度も何度も洗い流す。


 祖国の為。私はこの身を、帝国のために捧げることを覚悟したつもりだった。


 ゼーデン帝国第69代皇帝ソラス・マグ・ファランの次女として生を受けた私、《ウィスカ》。

 帝国の精神と国是に則り、皇帝の血を引く者として、前線で戦うことでのみ生を感じるよう、そう教えられ、育てられた。


 姉のジーナの様に武技に秀でず、妹のティナのように弓術に才が無い私。


 だから私は、帝国の諜報部隊『百影ひゃくえい』の一員として生きる道を選んだ。


 人に紛れ、騙し、身体を使い、時には暗殺を働く。その名の通り、歴史の影に生きる存在として。


 この国、ザーラムへの潜入を志願したのも、近年この国と王国の不穏な動向を察知したことから、その情報を得て本国に報告することで、国の役に立とうとしたからだ。「私にしかできないこと」があると証明したかった。


 だけど、今。私の心の芯は、ポッキリと折れかけていた。


 気高い皇帝ソラスの娘であり、偉大な《ファラン家》の血を引く私が……。


 私の身体が、あのような醜悪な下衆豚野郎の便器として扱われ、これ以上いいようにされるのが、生理的にも精神的にも耐えられない。


(……潮時だ)


 鏡台の鏡に映った、青あざだらけで汚れた自分の姿を見て、私は確信した。

 私達『百影』は、現場判断で動く。それは引き際についても同様だ。組織の指示を待たずとも、己の進退を判断する能力が求められる。


 今までに、ザーラムに対し王国が裏で支援を行っている状況や、ラクリマの生産拠点、バイレスリーヴへの工作の状況など、多くの報告を行ってきた。


 私が奴に近づく前に想定していた以上の成果だと自負できる。これ以上の滞在は、情報の価値よりもリスクが上回る。


 決断したらすぐに行動。1分1秒の遅れが命取りになる。


 この部屋の中の、私に通じる可能性のある痕跡を全て消し去る。


 鏡台の引き出しの奥、金具の中に丸めて隠してある暗号化した覚書。


 水瓶の取手の裏に粘土で張り付けた、協力的な侍女の名前や勤務態様が記されたメモ書き。


 化粧道具の二重フタの裏に仕込んだ、脱出経路を記した城内図。


 全て直ちに記憶し、ランプの火で焼いて消し炭にする。


 本当は、馬車の中で、あのあどけない情婦に見せた手品のように、手のひらの中で完全に消滅させたい。けれど、悔しいことに私には魔法の才能が無い。


 その他、帝国との通信のため、伝書鳩に与えていた餌を捨て、窓に付着した鳥の糞を丁寧に拭き取る。暗号の補助として使い分けていた香水類や顔料も処分した。


 あとは、部屋の至る所に隠しておいた脱出に必要な貨幣を布袋に詰め込み、逃亡に適した目立たない色の服を準備する。


 最後に、万が一の際に使用する即効性の毒薬が入った小瓶と、仕込み短剣をまとめ、衣装棚の一番奥に隠しておく。


 捕まるくらいなら、これで自害する。皇女としての最期の矜持だ。


 普段から、常に逃げることも想定している為、準備と証拠隠滅に然程時間は掛からなかった。


 あとは、脱出のタイミング。


 夜の城の警備は、バージェスの就寝前の鐘が鳴る際に交代となる。その一瞬の隙が、最も手薄になる。

 その頃になったら城の地下から下水道を通り、汚物にまみれて外へ出る。


 城の南東にある馬屋で馬を盗み、南の森に沿って東に三日も走れば、両岸をつなぐ《巨大海門》へと到着する。関所は、私の所持金を賄賂として渡せば何とでもなるだろう。


 巨大海門さえ渡ってしまえば、もう帝国に着いたようなものだ。

 私は、段取りと逃走経路を頭に叩き込み、機を待つことにした。


 コンコン。


 その時。扉を叩く音がした。心臓が跳ねる。まさか、感づかれたのか?私は短剣を隠し持ち、警戒しつつ扉を開けた。


 そこに現れたのは、白と空色の法衣を着た、光るようなブロンドの髪を持つ少女。ザハリア城の宮廷魔術師、《ウィクトリア》だった。


 彼女は、回復魔法という稀有な魔術を扱えることで、下衆豚野郎や、奴に暴力を振るわれた娼婦や侍女達を癒す役割を任されている。バージェスに特別待遇されている、「籠の中の聖女」だ。


「……また、酷いことをされたのですね」


 そう語る彼女の頬は少しやつれており、目の下には濃い隈ができている。


 彼女は私の顔を見るやいなや、悲痛な表情で私に寄り添い、私の下腹部にそっと手を当てた。静かな詠唱。すると、彼女が手を当てた部分から、身体全身に柔らかい温もりが伝播し、今まで感じていた裂けるような痛みや、内臓の不快感が和らいでいく。


「あ……ありがとう……ございます」


 私にとって、彼女はこの腐った国で唯一信頼のおける、清らかな人物だった。


 年のころは私と同じくらいなのに、魔法を扱い、嫌な顔ひとつせず娼婦たちの身体を癒して回っている。今、バージェスが荒れているのを受けて、頬がこけ、隈ができるほどに魔力を使い込み、寝る間も惜しんで飛び回っているのだろう。


 ウィクトリアは私の手を握り、目を閉じて額と額をくっつけた。これは、彼女の施術が終わった時の仕草。こうされると、不思議と、凄く落ち着くのだ。泥にまみれた心が洗われる気がする。


(ウィクトリア……貴女だけは、連れて行きたい)


 だが、それは叶わぬ願いだ。彼女を連れて逃げれば、追っ手の数は倍になる。足手まといになる。私は唇を噛み締め、彼女の手を握り返すことしかできなかった。


 その時。


 ドン!ドン!


 再び、扉を叩く音。先ほどとは違う、乱暴で、無遠慮な響き。何故だろうか……とても嫌な予感がした。背筋を冷たい蛇が這い上がるような悪寒。


 ガチャリと扉が開き、バージェスの侍女が私の部屋を覗き込んだ。その目は、憐れみと、自分ではなくてよかったという安堵に満ちている。


「……お気に入りさん。バージェス様が、またお呼びよ」


 私は、息を止めた。


「貴方の後に呼ばれた子が……また、死んじゃったからって……」


 侍女が申し訳なさそうな顔をして、入り口から死刑宣告を告げた。


(……殺される)


 穢らわしい!いやだ!逃げたい!今すぐ、ここから逃げ出したい!


 私は、身体がガタガタと震えているのに気づいた。計画も、段取りも、すべてが崩れ去っていく。


「……っ」


 ウィクトリアは、震える私の身体を強く抱きしめてくれた。その温もりだけが、今の私を支えていた。


 だが、この温もりも、もう終わりかもしれない。もう一度、あの狂った肉塊のもとへ行けば、私は確実に壊される。


(助けて……姉様……)


 私の心の中の叫びは、誰にも届くことなく、熱された大地により蒸発した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ