S-57 「すみません、死にました」
バイレスリーヴ/元首の館【視点:衛士長官ディナリエル】
昼の鐘が鳴るまで、僅かに時間はある。
私は元首の館でオリアンと、キノル、グリンネルの回診と処置を終えた後、「問題の」蒼髪の少女が籠っているという、地下の書庫に向かうべきかどうかを迷っていた。
彼女は、信頼できる情報筋から、「悪霊に憑依されている可能性のある、注意を要する人物」であることが知らされている。
ニーネッドの報告によれば、決闘大会の最終決戦で、何らかの幻妖魔法の痕跡が観測されたという。それも、二度も。
(イル…あの娘、一体何者なのか)
オリアンと共に行動している彼女について、私が持っている情報は少ない。
ただ、ニーネッドの警告は決して軽視できるものではなかった。彼女の観察眼は、長年の経験に裏打ちされた確かなものだ。
(直接当たるよりは、もう少し情報収集をしてからのほうが良いか…)
思考を巡らせ、向かう足を館の外へと向けようとした時。
「あの…ディナリエル様にこれを渡してほしいと…」
館の使用人が私に紙片を渡してきた。その紙片を開くと、ある場所を示す暗号が記されていた。
私は一瞬だけ眉をひそめた。この暗号は、緊急性の高い報告を意味している。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/ジャナの大木
館を出て、しばらく街へ歩いた先にある大木、ジャナの陰。ローブを目深に被った彼はそこにいた。
私は付近に誰もいないことを確認し、彼、ルガルフに近づく。
彼の姿勢からは、緊張感が伝わってきた。
「『奴』と"語った"ところ、ワキールの情報線はすべて把握しました。それと…エド様はやはり奴が暗殺したとのこと」
奴とは、バージェスの右腕のこと。
衛士団としての発表では、シェルクは決闘大会の後に逃亡し指名手配を行っているが、それは世間を欺く偽装工作。我々が拘束・監禁しているのだ。
そして、「語った」とは、我々の隠語で、つまりそれは拷問・尋問を行ったことを意味する。
「ふむ…やはりか」
その報を聞き、私は前国家元首であり、オリアンの父と共に、この国を動かしてきた記憶が蘇った。
エドワルド…彼との思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
議会での激論。彼は常に冷静で、理知的だった。王国側の過度な自由・人権思想に飲み込まれそうになったこの国を、寸でのところで押しとどめた。ザーラムの脅威に毅然と対応し、バイレスリーヴの独立と繁栄を守り抜いた。
彼は、誰もが信頼する国家元首だった。そして、私にとっては…長年共に戦ってきた、かけがえのない同志だった。
おおかたの予想はついていたとはいえ、いざ事実として突きつけられると憤怒の感情を抑えることで精いっぱいになる。私の拳が、知らず知らずのうちに強く握りしめられていた。
と、同時に、その感情を脇へ置き、暗殺の事実を世間に公表するか否か、公表するのであれば適切なタイミングや方法はどうか、思考を巡らせる自分に嫌気がさした。
(エド…すまない。私は今でも、お前の死を政治の道具として扱おうとしている)
「奴の最後は…私が」
私の言葉の意味を、ルガルフは理解した。私の声には、抑えきれない怒りが滲んでいたはずだ。
「すみません、死にました」
僅かに息をついて呼吸を整えた。まだ生きているのであれば、私が殺そうとしていた。この手で、エドワルドの仇を討とうとしていた。
だが、それは叶わなかった。シェルクは、ルガルフの尋問に耐えきれず、既に死んでいた。
「…ありがとう、ルガルフ」
彼と私は終始、ジャナの大木を挟んで背を向けあっている。しかし、彼は私の、私は彼の心境がどのようなものなのか通じ合っていた。
彼もまた、大切なものを失った者だ。その痛みを知る者だからこそ、私の心情を理解してくれている。
「いいえ、ボス」
「見つかることがない指名手配がまた一つ増えた…か。笑えんな。《常闇の神、デヒメル》の加護があらんことを」
私がそうつぶやき終えた頃には、その場から彼の気配は消えていた。相変わらず、影のように消える男だ。
快晴の下、街の中心で昼を告げる鐘が響き渡る。
私は深く息を吐いた。表の顔に戻る時間だ。衛士長官として、医師として、議員として。バイレスリーヴを支える柱の一つとして。
だが、その裏で、私は影の組織を率いている。表では決してできない、しかしこの街を守るためには必要な、闇の仕事を。
(エド…私は、お前のこの街を、必ず守り抜く)
私は「表の仕事」をこなすため、衛士団の詰め所へと向かった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/元首の館/地下の書庫【視点:幽霊王子ルト】
「な、なぜそう思うんですか?」
僕は、イルの推測を聞いて、意表を突かれ動揺せざる得なかった。
「ま、正確に言えば、もう少しあのへんだと思うんだけど…」
彼女は、地下室の壁を指さした。その壁の向こう側にはこの街の港、さらにその先には内海が静かに広がっている。
「ていうかさ、この国の街並みって、ルトの国に似てるところあるでしょ?」
イルは少しイラついたように僕を見た。
「ま、まぁ、建物の外観とか、人種とか、文化とか、言語とか…ありますよね」
この街にきて、僕の故郷と似ていると感じ、もしかしたら故郷はこのあたりなのかもしれないと思っていたが、そのことは内面に留め、イルには共有していない。
「そういうところ、言わないとわかんないから。もしかしたら、ルトってわざとそうしてる?『復活したい』とか言いつつ、実は、私と離れたくないとか。私のこと好きなの?」
「そっ、そんなわけ、あるはずがないです!僕だって早くこんな酒臭くて磯臭い人から離れたいですよ」
まさかそんな方向に話が持っていかれるとは思わず、我ながら下劣な反論しかできなかった。
「はぁ!?」
イルは慌てて自分のにおいを嗅ぎ始めた。
「って、キミ、匂い感じられない身体じゃん。最ッ低!!」
僕は霊体ゆえに、匂いはおろか、味や暑さを感じることができない。
彼女は、それでも自分から匂いが出ているのか気になったようで、香り袋をパタパタと首や胸にあてている。彼女は意外と、人間の女性的な思考があるのだ。
「まぁいいや。で……何の話か忘れちゃったじゃん」
イルでも忘れることがあるんだと感心しつつ、我ながら「してやったり」と思った。
「あ、ここが、僕の故郷だって根拠です」
「そうそれ。まだここにある本をすべて読んだわけじゃないけど、ルトの故郷を知る断片的な記述は、いろいろな本に、様々な形で残されていて、それをこの本《イスカ平野の幻の国と失われた民》の記述と結びつけると、自ずとこの場所が示されるんだよね」
ただ、それでは僕が持っている疑問は解消されない。
「実は、僕も『このあたりかもしれない』と推測はしてました。でも、僕の故郷は『内陸部』にあったんです。だから、その疑問が解消されるまでは、あえて話さなかったというのもあります」
イルは僕の言葉を聞いて、すごく得意そうな顔をした。
「あぁ、それね。教えてほしい?」
でた。すごく癇に障る、僕をあおり倒すような態度。
「当たり前です」
「教えてください。イル様。は?」
こういう時の僕は、自分の自尊心を幽体離脱させる。いや、幽体離脱からの意思離脱だろうか。
「オシテクダサイ、イルサマ」
「あはは。ごめんルト、可愛いところもあるね」
絶対後から隙をついて、人前で盛大に転ばせてやる。僕はそう固く誓った。
「『神ガ目覚メ、天海ガ満チタ』って、『彼ら』の伝承覚えてる?」
彼女が語ったのは、僕がこの街に来る前にいた場所で語り継がれていた、神話の一説だ。
「1500年前頃に書かれた、古代の名もなき王国の預言書《王家の星辰》によれば、『その深淵が目覚めるとき、海は大地を飲み込む』と予言されていて、1350年頃に《賢者オリエンス》が書いた《嘆きの知の旅路》では、その予言に触れたうえで、『予言が成り、海に沈み消えた民の亡霊が…』って書き綴られている。ほかにも…」
彼女は、僕の様子を見ながら、次々に断片的な情報を提示してきた。まるで、僕にその答えを言わせようとするように。
さすがの僕も、そこまで言われれば理解できる。いや、理解したくなかった。
「海に沈んだんだ。僕の故郷は」
僕は、イルが言わんとする結論を自ら口にした。
1400年という途方もない時間をかけて僕が探し求めた旅路の終着点は、既に失われていたのだ。
僕の故郷は、このバイレスリーヴの潮風の届く距離にある。しかしそれは、数千年の時と深い水に阻まれていた。
僕の胸に満ちたのは、単純な悲嘆ではない。
それは、手の届くほど近くにありながら、二度と地上に姿を現さないであろう「海の墓標」を見つけたことによる、深遠な静けさだった。
母様の笑顔。兄の背中。父様の厳格な眼差し。広大な庭園。魔法の研究に明け暮れた日々。
それら全てが、今、海の底に沈んでいる。
「で、この街は、キミの故郷が魔法で滅ぶ前に国から出た人々が、国が滅んだ直後のくらいに世界で起きた謎の海面上昇。『彼ら』風に言うと『天海ガ満チタ』後に故郷の近くのこの場所に戻り、作り上げた都市なんだと思う。だから、君が、この街並みからイスカ・ファル王国の風を感じられるんだろうね」
先ほど感じた悲壮感が、彼女の推察を聞き緩和される。彼女は、自分の故郷の息吹が完全に消えてないことを思い出させてくれた。
僕の国は滅んだ。だけど、その血を引く者たちが、この街を築き上げたのだ。
「イル、僕を沈んだ故郷に連れて行ってください」
「しょうがないなぁ……いいよ」
僕の願いを、イルは快く聞き入れてくれた。




