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S-55 「地下の書庫に籠もっているはずです」

バイレスリーヴ/裏通り/風俗街【視点:世界(観測者)】


 大会翌日の昼の鐘が近づく頃。


 昨夜の嵐が嘘のように、バイレスリーヴの街には穏やかな陽光が降り注いでいた。内海から吹き込む心地よい風が、路地裏に澱んだ喧騒の名残を洗い流していく。


 その晴れやかな空気の中、不釣り合いなほど張り詰めた気配を纏う一人の女性がいた。


 褐色の肌をしたダークエルフの美女、ディナリエル。彼女は灰色の髪を潮風になびかせながら、鋭い眼光で裏通りの掃討作戦を指揮していた。彼女は、《バイレスリーヴ議会》の六議員のうちの一人でもある。


「長官。関係者の身柄拘束、及びラクリマの押収はおおむね終了しました」


「うむ。思ったより早く終えることができたな。ご苦労だった」


 彼女は報告に来た衛士隊長に、短くねぎらいの言葉をかける。


「はっ!……なお、複数の証言によれば、やはり仕入れ先はザーラム系の商人につながっていたようです」


「まぁ、そうだろうな。あわよくば、その背後まで……と考えていたが、なかなかそうはいかないか」


 ディナリエルは連行される売人や、薬を斡旋していたとみられる娼婦らを冷ややかに横目で見ながら、視線だけを鋭く巡らせた。


 探しているのは、一人の男の姿。ザーラム共和国の執政官バージェスの左腕であり、同国の財務官ワキールだ。


 彼は、ザーラムの内通者である冒険者ギルド会長、アドホックの自白により、バイレスリーヴに対する工作活動を影で指揮していた黒幕としてその名が浮上していた。


 彼女は、衛士団としてではなく、自身の持つ「別の情報網(視点)」からワキールの動きを注視していたのだが――どうやら、ワキールのほうが一枚上手だったらしい。


(……街中をただの観光客のようにふらついていた奴が、主だった動きを全く見せなかったことで、早々に監視対象から除外してしまった。……完全に、私の判断ミスだ)


 彼女は唇を噛む。反省すべき点だ。やはり「組織」の人手不足を解消しなければ、この国の影までは守りきれないか。


 彼女は短い思案の中で、今回の決闘大会において、アドホック陣営に入り込んだザーラムの魔の手が、バイレスリーヴの喉首を皮一枚まで切り裂いていたという事実に、改めて戦慄を覚えた。


「……選択と集中。理解していたつもりだがな」


 彼女は、全ての関係者の連行が終わると同時に、誰にも聞こえないような声で自嘲気味に呟いた。


「よし、後は所定の手続きに則り、粛々と進めてくれ。私は元首様達の回診で場を離れる」


「はっ!」


 彼女は現場の収拾がついたことを見届け、指揮権を副官に譲った。


 さっきまで「逮捕と尋問」を指揮していた口で、次は「治療と回診」に向かう。その言動の不一致に、微かな苦笑いを浮かべながら、彼女は一人その場を離れた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/裏通り/元首の館


 元首の館。ディナリエルは慣れた足取りで、ある一室に入った。


「容体は?」


 ベッドに横たわるオリアンの看護を行っていた使用人に、静かに声を掛ける。


「まだ少し熱がありますが、先生の処置とお薬のおかげで、驚くほど良くなってきています」


 使用人はオリアンの額から水袋を外し、手を翳して熱を測った。ベッドの上の青年が、重いまぶたを開ける。


「うぅ……っ。ディナリエル先生、僕はいつ動けるようになるのでしょうか」


 オリアンは身体中の痛みに耐えながら、縋るように質問した。彼の身体は包帯でぐる巻きにされている。昨日の決闘大会の最終決戦。


 ザインによる投げナイフやニードルの投擲を全身に受けたほか、ブーアの鉄槌が左耳を掠めた衝撃で、鼓膜が破裂し、聴力を失っていた。


 ディナリエルは、長きにわたる研究と経験を重ねたことで、適性を有する《緑沃魔法りょくよくまほう》により、細胞の活性化を促し、自己免疫による回復を爆発的に早めることができる。加えて、薬学の知識を駆使し、自分の治療法に最適化された薬を独自で調合している。


「そうだな。肩や腕、脚の傷が深い。最低二週間はこのまま安静だ」


 ディナリエルは、ベッドの隣の椅子に腰掛けて脚を組み、言葉を濁すことなく淡々と事実を告げた。


「左耳は、何とも言えない。最悪、このまま治らない可能性もある」


「……っ」


 オリアンが息を呑む。だが、彼女は甘やかすことはしない。


「ただ、元首様は血を流しすぎた。無理やりにでも血になる肉や魚、野菜を食べることだ」


 オリアンの負傷箇所をテキパキと診察し、使用人に看護の方法と、投与する薬の量を指示する。


「いろいろと……やるべきことがあるのに……」


 オリアンは歯がゆい思いを滲ませた。そこには、かつての「引きこもりの臆病者」の姿はない。痛みと恐怖を乗り越え、この街を背負って立つ覚悟を決めた、一人の青年の姿があった。


 短い期間に数々の困難を乗り越え、死の恐怖とも間近で対峙した彼は、確かに成長していた。


「今は身体をゆっくり休ませろ。グリンネルとキノルも同じようなものだ。休息こそが、回復までの一番の近道であり、最大の薬だ」


 ディナリエルはオリアンの処置を終え、甕のぬるま湯で血のついた手を洗った。


「先生の言うとおりです。ただ……」


 オリアンは、窓の外から見える内海を一瞥し、曇った表情を見せた。


「心配するな。外海の魔物への対策だろう?既に議員で話し合い、動き出している」


 彼の懸念を察知し、街の新たな動きについて語った。


「バイレスリーヴ議会は、緊急的措置条項に則り、会長のアドホックを欠いた冒険者ギルドから、その運営権を一時的に議会へ委譲させた。これにより議会から冒険者ギルドに対し、沿岸警備の任務を正式に付与し、冒険者たちに対して半ば強制的に沿岸警備をさせている」


「おぉ……」


 オリアンが感嘆の声を漏らす。ディナリエルは彼の反応を見ながら更に続ける。


「これはもちろん、応急的な措置だ。まだ私案の段階だが、今後は冒険者ギルドは、不正の監視と立て直しを名目に、議会の意に沿い、かつ実力を有し冒険者たちを抑え込める人物を会長に据えて、議会がギルドの運営に深く介入していこうとも考えている」


 オリアンは驚いたような、困惑したような、何とも言えない表情を浮かべた。ここまでの改革が、わずか一晩で行われたのだ。


 そんなオリアンを見て、ディナリエルは鉄仮面のような表情を崩し、わずかに微笑んだ。


「元首様が多少不在な所で、この街の政治が大きく停滞することは無い。そのための議会だ。だから、今は安心して身体を休むがいい」


 オリアンは亡き父の言葉を思い出していた。『この街の議員は、誰もが一国の主になれる程の器と能力を持ち合わせている』と。


 長い歴史を持つバイレスリーヴ議会には、ルーガットやダイアナ、ディナリエルなど、街を想う優秀な人材が揃っている。あのアドホックであっても、そのやり方こそ間違っていたが、国を想う熱量は本物だった。


「そのかわり、身体が良くなったら、しっかりと働いてもらうからな」


 ディナリエルはそう付け加え、席を立った。


「そ、そうですね。一日でも早く、皆さんの力になれるよう、そのお言葉に甘えさせていただきます。……僕にその大役が務まるか、不安しかありませんが」


 オリアンは苦笑いを浮かべてベッドに身を預けた。ディナリエルは部屋を出る間際、ふと思い出したように振り返った。


「そういえば。元首様のもう一人のお仲間は?」


「イルですか?おそらく、地下の書庫に籠もっているはずです」


 オリアンの答えを聞き、ディナリエルは短く頷くと、静かに部屋を後にした。

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