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S-5 そして黄金の祝祭へ

バイレスリーヴ/裏通り/書店「書店の書庫」【視点:蒼髪の少女イル】


 私とルトは、この国の、この世界のことをあまりにも知らない。

 冒険に出発する前に、歴史以外の棚の本にもすべて目を通すことにした。


 書棚の知識を次々と飲み込み、抽出した情報をルトに共有し続けた。死からおそらく長い間、文明から隔絶された場所で過ごしてきたルトにとって、この世界の歴史は、とても興味深い情報の宝庫のようだ。


 この書店の本によれば世界は、以下のような構造になっているらしい。


 1.大陸の形状

 この大陸は三日月型をしている。その隙間を下に向けた形状で、北は人外の魔境《概念の彼方》、南は人類圏《人治の平原》に分断されている。


 2.外海と防衛線

 大陸は《外海》と呼ばれる果てしない海に囲まれており、「この世界で唯一の陸地」と記されている。内海への入り口は、古代文明の遺産《巨大海門》によって守られている。


 3.二大勢力

 南の平原は、東の厳格な軍事国家《帝国ゼーデン》と、西の自由と交易を旨とする《連合王国レクイウム》に二分され、長年冷戦状態にある。


 4.第三勢力の台頭

 星灯歴1100年、西側の緩衝地帯で小国家群がまとまり、《ザーラム共和国》が成立。軍事力を背景に勢力を拡大し、東側のこの国、バイレスリーヴへ触手を伸ばしている。


『……ふむ。この大陸の地形と勢力図、大体把握しました』


 ルトの意識が地図を構築していると、私は少し面白おかしく補足する。


『あとね、この大陸は《外海》って場所に囲まれてて、そこには《ヴュール》っていうヤバい海の種族がいるんだって』


『……人間というのは、理解の及ばない「外側」の恐怖に、勝手な名前をつけて安心したがる生き物ですからね』


 ルトは冷ややかに相槌を打った。


『で、ルト。君の故郷分かった?』


『……いいえ。そもそも生前、大陸全土の地図など見たことがありませんから』


 ルトは壁に掛けられた大陸地図を凝視する。


『……情報不足ですね。やはり一般書では核心に触れられない』


『はぁ……。せっかく私が頑張ってるのに』


『煩いですね。キミと違って、僕は高尚な思索に耽っているんです』


『あーはいはい。どうせ「ボクの国どこー?」って迷子になってただけでしょ』


『……調子に乗るなよ、ポンコツ人形。あまり煩いと、身体の制御を奪って、パンツ脱いで街中を走らせますよ』


『はぁっ!?やれるもんならやってみなよ!』


 相変わらず最低だ。彼の下品な思考は本当に王子なのか疑わしい。


『でも、やったら絶対許さないからね!この陰キャゴースト!』


 私は腹いせに、ルトが浮かんでいる右肩あたりを自分の拳でポカポカと叩いた。


「え……どうかした?」


 店員のキノルが、虚空を殴る不審者を見る目で見ている。


「ううん、なんでもない!肩が凝っちゃって」


 ルトのせいで私が取り繕う羽目になった。


「さぁ、今日は遅いし、明日に向けてゆっくりしよう!」


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/裏通り【視点:幽霊王子ルト】


 書店を出ると、街の輪郭はすでに夜のとばりに沈みかけていた。揺らめく炎が、建物の影を長く、濃く伸ばしていく。


 その時、グゥ~っと情けない音が鳴り響いた。

 音の出どころは、イルの腹部。


 彼女は僕の顔をじっと見つめる。その表情が熱を帯び、羞恥と、「誤魔化せるか?」という悪戯っぽい計算が混じり合っているのが見て取れた。


『……全く。本能に正直な身体ですね』


『うっさい。さぁ、初めての街で、何を食べよっかな!お昼に通った大通りの店に行ってみよ!』


 僕は食事をする必要がない。


 だが、この「器」は、定期的な食事の摂取が不可欠。生物である以上、それは当たり前の話。だけど、無駄な出費は抑えたいところ。


 彼女はそんな僕の懸念をよそに、匂いにつられ足取り軽く歩き出した。薄暗い路地を抜け、街の中心《潮風通り》へ。


 そこは、無数のランタンが輝き、中でもひときわ光量の強い建物が目に飛び込んでくる。


 食酒場《黄金の潮風亭》。


 楽しげな話し声、食器のぶつかる音、歌い声。それらが渾然一体となって、僕の聴覚を刺激する。


『私のお腹が、ここだって言ってる』


 イルは迷うことなく、その喧騒の渦中へと飛び込んだ。


 店内は、まさに祝祭のような騒ぎだった。

 木製のテーブルには所狭しと湯気を立てる料理が並び、冒険者や商人たちが、肉を頬張り、酒を煽り、唾を飛ばして語り合っている。


 彼女のような一人客は珍しいのか、視線が一斉に彼女に集まる。

 居心地の悪さを感じる僕。イルは若干戸惑いながらも、店員らしき女性に声をかけた。


「いらっしゃい、お一人ですか?」


 現れたのは、この騒がしい店には似つかわしくない、小柄で儚げな雰囲気の女性だ。

 イルは頷き、ふと吹き抜けにある静かな二階席を見上げた。


「ごめんなさい、二階の個室は予約のお客さまが使われていて……カウンターなら空いてますよ」


 イルはそのまま、案内されたカウンター席へと座った。

 今回の食事は情報収集も兼ねている。一階の喧騒の中にいた方が都合が良い。

 イルは座るやいなや、壁のメニュー板を指差して僕に問いかけた。


『ルト。あれ、どんな料理?』


『……名前だけでは成分が不明ですが……「魚の香草焼き」に、「海の幸のスープ」。隣は鳥肉を油で揚げたものでしょう』


 僕が答えると、イルの瞳が輝きだした。


「良くわからないけど、あれと、あれ、あれと、あれを。全部ひとつずつください!」


『ちょ、待ちなさい!手持ちの資金はどうなっているんです!?』


 彼女の所持金は、道中で得た35銅貨と、野党のアジトで回収した20銀貨のみ。


 この注文量では、資金が底をつく危険性が高い。


「それと、あれもお願いします」


 僕の警告を無視し、イルは他の客が飲んでいるものに視線を向けた。


 陶器のマグに入った、液面が泡で覆われた飲み物。

 店員は呆れたように、しかし面白そうに笑って厨房へ消え、すぐにその飲み物を運んできた。


『これこれ。えーと、これは何だろう』


『……麦酒ビールです。穀物を発酵させたアルコール飲料ですが、キミの歳で美味しいと感じるかどうk……』


 僕の言葉が終わる前に、イルはマグを両手で持ち上げ、躊躇なく口元へ運んだ。


『人の話は最後まで聞く!』


 ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ……


 喉を鳴らす音が僕の中に響いてくる。

 彼女は一気にマグを飲み干し、口元についた泡を舐め取った。


「ぷはぁー!」


 イルは、初めて摂取するアルコールに顔をしかめるどころか、恍惚の表情を浮かべた。


「冷たっ!苦っ!旨っ!」


 彼女は空になった容器を掲げ、高らかに追加を注文した。この「器」の胃袋は底なし沼。僕は頭を抱えた。


 今宵も、この暴食の怪物が満足するまで、付き合うしかなさそうだ。

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