S-45 「キミは、焼き鳥」
バイレスリーヴ/闘技場/舞台【視点:世界(観測者)】
開始の合図で、オリアン陣営とアドホック陣営が、互いに警戒しながら動いた。
オリアンはグリンネルの指示に従い、アドホック陣営から目を離さないように、彼とキノルの背後へと素早く移動する。
「いけます、勝ちましょう!」
オリアンの鼓舞する声が、震えながらも響く。
「だな!」「うん」
グリンネルとキノルが短くそれに応じた。
先に動いたのは、アドホック陣営だった。
ブーアが、鬼気迫る表情で最も厄介な魔術師、キノルに一直線に突進を仕掛けてくる。この判断は決して卑怯ではない。
集団戦においては、広範囲攻撃を持つ魔術師を最初に潰す。これは基本にして絶対の戦術だ。丸太のような太い足が地面を蹴り、戦車のような勢いで迫る。
キノルは動かない。
全快しきっていない魔力でも確実に仕留めるべく、ブーアの体格と同等の猛獣を倒すのに十分な魔力を練り上げる。彼女は杖を構え、静かに、しかし力強く詠唱を開始した。
「虚ろなる魂の深淵より、原初の雷鳴を呼び覚まさん……」
ブーアが間合いに入る。その禍々し鎚が振り上げられた。キノルはまだ動かない。
「死ねぇぇぇッ!!」
ブーアの鈍器を振り下ろされようとした、その瞬間。
カッ!
キノルの胸元に輝く、翠色の宝石があしらわれた首飾りが、禍々しいほどの強烈な光を放った。ファイネから託された、「同胞」の証。
「雷撃!」
キノルの黄色い雷の魔力に、首飾りから溢れ出した翠色の風の魔力が激しく絡み合う。
雷と風。二つの属性が螺旋を描き、キノルの身体の許容量を超えて膨れ上がる。彼女自身も、その奔流に目を見開く。
(なにこれ……魔力が、溢れてくる!)
制御など不要。ただ放つだけでいい。キノルは杖を突き出した。
ズッドォォォン!!!!
轟音と共に放たれたのは、翠色の光を帯びた巨大な雷撃の槍。それはブーアの巨体を正面から貫き、そのまま彼方まで消し飛ばすほどの勢いで突き抜けた。
ブーアは悲鳴を上げる暇もなかった。その巨体は木の葉のように後方へと無様に吹き飛び、舞台の端の石壁に激突してめり込んだ。
全身から黒煙を上げ、ピクリとも動かない。
一撃。あの上級冒険者ブーアが、たった一撃で沈黙した。
「な、なんと……あのブーアを、一撃だぁぁ!!?」
サファルの絶叫のような実況で、会場が割れるほど大きく湧きあがった。ファイネの首飾り。それは、ただの友情の証ではなく、彼女に風凪属性を付与・強化し、その魔法を極限まで増幅させるアーティファクトだったのだ。
「ちっ……ウスノロが!」
その呪文を警戒して横目で見ていたシェルクは、苛立たしげに舌打ちをした。
彼は前の戦闘の影響でぬかるんでいる舞台を、水面を滑るような見事なステップで駆け抜け、キノルに一直線に近づいていく。
ブーアが倒れた今、魔術師を潰すのは彼の役目だ。
「させない!」
グリンネルは、炎破の魔剣を握り直し、シェルクの進路に割り込んだ。
ジャグリングしながら攻撃の機をうかがっているザインの動きも視野に入れつつ、シェルクの神速の突きに対応する。シェルクに負けずとも劣らない驚異的な身体能力で、キノルを守る盾となる。
「ひゃっはっは!テメェが俺のところにカチ込んで来やがった恨みは忘れてねぇからな!!」
シェルクの攻撃を妨害させないよう、ザインが横からグリンネルに向かってナイフを投擲した。
ヒュン、ヒュン、と風を切る音。
ザインの正確無比なナイフ投擲を躱すことは不可能に近い。
その技術は、敵の筋肉の動きを観察し、その先の動作まで先読みして未来を射抜く、達人の業だ。
グリンネルはその対処に意識を割かれ、シェルクへの対応が一瞬遅れる。シェルクの細剣が、グリンネルの防御をすり抜け、キノルを狙う。焦りがグリンネルの顔に滲む。
「うあぁぁあ!」
その時。グリンネルの背後に控えていたオリアンが、雄叫びを上げて飛び出した。
彼は短剣をめちゃくちゃに振り回しながら、無謀にもザインに向かって突っ込んでいったのだ。
「ばっ……いや、頼むオリアン!」
グリンネルは、オリアンの行動に一瞬驚愕するも、ザインの意識がオリアンに向いた好機を逃さなかった。
彼は全神経をシェルクへの対応に集中させ、身体を滑り込ませてキノルを庇い、間一髪でその致死の一撃を魔剣「ドリヒレ」で受け止めた。
キノルは、グリンネルが守ってくれることを信じ、微動だにせず次の詠唱――グリンネルを補助する能力強化魔法を編み上げ始めていた。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/闘技場/舞台【視点:世界(観測者)】
ザインは隠し武器の扱いに長けた、冷酷で隙のない暗殺者だ。その眼差しは、怯える獲物を前に舌なめずりをする蛇のように冷たく、粘着質。
僕は、試合開始前にグリンネルから譲り受けた片手剣を構え直した。
呼吸が荒い。足が震える。怖い。
対するザインは、両手で投擲用のナイフを弄びながら、腰のポーチには大量のニードルを忍ばせている。その余裕綽々な仕草は、僕を完全に侮りきっていた。
「ヒッヒヒ……坊ちゃん。どこを狙ってほしい?ここか?ここか?それとも……」
ザインが自分の脚や肩を順番に指さし、嘲笑した直後。何の前触れもなく、銀色の閃光が僕の顔めがけて飛来した。
ガキン!
紙一重で首を反らし、そのナイフは後ろの石壁に甲高い音を立てて突き刺さった。
これは僕の意思で躱したのではない。ザインの冷酷な殺気に、ただ腰が抜けて体勢が崩れただけだ。
「ほぉ……俺のを躱すか……面白い!」
ザインが嗜虐的な笑みを浮かべる。
僕は圧倒的な危機感に背筋が凍りついた。もし偶然タイミングよく腰が抜けていなければ、あのナイフは確実に僕の額を貫き、僕は即死していただろう。
この決闘大会では殺人が禁止されているはずなのに、ザインは明らかに殺意をもって投擲している!
片手剣で頭を隠しながら、僕は震える足に鞭を打って立ち上がる。真正面から挑んで勝てる相手ではないことは明白だ。まともに戦えば、数秒でなぶり殺しにされる。
ならば……。
僕は腰に提げていた、二本の空の薬瓶を手に取ると、ヤケクソ気味に高く放り投げた。
パリーン!
瓶は砕ける音を響かせ、ガラスの破片を撒き散らした。ヴュールとの激戦で泥濘んだ地面――その中でザインが足場に選んでいた、数少ない乾いた箇所を狙い澄まして。
そのガラス片は、闘技場の夥しい数のランプの灯りを受け、キラキラと輝いている。
「ヒヒッ、なんだぁ!?ガラスで足止めしようってのか?馬鹿の愚策だ。お前を殺すのに踏み込みなんかいらねぇよ!!」
ザインは足元のガラス瓶を一瞥し、鼻で笑った。
彼は僕を「敵」として見ていない。「玩具」として見ている。彼は手にしていたナイフを冷酷に光らせた。
ズガッ!
嫌な音と、鈍い衝撃が体中に響き渡る。僕が頭だけは守ろうと、とっさに剣とともに顔を覆った右腕に、ナイフが深々と突き刺さった音だった。
「うああぁぁぁ!!」
僕は悲鳴にも似た大きな声を上げて叫び回った。
候補者としての体裁など、最早どうでもよかった。痛い。熱い。怖い。でも、叫べ。もっと無様に。もっと惨めに。
臆病者のレッテルこそが、僕の唯一の武器だ。
「ひっひ!ぎゃーぎゃーと、去勢された豚かおまえは!?」
ザインは愉快そうに笑い、腰のポーチからニードルを掴み取る。正確無比な投擲。そのニードルは、僕の太腿に深々と突き刺さった。
「うぐぁぁぁぁぁあああ!」
僕はさらに大きな声を上げてのたうち回る。痛みと絶望の叫びは、ザインの嘲笑をさらに大きくした。
「ひゃっひゃっひゃ!うるせぇ豚めが!黙って死ねや!」
ザインは高らかに笑いながら、とどめのニードルを取り出そうとポーチに手をかけた。彼の目は、完全に僕を侮っている。もはや僕は戦闘不能の獲物でしかない。
油断の瞬間。まさに、この時だ!
その瞬間、僕は手に持っていた片手剣を、ザインに向かって全力で投げつけた。剣術もへったくれもない。もはや剣の役割は武器ではなのだ。
「なんだぁ?やけくそな豚……やけ豚かぁ!?」
ザインは僕の投擲技術の素人臭さを鼻で笑う。彼の動体視力は、迫りくる剣の軌道と、足元に撒き散らされたガラス片の位置を瞬時に計算していた。
(ガラスを踏めば動きが鈍る。ならば――)
彼は嘲笑いながら身をよじり、ガラス片のない場所へと足を踏み出した。そこは、ヴュールの激流によって土が掘り返され、ぐちゃぐちゃに泥濘んだ場所だった。
ザインの足が、濡れた土にめり込む。
ズルッ。
踏ん張るはずの軸足が、泥に足を取られて微かに滑った。
「――あ?」
致命的な、コンマ数秒の遅延。
彼は気づいていなかったのだ。僕の無様な悲鳴も、ガラス瓶も、剣の投擲も。すべては彼をこの「泥の足場」へ誘導するための布石だったことに。
そして、僕の背後に迫る、焦熱の気配にも。
「いっ、今です!」
立っているのが限界になって、ちょうど舞台に崩れ落ちた僕の背後から――。
キノルが、焔の色の魔力を全身に纏い、一瞬の隙を突いて躍り出た。彼女は杖を構え、無表情のまま、しかし確かな殺意を込めて宣告する。
「キミは、焼き鳥」
ザインが体勢を立て直そうとするが、泥濘に軸足がとられ僅かに遅れた。
微かな隙。それは上級冒険者から、僕が身体を張ってつかみ取った報酬。
彼が視線を前に向けた瞬間。そこには、キノルの放った燃え盛る特大の火球が、回避不能な距離まで迫っていた。
ボォォォォオ!
「なッ――!?」
轟音とともに、炎はザインの体に命中し、全身に瞬時に燃え広がる。
「うぎゃぁぁぁぁ!!!!」
ザインは焼けるような激痛に悲鳴を上げ、火を消すために反射的に地面を転がりまわった。
しかし、そこは僕が撒き散らしたガラス片の海だ。
ザクッ、ジャリッ!
転がるたびに、無数のガラス片が皮膚を突き破り、彼の身体中を切り裂いていく。炎の熱と、ガラスの痛み。二重の地獄。
「あ、あが、あああぁぁ……ッ」
火が消えた時には、ザインは血みどろになり、ピクリとも動かなくなっていた。彼は戦闘を継続できる状態ではない。完全に沈黙した。
「ななななな、なんと!オリアンが満身創痍になりながらも、キノルの奇襲と連携で、冷酷な暗殺者ザインを倒してしまったぞ!?」
サファルの驚愕の実況が響き、会場がさらに大きな歓声で湧きあがった。
僕は全身の激痛をこらえながらも、勝利の安堵に深く息を吐いた。
臆病者だった僕が、ここまで来た。
仲間たちと共に、知恵と勇気で、強者を倒したのだ。
(まだだ……まだ、終わっていない!)
僕は痛む体を引きずり、最後の戦いが繰り広げられている場所へと視線を向けた。




