S-36 「なんだ、アイツは……」
バイレスリーヴ/闘技場/舞台【視点:用心棒ファルクレオ】
グリンネル。
この口下手な俺を師と仰ぎ、必死に食らいついてきた少年が、今、信じられないほどの高みへと至り、俺の前に立ちはだかっている。
人の限界を超越するため、肉体が持つバネと重力を最大限に活かす失われた古流武術、《ドルハ・起源流》。
俺はそれを、著者不明の武術書《武神の心得》を紐解きながら独学で復元し、その道を極めることだけを目的に生きてきた。孤独で、果てのない道だ。
俺と別れて久しい少年は、俺にはない「魔法」という才能を開花させていた。その炎の斬撃を見た時、俺の胸には素直な喜びが湧き上がった。
魔法特性に恵まれなかった俺が、筋力と速度だけで空気を断ち切り生み出した中距離攻撃『風圧斬』。少年が俺と同じ「中距離を制する」という至上命題に対し、魔法という異なる手段で解答を出したことに、この胸が熱く高鳴る。
だが、まだまだだ。少年の炎は鋭いが、まだ技を御しきれていない。高めようとするあまり、炎の勢いに剣筋が振り回されている。あと少し。あと少し磨けば、驚くほどの昇華を遂げるだろう。そのためには、乗り越えるべき「壁」が必要だ。
(……いいだろう。俺がもう一度、その壁になってやる)
俺は、少年の炎の斬撃を一つ一つ噛み締めるように風圧斬でかき消し、距離を詰めた。そして、愛と敬意を込めた渾身の一撃を叩き込む。
ガァン!!
金属と金属が悲鳴を上げる音が響いた。
少年は俺の渾身の一撃を、片手剣一本で見事に受け止めた。真正面から受ければ砕ける衝撃を、瞬時の脱力と角度調整で地面へと逃がす。鍛え上げられた肉体、そして揺るぎない胆力がなければ成し得ない絶技。
「……見事だ」
思わず声が出た。
無口な俺が、戦いの最中に言葉を発した。
この少年は、俺が想像していたよりも遥かに高く、遠くへ到達している。
少年から青年へと変わる過渡期の爆発力。伸び代の少なくなった俺と比較して、驚くほど短期間でその成長を遂げている。
(まだまだ……強くなるぞ、グリンネル)
胸の奥で、師としての歓喜が震えた。この戦いが終わるのが惜しい。もっと見ていたい。もっと打ち合いたい。
その時、世界は沈黙した。
ズガァァァン!!
空気が悲鳴を上げたような、異様な轟音が鼓膜を破った。地面が鉛のように波打ち、内臓がせり上がるほどの激しい振動が、俺の身体を突き抜けた。
「師匠!」
グリンネルの切羽詰まった声。
俺は対戦中の少年から目を離すのを一瞬躊躇した。武人としての本能が、隙を見せることを拒んだからだ。
しかし、対面しているグリンネルの瞳に、信じられない「何か」が映り込んでいるのを見た。彼は剣を捨て、俺の腕を掴み、自分の方へ勢いよく引き寄せた。
ドォォォン!!
直後、巨大な質量が俺の肩を掠め、背後の観客席に突き刺さった。
舞い上がる粉塵。悲鳴。晴れた視界に見えたそれは、巨人族ですら持て余すであろう、巨大な銛だった。
直撃を受けた観客席は、幸いにも支柱部分だったため即死者こそ出なかったものの、爆風と破片で多数の観客が吹き飛ばされている。会場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
「ギシャァァァア!!」
その悍ましい咆哮に、俺は反射的に振り返った。そこに存在したのは、見たこともない巨大な異形。禍々しいオーラを纏い、深海の悪夢を煮詰めたような姿。
「なんだ、アイツは……」
俺は、生まれて初めて、底知れぬ恐怖を感じた。それは、己の命の危険に対する生物的な恐怖ではなく、世界の均衡が崩れるような、圧倒的な「理の外」に対する戦慄だった。
孤独に武を極め、人外の領域に片足を突っ込んでいた俺が、初めて「勝てないかもしれない」と本能で理解した相手。それが、目の前の異形だった。




