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S-32 「どのような手段を使っても」

バイレスリーヴ/闘技場/オリアン陣営控え席【視点:幽霊王子ルト】


 キノルの試合の熱狂は収まる気配がない中、オリアンが声を張り上げた。


「イルさん、お願いします!」


 僕の器は、この張り詰めた空気などどこ吹く風とばかりに、にっこりと微笑んで応じた。


「うむ!グリンネル、私が戻る前に勝ってたとか、無しだからね!」


 軽口を叩きながら、彼女は慣れた手つきで葡萄酒入りの革袋を肩に掛け直した。


「お、おう!」


 イルの冗談に、グリンネルは苦笑いを浮かべた。今回の僕たちの任務は「使いっ走り」だ。


 先のダイアナとの激戦で枯渇したキノルの魔力を緊急的に補填するため、イルの仕事場である「書店の書庫」へ走り、《魔力の雫》と《生命の丸薬》を回収する。


 これは、グリンネルが次戦で勝利し、時間を稼ぐことを前提とした綱渡りの策だ。グリンネルは、舞台の上で待ち構える鉄壁の用心棒、ファルクレオを真っ直ぐに見据えた。


「いってくる」


 彼が口にしたのは、たった一言。


 だが、その背中からは、底知れぬ闘志が湯気のように立ち昇っていた。


 奴隷という底辺から這い上がり、ここまで辿り着いた男の覚悟。その重圧が、霊体に伝わってくる気がする。


(日陰者の僕にとって、彼が苦手なのには代わりはない。だけど…)


『まぁ、骨くらいは拾ってあげますかね』


『素直じゃないなぁ。ルトは』


『そういう性分なので』


 そして、隣にいるオリアンは、精神を高める彼に気の利いた言葉ひとつかけることができず、ただ喉を詰まらせていた。


 彼は固く拳を握りしめ、祈るように戦士の背中を見つめている。


 そんな彼らを背に、イルは闘技場外へと走り出した。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ闘技場/舞台【視点:世界(観測者)】


 バイレスリーヴ闘技場の熱狂的な喧騒の中、高らかなファンファーレが鳴り響いた。司会者のサファルが、興奮に満ちた声で叫び、場内の期待を最高潮に煽る。


「お待たせいたしました!いよいよ第三試合の開始です!」


「ルーガット陣営から登場するのは、比類なき剣技と圧倒的な力を持つ巨躯の剣闘士、ファルクレオ!」


「そして、オリアン陣営の剣闘士は、連合王国ではその名を知らぬ者はいない、奴隷剣闘士、グリンネル!」


「なんと、この二人はかの有名な伝説の女剣士、大地のゼルザの剣技の流れを汲む、起源流きげんりゅうの師弟対決です!」


 場内は、オリアン陣営とルーガット陣営の最終決戦にふさわしく、地鳴りのような大歓声に沸き上がった。観客たちの視線は、舞台上の二人の剣士に釘付けになる。


「静まれ!静まれ!」


 サファルは歓声を打ち消すように叫ぶ。


「この日、この闘技場イレーナは、未来の勝利者の血を吸い、敗者の涙で洗い清められる!さぁ、剣を取り、運命を断ち切れ!対戦……開始!!」


 ゴーン!


 銅鑼が打ち鳴らされる。鐘の音が重く轟き渡った。その合図が闘技場全体に響き渡ると、二人の剣士は互いに距離を取り、警戒し合った。


 歓声は一瞬にして止み、張り詰めた静寂の中、肌を刺すような重い闘気が舞台全体を覆い尽くす。


 先に動いたのはファルクレオだった。彼は右足を大地に深く踏み込む。


 ドォン!


 土煙が舞い上がるほどの力強い一歩は、文字通り舞台を揺らした。彼は全身の筋肉を岩のように隆起させ、巨大な大剣を頭上高くに振りかぶる。

 その一撃は、まさしく山をも砕くかのような轟音を伴い、巨大な弧を描いてグリンネルへと振り下ろされた。


 ブォン!


 大剣が空気を切り裂く重く唸る音が、静寂を破った。


 グリンネルは、その圧倒的な剣圧にひるむことなく、右足の親指一本で地面を蹴り、紙一重でその剣をかわす。同時に、しなやかな身のこなしで後方へ跳躍し、流れるように着地した。


 ズガァァン!


 剣が叩きつけられた地面が爆ぜる。あまりにも重々しく、迫力のある初撃に、観客席がどよめいた。


 貴賓席では、帝国万騎軍将軍カースランが、隣に立つ一番隊隊長のジーナに、真剣な眼差しで命じた。


「ジーナ。これは歴史的に貴重な起源流の戦いだ。目ン玉をよく磨いて見ておけ」


「御意です、閣下」


 ジーナは立ち上がり、微動だにせず、試合から学びを得ようと舞台を凝視した。師弟の、真の力と力のぶつかり合いが、今まさに始まろうとしていた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/闘技場、アドホック陣営控え席【視点:世界(観測者)】


 舞台上では、一方的な蹂躙劇が繰り広げられていた。


 ファルクレオは追撃の手を緩めない。彼は前傾姿勢で突き進み、まるで暴風雨のような激しさで連続攻撃を繰り出した。身の丈を超える大剣の軌道は上下左右、変幻自在。時には裏拳のように持ち替え、巨大な鉄塊を叩きつける。その一撃ごとに地面が揺れ、土砂が悲鳴を上げて跳ね上がる。


「くっ……!」


 グリンネルは、持ち前の身軽さと卓越した技で、その一撃一撃をいなし、受け流していく。


 彼の片手剣がファルクレオの大剣とぶつかるたび、耳をつんざくような鋭い金属音が響く。しかし、ファルクレオの大剣は、直撃せずともその風圧だけで骨を軋ませる。


 その圧倒的な「質量」の差は、グリンネルをじりじりと防戦一方へと追い詰めていった。


 ファルクレオはさらに速度を上げる。剣圧が一段と増し、空気が震えた。グリンネルはなんとか致命傷を避けているものの、苦戦は誰の目にも明らかだった。


「流石だ……。元《英雄級冒険者》は、上級冒険者とも格が違うな」


 陣営の控え席で、アドホックは腕を組み、試合の様子を観ながら唸った。その言葉を横で聞いていたブーアとザインは、不愉快そうに鼻を鳴らす。


 アドホックの言う、元《英雄級冒険者》とはファルクレオのことだ。かつて、連合王国ニゲルネムス領の冒険者ギルドで、上級冒険者のさらに上、殿堂入り的称号である《英雄級》を得た男。その界隈で名を知らぬ者はいない生ける伝説。称号獲得後、忽然と姿を消した彼が次に世間に現れたのは、大商人の用心棒としてだった。


 アドホックは、隣で無表情に試合を観察している美青年剣士、シェルクに問うた。


「シェルク殿。……彼、ファルクレオを倒せそうか?」


 シェルクは試合から目を離さず、感情のない平坦な声で答えた。


「どのような手段を使っても」


 彼がそのように答えたということは、実力による正面突破以外に、毒や暗殺といった「裏の手段」も辞さないということだと、アドホックは理解した。


 背筋に冷たいものが走る。アドホックは複雑な表情を飲み込み、再び舞台に視線を移した。


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