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S-3 「み、皆には…内緒ですよ」

挿絵(By みてみん)

書店の書庫

バイレスリーヴ/裏通り/書店の書庫【視点:蒼髪の少女イル】


 古びた書店の扉を開けた瞬間、視界を埋め尽くしたのは、壁一面の書架と、そこから溢れ出しそうなほどの本の山だった。


 乾いた紙とインクの混じり合った独特の匂いが、ふわりと鼻をくすぐる。店内の照明は薄暗く、窓から差し込むわずかな陽光に照らされて、舞い上がる埃がキラキラと輝いている。

 

 外の喧騒が嘘のように遠のく、静謐で重厚な空気がそこにはあった。


「おや、お嬢さんか、珍しいお客さんだね」


 店の奥、本の山に埋もれるようにして、一人の初老の男が座っていた。精緻な片眼鏡モノクルをかけ、筆を走らせる姿には、知識の番人特有の静かな威厳がある。


「あの、このあたりの国の事とか、歴史が書かれた本はありますか?」


 私が書店を探していた理由。


 それは、身体の中にいる厄介な同居人、ルトを追い出すためだ。彼は、自分を復活させる禁術《ベオ・マルグ(死せる生)》を完成させるため、その手がかりを探している。


 そして、それは彼が忘れてしまった故郷にあると考え、歴史や地理が記された本を捜し歩いていたのだ。


「おや、歴史がお好きで?そこの、その棚だよ」


 店主は筆先で棚を示し、背後の扉へ声をかけた。


「おぅい、《キノル》。このお嬢さんに、バイレスリーヴ史の本の場所を教えてあげてくれないか」


 ガタガタと本が崩れる音と共に、扉の奥から淡い紫色の髪をした少女が現れた。彼女は表情のない顔で私の横をすり抜け、無言で棚の前へ立つ。なんとなく色素の薄い、不思議な雰囲気を纏っている。


「あの、こっち。です」


「そうそう、うちの店は立ち読み大歓迎だが、古い本を扱う際には、落丁にだけは気をつけてくれよ」


 店主の言葉に、私は指定された棚から《バイレスリーヴ史》と題された分厚い本を抜き取った。そして、パラパラパラッ――とページをめくり始める。


「…目が回らないの?」


 店員のキノルが目を丸くする。


「うん。大丈夫」


『……相変わらず人間離れした呆れるほどの能力ですね』


 ルトが感心したように呟く。


 一冊、また一冊と、棚の本を手に取り、繰り返す。そして、私は最後の本を閉じ、棚に戻した。


『ルト。……ここの本には、それっぽい記述はどこにもなかったよ』


 私が思念で話しかけると、ルトは即座に答えた。


『そうですか…』


 彼の浮かれない声。


 「目当ての本は見つかったかな?」


 初老の店主が、いつの間にか私たち傍に立っていた。


 私は首を横に振る。


 「なるほど。その手の古い伝承や歴史なら……確か、先代元首の息子オリアンが集めていたよ」


 店主は白い顎髭を撫でながら、何気ない調子で続けた。


 「彼は、古代文明の一次資料や、海神崇拝に関する秘本、禁術に関する魔導書なんて怪しげなものまで、熱心に収集しているようだが」


 ピクリ、とルトの霊体が反応した。


『禁術。古代文明。海神崇拝…なんだか僕たちの求めるものがありそうですね』


 この街に引き寄せられたのは偶然ではない。


 元首の息子。その男が、私たちが求める「故郷」への鍵を握っている。


『だね!早速会いに…』


 その時、扉が開き、一人の青年が入ってきた。小太りで、優しそうなブロンドの髪。その目は、不安と警戒に満ちている。


「おお、噂をすれば。いらっしゃい」


 店主が声をかける。その青年――オリアンは、私の熱烈な視線に気づいてビクリと肩を震わせた。


「あ、あの…なにか?」


「私はイル。あの、歴史が書かれた古い本を探していて。ここの店主さんから、あなたが珍しい本をたくさん集めているって聞いて、もしよければ、少し見せてもらえないかなって」


『イル、出会って早々、いきなりすぎませんか』


 ルトの呆れたような声が頭に響く。


「え、えっと…」


 オリアンは明らかに警戒を強め、身構えた。


『短絡的なキミに助言するとすれば、本が好きだと伝え、褒めて、どんな本を持っているか聞いてみては?そうすれば、もう少し心を開いてくれるかもしれませんよ。面倒ですが』


 ルトの的確な指摘を受け、私は慌てて言葉を改める。


「ごめん。今のはナシ。えっと、私もあなたと一緒で、本が好きなんだよね。だから、珍しい本をたくさん持ってるオリアンさんは、とにかくすごいって思ってて。それで…えーと。どんな本を持ってるの?」


 私は言葉を選びながら質問を続けた。


『はぁ…余計に不審なんですけど』


 ルトの指摘をそのまま言葉にしたら、どこか違う感じになってしまった。


『うるさいな、ルトは黙ってて!』


 そんな、私とルトのやり取りを他所に、オリアンの目の色が光を帯び始めた。


「ええと……」


 オリアンは、何かを話そうとして口ごもった。警戒心はまだ残っているものの、明らかに喜びの色が、その表情から、身体から、溢れ出してきた。まるで、子供のように。


「み、皆には…内緒ですよ」


 彼は、小声で前置きした。その琥珀色の瞳はきらめき、わずかに頬を赤らめると、堰を切ったように言葉が溢れ出した。


「えーっとですね、《呪いの皮書メズマラ》っていう、呪われた獣の革で作られた本とか、神話《深海からの呼び声》は一巻から四巻までみんな揃ってるんです!あとは概念の彼方含む、シーア大陸全土の危険動物の生態を記した《百獣の書》とか、失われた魔疫魔法に関する禁書《失われたグリモア》、古代の星図を記した《天文儀典》、伝説の武器の製法が書かれた《勇者の鍛冶書》なんてのもあって…」


『うわっ』


 さっきまでの彼の語り口調から想像もできない変化に驚いた。


『おぉ!僕と同類。心地いい波動を感じます』


 ルトまで喜びに満ち溢れている。


 彼の声はどんどん高くなり、身振り手振りを交えながら、所蔵する本の名前を洪水の如く挙げていく。


「ほかにも、《魔導人形の設計図》とか、古代言語で書かれた《原初語辞典》、呪われた地を旅した探検家の日記《嘆きの地の旅路》、古代の王国の予言書《王家の星辰》、神々が交わした誓約を記した《神託の石板》、錬金術の秘儀が記された《賢者の石のレシピ》、大賢者が残した《真実の魔術書》、古代の戦闘技術を記した《武神の心得》、そして……」


 彼は息を整え、最も大切な宝物を紹介するように付け加えた。


「激レアな歴史書で、ほとんど誰も知らないような国の記録、《イスカ平野の幻の国と失われた民》なんてのもあるんです!」


『それだ!!』


 その瞬間、ルトが私の体から身を乗り出した。ものすごい圧だ。見えないはずのオリアンが、不快そうに顔をしかめるほどに。


「あの、そのイスカなんとかって本、どこにあるの?」


 私が尋ねると、オリアンは急に表情を曇らせた。


「実は……全ては、館の書庫にあるんです。僕は今、館を追い出されていて。決闘大会クレイヴァートで勝たないと…館に立ち入ることすらできないんです」


『……なんてことだ』


 ルトの絶望した声が、私の中で響き渡った。


 その時だった。


 ダァーン!!


 書店の扉が、蹴破られるような音を立てて開け放たれた。

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