S-29 「読書家の意地、見せてあげる」
バイレスリーヴ/闘技場/舞台【視点:本屋の店員キノル】
(……嘘でしょ。なんで《鉄花のダイアナ》がこんなところにいるのよ!?)
表情筋はピクリとも動かしていない自信がある。けれど、私の内心は激しく焦燥し、思考回路はすでに悲鳴を上げていた。
(だめだこれ!勝てる未来が見えない……!)
対峙しているのは、未知の魔術師ではない。むしろ、知りすぎている。
脳裏に蘇る、バラ=エル魔術学院時代の講義。『現代魔術防御論』の実践演習で、老教師が唾を飛ばして語っていた伝説。「在学中に『多重属性変換障壁』を編み出した天才」「学生離れした演算能力と魔力制御」――。
無理もない。私が教科書で学んだ「理論上の鉄壁」。その考案者本人が、今、目の前で私の魔法をあしらっているのだから。
(教科書と喧嘩して勝てるわけないじゃん……)
本来、魔術師が魔法を使う際には、自分の体の中に溜め込んだ「最適化」された魔力を使う。
料理に例えるなら、「小麦や砂糖、ミルクを混ぜ合わせたタネ」だ。下準備は済んでいる。あとはレシピ(呪文)通りに焼けば、誰でもクッキー(魔法)が作れる。
でも、目の前の伝説のやってることは次元が違う。
私が丹精込めて焼いてぶん投げたクッキー(火球)を、空中で叩き割って粉々に還元。その成分を再構築して、オバァちゃん特製のアレンジを加えた豪華なケーキ(氷の刃)にして投げ返してきているのだ。
(自分の魔力を使わずに、私の魔力を利用してる……?)
単純に火球を跳ね返すのとはワケが違う。わざわざ水氷魔法に変換してカウンターを撃ってきているあたり、技術レベルの差を見せつける凄まじいマウントだ。
「私は、こんな事くらい、魔法障壁を張りながらでも朝飯前にできるのよ」って?絶対、性格悪い。
(……それに、魔力感知がまったく効かない)
対峙した時から、彼女からは魔力の漏洩が一切感じられない。どんな物質も微量な魔力を放出しているというのに、彼女はそれを完全に制御し、内側に留めている。そんな人間離れした芸当ができるのは、私の知る限り、師匠と……。
ふと、視界の端に映るルーガット陣営の剣闘士、奇術師ファイネに目が止まった。
(……あいつだ)
あの不気味な仮面の奥から、ダイアナや師匠と同じ、極限まで研ぎ澄まされた魔力制御の気配がする。それだけじゃない。仮面越しに、私をじっと見つめる視線を感じる。
(……なに、この感覚)
敵意とは違う、観察するような眼差し。背筋が粟立つような、それでいて妙な「懐かしさ」を覚える。どこかで会ったことがあるような……?
「この街、怪物ばかり」
私は雑念を振り払い、唇を噛みしめた。
冷や汗が背中を伝う。
正面突破は不可能。なら、知識で戦うしかない。私は脳内で、愛読書《俺流、魔術師の戦術指南書》のページを高速で捲った。
【魔術師の戦術指南-対魔法障壁戦術】
基本戦術1:魔力の消耗戦(却下。彼女の魔力効率は異常だ。先に私が枯渇する)
基本戦術2:物理攻撃の併用(却下。私は杖しか持っていないし、筋力もない)
基本戦術3:弱点となる場所の発見(……これだ。これしかない)
私は目を凝らす。だが、視界に映るのは、完璧なまでに張り巡らされた青白い光の城塞。球体ですらない、多重構造の要塞に、死角など見当たらない。
(えっと……隙、どこ?)
焦りが指先を震わせる。それでも、私は攻撃を続けた。続けるしかなかった。無駄に見える火球を放ちながら、私は再び脳内のページをめくる。基本が通じないなら、応用だ。
応用戦術1:魔力の逆流(却下。技術レベルで負けている)
応用戦術2:空間魔法による突破(却下。そんな禁術、使えるわけがない)
応用戦術3:属性の相克(彼女は水氷、私は炎。相性は最悪だ。言われなくてもわかってる)
残るは一つ。
応用戦術4:心理戦による魔力の消費『障壁を展開している相手に精神的な揺さぶりをかけ、魔力のコントロールを乱し、無駄な消費を誘発させる。あるいは、「油断」を誘う』
(……これかもしれない)
真正面からぶつかって勝てる相手ではない。ならば、彼女が私を「格下」だと侮っている、その余裕を利用するしかない。
私は、基本戦術である「一点突破」を狙いつつ、そのための布石として「心理戦」を仕掛けることを決意した。
(やってやる。……読書家の意地、見せてあげる)
私は奥歯を噛み締め、反撃の機会を虎視眈々と狙い続けた。




