S-28 「……返すわよ」
バイレスリーヴ/闘技場/舞台【視点:世界(観測者)】
第二試合:オリアン陣営、本屋の店員キノルVSルーガット陣営、???
「気を取り直して、ルーガット陣営一勝で迎えた第二試合!」
快活な司会者、サファルの声が、再び闘技場に響き渡る。彼は芝居がかった大袈裟な手振りで、オリアン陣営の入場口を示した。
「オリアン陣営の剣闘士は、本屋の店員、キノル!」
サファルの声が会場中に響き渡った瞬間、観客の熱気は一瞬で冷え込んだ。期待に満ちた熱狂は、困惑と嘲笑のざわめきへと変わっていく。
「おいおい、冗談だろ?」
「本屋の店員だと?何かの間違いじゃないのか?」
「いくらなんでも舐めすぎだろう。やる気あんのか!」
オリアンが連れてきた剣闘士が、「ただの商人」の次は、名もなき「本屋の店員」だと知った人々は、信じられないといった顔で互いを見合わせた。
ステージに現れた少女は、魔術師のローブこそ羽織っているものの、その姿はあまりに華奢で、戦場の空気とは無縁に見えた。
「そして、対するルーガット陣営の剣闘士は……んんっ?」
サファルが言葉を詰まらせる。キノルと対峙する剣闘士が、深々と被っていたローブを脱ぎ捨てたからだ。
露わになったのは、雪のように真っ白な髪と、歳を重ねてなお衰えぬ端正な美貌。そして何より、その瞳に宿る鉄の意志。
「なんと、皆さん!ルーガット陣営の剣闘士は、バイレスリーヴ議会議員、そして学園長の《ダイアナ》だ!」
サファルの声が響き渡った瞬間、熱狂に満ちていた闘技場は、まるで時間が止まったかのように一瞬で静まり返った。理解が追いつかない。しかし、その静寂は長くは続かない。次の瞬間、爆発的などよめきが会場を揺らした。
「店員と議会議員?!どんな戦いだ!ふざけてんのか?」
「あのバァさん、戦う前に死んじまうんじゃねえか?」
「いや待て、あの人、ただの学園長じゃねえぞ……!」
観客席からは、怒りに近い困惑と、一部の事情通による驚きの声が飛び交う。
そんな不安と嘲笑が渦巻く中、貴賓席に座る連合王国からの使者、アウルス・ディケム卿だけは、会場の反応とはまるで無関係であるかのように、彼女の登場に歓喜の表情を示していた。
「これは面白い。遥々来た甲斐があったと言うものだ」
その細い目が、舞台に立つ老女をじっと見つめる。かつての同窓生を見る、少年の目に戻っていた。
「静まれ!静まれ!」
サファルは歓声を打ち消すように叫ぶ。
「この日、この闘技場は、未来の勝利者の血を吸い、敗者の涙で洗い清められる!さぁ、剣を取り、運命を断ち切れ!対戦……開始!!」
ゴーン!
鐘の音が轟き渡った。
その瞬間、空気の色が変わった。
キノルはすでに動いていた。事前に口の中で転がしていた詠唱を一気に展開する。杖の先から、炎破魔法による複数の《火球》が弾丸のようにダイアナに向かって飛ぶ。
轟音を上げ、空気を切り裂く紅蓮の炎。観客席から驚きの声が漏れた。ただの店員だと思っていた少女の、洗練された魔術行使。
火球がダイアナに着弾しようとした、その時。彼女は微動だにせず、静かに目を閉じて呟いた。
爆発。轟音。紅い閃光が舞台を包み込む。誰もがその老女の死を思い描いた。
しかし、煙が晴れた視界から現れたダイアナは、微笑みを湛え、無傷でそこに立っていた。彼女の周囲には、薄い青の光の壁――《魔法障壁》が、鉄壁の城塞のごとく展開されていた。
「……返すわよ」
次の瞬間、キノルが放った火球の残滓が、ダイアナの目の前で青白い光に変換される。炎が凍りつき、鋭利な氷の刃へと変わり、キノルに向かって射出された。
「ッ!?」
キノルの反応が遅れる。自分の魔法が利用されたことに驚愕しながらも、彼女は何発かを躱す。
だが、地面にぶつかって飛び散った氷の破片が、容赦なく彼女の着衣を切り裂いた。
キノルは息を整える間もなく、再び火球を放つ。
今度は長めの詠唱で巨大な火球を生成。一直線にダイアナへ。
ダイアナは再び微動だにせず、目を閉じ、微かに口角を上げた。
ドォン!
火球が魔法障壁に激突し、爆発する。しかしダイアナは無傷。
その時、爆発によって霧散したはずの魔力が、ダイアナの周りに集まり、水滴となり、瞬時に凍りついた。属性変換。防御と攻撃の同時並行。
ダイアナの水氷魔法《氷塊刃》は、指先一つ動かさずにキノルに向かって放たれる。
刃物のように迫る氷。キノルは躱そうとするが、氷の塊は彼女の動きを先読みし、行く手を阻んだ。
ザシュッ!
キノルは躱しきれず、右腕を浅く切り裂かれる。鮮血が舞った。
闘技場が再びどよめく。それは嘲笑ではなく、目の前で起きている「高度な魔術戦」への戦慄だった。
「ほぉ、うちの宮廷魔術師に欲しいくらいじゃ」
バージェスは目を細めて笑う。
「おお、ダイアナ殿、魔法が使えるのか?付き合いが長かったつもりだが、全く存じ上げなかった」
カースランも驚きを隠せず、目を丸くする。
「ふん、実力は健在、か」
アウルスの顔から皮肉げな笑みは消え、純粋な畏敬と懐かしさが滲む、真剣な眼差しへと変わっていた。
「『深淵を探求せざる者、この門をくぐるべからず』。彼女は、我が母校、《バラ=エル魔術学院》において、誰もが憧れ、そして畏敬の念を抱いた天才。栄光ある第44代主席卒業生、『鉄花のダイアナ』と恐れられた稀代の魔術師だ」
彼の言葉は、闘技場の喧騒をよそに、ダイアナの偉大さを静かに語っていた。
「鉄花は、何者にも屈することなく、ただひたすらに己の道を究めた。その揺るぎなき信念こそが、我々の憧れの対象だったのだ」
アウルスは、遠い昔を思い出すかのように目を細める。
「惜しまれつつ故郷に帰っていった。そうでなければ、今頃どこかの国の王宮魔術師の座か、アカデミーで教鞭をとっていただろうに」
そう言って、アウルスは口元に微かな笑みを浮かべた。
気づけば、貴賓席は静寂に包まれていた。
誰もが手元の動きを止め、アウルスの語る「生ける伝説」に聞き入っている。
喧騒の中でそこだけが、ダイアナへの畏敬に支配されていたのだ。
そして、舞台では、伝説の魔術師と、名もなき本屋の店員の、絶望的な力の差が、今まさに明らかになろうとしていた。




