S-23 「クレイヴァート!」
バイレスリーヴ/潮風通り【視点:孤児院の少年ウィル】
闘技場へと続く白い石畳の道は、祭りへと向かう人々の熱狂で埋め尽くされていた。
潮風に乗って届く活気が、僕たちの胸の高鳴りをさらに煽る。
道沿いに軒を連ねる色鮮やかな露店からは、揚げたての魚介の香ばしい匂いと、甘い果実の匂いが混じり合い、食欲を強烈に刺激する。大道芸人が軽快な音楽に合わせて曲芸を披露し、その度に子供たちの歓声が弾けた。
今日は、この国で一番大きなお祭り、決闘大会の日。僕たち孤児院の子供たちも、この日を一年中ずっと心待ちにしていた。
「ウィル!誰に賭けたんだ!?」
隣を走る友達のルーキが、興奮した声で尋ねてきた。その瞳は、今日一日で大金持ちになれるという夢で輝いている。
「うーん、秘密!」
僕が街の雑用を手伝って、泥だらけになりながらコツコツ貯めた25銀貨。それを賭けた候補者。
そのこっそりと胸に秘めた期待を、簡単には明かしたくなかった。
「えぇ!?なんで教えてくれないんだよ!」
ルーキは不満げに口を尖らせた。
「そう言えば、オリアンって兄ちゃん、いるだろ?昨日、演舞式で衛士に捕まったらしいぞ!剣闘士も誰も来なくて、もう不戦敗だって噂らしい!」
ルーキは、どこかで聞きかじった情報を、まるで自分が見たことのように得意げに話してきた。
信じられない。
「う、嘘だ!だって、あの兄ちゃん、すごくいい人なんだよ!」
僕の言葉に、ルーキは目を丸くし、他の友達も怪訝な表情で僕を見た。
「何言ってんだよウィル。オリアンって、前の元首様の根暗な息子でしょ?邪神を呼ぼうとしたとかで、国中のみんなから嫌われてるんだよ」
「でも!僕は違うと思う!」
僕の脳裏には、冒険者ギルドでの光景が蘇る。
僕のために、わざわざ危険な洞窟へ行って《つめた茸》を届けてくれたオリアン兄ちゃんと、隣にいた蒼い髪の姉ちゃんの優しい笑顔。
彼らは、僕がなけなしのお金で払った報酬の銀貨まで、布袋にこっそりと返してくれたんだ。
そんな、見返りも求めない優しい人たちが、人気がないなんて信じられなかった。
「もしかしてウィル、オリアンに賭けたのか?!倍率が高いからって、ダメだよ!誰もオリアンに賭けてる人なんかいないよ!」
友達は心配そうに僕の手を掴んだ。
僕は何も言い返せず、ただ前を向いた。
僕たちは賑やかな潮風通りから少し逸れ、噴水広場を通り抜けた。
「あれ、ババァ、今日も居ないな」
ルーキが立ち止まって広場を見渡した。
「ババァ」というのは、毎日休むことなく、この場所で変なことを叫んでいるダンラお婆さんのことだ。いつもならキーキーした声が響いているはずの広場に、彼女の姿はない。
「決闘大会見に行ったんじゃないか?」
別の友達が、気の利いた返しをする。
「いや、この前の嵐の夜に、海の化け物に食べられたとか」
僕が何気なくつぶやいた言葉に、友達たちは一瞬真顔になった。
一瞬、冷たい風が通り抜けた気がした。
「う、ウィル!まだそんな迷信を信じてるのかよ?子供だなぁ!」
皆が僕を、小突きながら口々にからかってくる。
僕も誤魔化すように笑いながら、ふと広場の海の神話の壁画を眺めた。
そのとき。
壁画の下、深海に位置するところに描かれた巨大な触手が、まるで蠢いているように見えた。
背筋がゾクリとした。
カーン、カーン。
その時、遠くから重々しい鐘の音が聞こえてきた。それは、闘技大会の始まりを告げる合図だ。
「やべっ!早く行かないと立って見なきゃいけなくなるぞ!」
「ウィル、急げ!」
改めて壁画を見ても、そこに違和感はない。
(気のせいだよね)
不気味な予感を振り払うように、僕らは大人たちの間を縫いながら、バイレスリーヴの闘技場へ向かって、港沿いの通りを全力で走り抜けた。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/港通り【視点:世界(観測者)】
闘技場に向けて、豪奢な馬車の列がゆっくりと進んでいく。
その中のひときわ大きな馬車は、金色の軽装備を身に着けた、数多くの美しい青年たちに囲まれている。
彼らはザーラムの最高権力者の親衛隊《黄金衆》で。その眼差しには黄金の光りが宿り、道行く群衆を油断なく警戒している。
彼らに守られた豪奢な馬車の中。そこには黄金の刺繍が施された着衣を纏った、見事に肥えた男が座っていた。
彼こそが、バイレスリーヴの対岸の国家で、領土拡大の野心に満ちたザーラム共和国、その最高権力者、執政官バージェスだ。
彼は裸の専属娼婦を両手に抱え、豪快な笑い声を響かせた。
「この国もいいのぅ、欲しい欲しい。うまそうな肉、酒、女。全部儂の物にしてやるぞ」
「バージェス様ぁ、私もあれ欲しいですぅ」
女が媚びるようにバージェスの胸に身体をこすりつけ、馬車の窓から見えた宝石商の店を指して言った。
「ほっほほ、まぁ見ておれ。すぐに手に入れてやる。そしたら商業地区まるごとお前にやろう」
欲望を隠そうともしない醜悪な支配者。
その対面には、帽子を目深に被った異国風の紳士が、姿勢良く座っていた。
彼は異国の紳士、ザーラム共和国の財務官、ワキール。彼の表情は落ち着き払っており、その思慮深さが滲み出ていた。
「閣下、地ならしは終えております。少々退屈な展開になるかとは思いますが、今日はどうぞ、お楽しみください」
バージェスは美女と戯れながら、その言葉を聞いて満足そうな笑みを浮かべる。
「ワキール、お前はいつも上手くやる。今日が東岸征服の記念すべき日というわけじゃな」
「はい。あとはシェルク殿が上手くやってくれるでしょう」
彼らの乗る馬車は、湧き上がる歓声が最大に近づいたところで停止した。
「着いたようですね。では、私はこちらで失礼します」
ワキールは馬車を降り、群衆の中へと姿を消した。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/闘技場/観客席
華々しいファンファーレが鳴り響き、大道芸人たちが陽気な音楽を奏でながら場を盛り上げる。
闘技場を囲むように立ち並ぶ石造りの観客席は、すでに隙間なく埋め尽くされ、最上階の窓から身を乗り出す者までいる。この街の、この国の民はもちろん、周辺諸国からも多くの観客が集まり、凄まじい熱気を生んでいた。
移動式露店の売り子は、客席の階段を縫って歩き、観客に麦酒や焼きたての肉を売り歩いていた。
「ファウラ!そっちにまだ腸詰ポテトは残ってる?」
「あと2つで売り切れです!バラさんのところに麦酒瓶はいくつありますか?」
小柄で色白、細い腕をした控えめな雰囲気の女性店員、ファウラは、黄金の潮風亭の売り上げに貢献するため、精いっぱい声を張り上げていた。
この商機を逃すまいと、街の飲食店は総力を挙げて商いに勤しんでいた。グラースの黄金の潮風亭では、普段は冒険者ギルドで働いている娘のバラも、実家稼業の手伝いのために売り子として走り回っていた。
「おーい!こっちに来るまでに麦酒は売り切れないだろうな!」
遠くに座っている観客が、麦酒の在庫が心許ないことを気にしてファウラに声をかけてきた。
「大丈夫だぜ、お客さん!今日のためにバッチリ準備してきたからよ!」
巨大な麦酒の樽を2つ背中に担いだグラースが、強面の笑顔でその客の方へと向かっていく。
売り子たちの威勢の良い声が飛び交う。この日を待ちわびた人々の興奮は、もはや抑えきれるものではなかった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/闘技場/貴賓席
会場の余興が最高潮に達したその時、貴賓席の入り口に人影が現れた。
「ほう、皆々様、お揃いで」
小柄で頭頂部が禿げ上がったその男、《連合王国レグヌム・クィンクェ・ウニトルム(レクイウム)》の《フロース・フォンス領》の領主であり、王国の使者、《アウルス・ディケム》は、いかにも捻くれたような表情で貴賓席を見渡した。
瞼の肉が垂れ、細くなった目で他の賓客を睥睨しながら、案内に従って指定された席へと着席する。
「まったく、こんな辺境までワシを呼んだからには、余程面白いものを見せてもらわないと割に合いませんぞ」
彼は最後に到着したことを悪びれる様子もなく、むしろ傲岸不遜な態度で言い放った。
その言葉を聞いた恰幅の良い巨漢、ザーラムの執政官バージェスが、豪快に笑い飛ばす。
「ほっほほ、卿。聡き卿のことですからな、この大会がつまらぬと言うなら、それを楽しむための準備くらいは、当然なされたでしょうなぁ」
《人知の平原》を二分する大国の使者に対し、新興国の代表者がこのような態度をとるのはあり得ないこと。
しかし、バージェスからは大国を前にした畏怖や萎縮は微塵も感じられず、むしろ見下した言葉の端々から、ザーラムの現在の勢いを感じさせた。
「ふん、成り上がりほど大きな口を叩く。……なぁ、カースラン卿。随分皺が目立つようになったな。いつぶりか?」
東の大国、《帝国ゼーデン》の軍隊のうち、最大規模の「万騎軍」を統べる将軍、カースランに対し、アウルスは親しみを込めた皮肉を交えて言った。
「卿などと、やめてくだされ。アウルス卿は変わりなく、溌剌とされておられますな」
カースランは、その老練さで不快感を押し隠し、愛想笑いを浮かべて言葉を返す。
「うむ。卿。そちらは」
アウルスは、その細い目をカースランの隣に座る若者に向けた。値踏みするような視線だった。
「アウルス卿、お久しぶりです。ソラスの娘、ジーナ・マグ・ファランです」
ジーナは銀の髪を揺らしながら立ち上がり、彼に向かって恭しく礼をする。
「おぉ、あのジーナ皇女か!大きくなられた。いやいや、年を取ると、時の流れが早くてかなわん」
アウルスはジーナの挨拶を満足気に受け取った後、貴賓席を見渡し、誰かを探す素振りを見せた。
「そう言えば、儂のアカデミーの同窓、ダイアナはここにはおらぬのか?」
彼は、その場の主要な者たち、すなわちカースラン、バージェス、ジーナ、そしてダイアナ以外は重要ではないと瞬時に見抜く老獪さを持っていた。
「そう言えば……昨日の演舞式ではお見かけしましたが」
カースランも同じく、ダイアナの姿がないことを気にし、同じバイレスリーヴ議会議員、褐色の肌と美しい銀の髪を持つ長身のダークエルフ、衛士長官ディナリエルに目をやる。
「彼女からは何も」
ディナリエルも静かに首を横に振る。
アウルスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「うむ。この辺境に足を運ぶ楽しみの一つ、儂らの憧れ、アカデミー同窓の顔が久しぶりに見れると思ったのだがな」
そんな会話を交わしていると、会場の余興が終了したことを告げる荘厳なファンファーレが鳴り響いた。
いよいよ、この国の運命を決める決闘大会が始まる。




