S-20 「図ったな、貴様」
バイレスリーヴ/闘技場/貴賓席【視点:学園長ダイアナ】
決闘大会の前日に行われる演舞式会場の最上段にある貴賓席。
そこには、大会の候補者であるルーガット、アドホック、オリアンの陣営代表のほか、バイレスリーヴ議会を構成する私を含めた四人の議員たちの席が用意されていた。
私は、その席で落ち着いてはいられなかった。昔から嫌な予感だけは驚くほど当たる。
「ダイアナ、顔色がすぐれないようだが」
ルーガットに声をかけられ、隠していたつもりだった心の奥の不安が、思わず表情に表れていることに気付かされた。
今日の空は、昨日の嵐が嘘のように、澄み渡り、雲一つなく晴れ渡っているというのに、私の胸の中では、依然として暗雲が立ち込めていた。
その理由はただ一つ。それは、私がアドホック陣営に対する調査活動を依頼した、剣闘士ローカンの姿が無かったためだ。
ローカンは幼い頃、私の孤児院で育った子だ。破天荒で友達と喧嘩ばかり。とても手を焼いたことを今でも覚えている。
彼は二十五年前、内海に迷い込んだ外海の魔物の討伐にあたった帝国万騎軍所属の両親を亡くし、このバイレスリーヴに流れてきた孤児の一人。
そんな彼は、いざとなると他の孤児たちの模範となり、反発しながらも、私から一生懸命苦手な読み書きを教わろうとしていた。私は、彼が苦手だった《時間》の読み方を理解できた時は、とにかく一緒になって喜んだことを覚えている。それ以来彼は、他のことはめちゃくちゃでも、約束の時間だけは必ず守るようになった。
そんなローカンが、演舞式が始まる直前になっても姿を現さない。
「えぇ、大丈夫よ」
私は、不安に押し潰されそうになる中で、なんとか気丈に振る舞おうと、ルーガットに微笑みかけた。そして、ただただ、ローカンの無事だけを祈っていた。
しかし、まさに開会式が始まろうとしたその時、街で最も腕の立つ医学者でありながら、衛士長官を務めるベアナコスタ議会議員、《ディナリエル》が険しい顔つきを浮かべて私の隣の席に座った。
その顔は、いつも冷静沈着な彼女とは思えないほど、深刻な色を帯びていた。ただならぬ事態を察し、私の喉は張り付いたように動かなくなった。
ディナリエルは、身をかがめて私の耳元に顔を寄せ、静かに告げた。
「ローカンが……裏通りで、血まみれの状態で倒れているのが見つかった。私の診療所に運ばれたときには、残念ながらすでに……」
彼女の耳打ちを聞いた瞬間、一気に全身の血の気が引いていくのが分かった。心臓が一瞬止まったかのような錯覚に陥り、全身が凍りつく。
彼を剣闘士として雇い、内偵を指示した時も、まさか実力のある彼がこうなるなんて、傲慢にも考えもしなかった。私の判断ミスが、あの子の命を奪ったのだ。
自責の念と、深い悲しみ、そしてマグマのように湧き出る憎悪が、嵐のように渦巻く。こみ上げてくる嗚咽を必死に堪えたが、頬を伝う熱い雫が止まらなかった。
「……誰の……仕業なの」
絞り出した声は、ひどく震えていた。
ディナリエルは静かに、闘技場に立つ候補者たちのいる場所に視線を送った。その視線の先には、アドホックの剣闘士の一人、異国風の青年、シェルクの姿があった。
その瞬間、抑えようのない強い怒りが、体の奥底からマグマのように湧き上がってきた。ローカンを、私の愛する子供同然のあの子を……許さない。
私はただ、手のひらに爪が食い込むほど強く、拳を握りしめていた。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/闘技場/貴賓席【視点:冒険者ギルド会長アドホック】
演舞式の開会とともに、私たち候補者三名は立ち上がり、司会から紹介を受ける。
私の席は中央に用意されており、右隣は商業者ギルド会長のルーガット、左隣は先代元首の倅であるオリアンの席だ。
先代の倅オリアンは、数日前に冒険者ギルド会館に現れた時の彼の姿から、想像できないほど変わっていた。
頬はこけ、目の下には深い隈ができている。その顔色は血の気が失せ、まるで数週間何も食べていないかのようにやつれていた。その横顔には、もはや焦燥感すらなく、代わりにひどく乾いた、空虚な表情が浮かんでいた。
一体何があったのか。私には全く想像がつかなかった。しかし、希望あるこの国の若者が、まるで廃人のような姿で立つのは、傍から見ていて痛ましくもある。
そして、ルーガットはというと……。
「図ったな、貴様」
その怒りを湛える鋭い眼光が、民衆から隠すこともなく、私に向けられる。それは、間違いなく我が陣営のシェルクが、彼の剣闘士、ローカンを暗殺したことを指していた。
「この場でそんな顔をされると、民衆はよく思いませんよ」
私は、ルーガットの怒りの眼差しを真に受けることなく、静かに受け流した。しかし、その平静を装う顔の裏で、内心は激しく波打っていた。
ここに立つまでの間、この国で最も直接的、あるいは間接的に手を汚してきたのは、ルーガットでもダイアナでもなく、私だ。今回のシェルクの暴走は、私の監督から外れた独断であるにせよ、ザーラムの手を握ったという意味で、その遠因は私自身にある。
(私のやっていることは、本当にこの国にとって正しいことなのだろうか……)
私が彼らと手を組むに至ったのは、この国が、ザーラム共和国の脅威に対して何ら手立てを打てなかったことに起因する。
その最も悪しき例が、西岸の友好国で慈善活動を行っていた《バイレスリーヴ青少年団》のザーラムによる拉致事案だ。
ザーラム共和国は五年前、友好都国を侵略し、多くの国民を奴隷として徴収した。その中には、サフラヒルで発生した天災による被害復興のために、この国が派遣していた《バイレスリーヴ青少年団》までもが含まれていた。
この大きな問題に対するこの国の対応は、ただ、抗議の書簡を送ることしかできなかった。
この国は、宝であるはずの若者が攫われたというのに、「権限が及ばない」だの、「背後の連合王国まで刺激する」だのと言い訳をし、結局ただ指をくわえて見ていることしかできなかったのだ。
そして、その青少年団の中には、私の最愛の娘も含まれていた。娘があのザーラム共和国に囚われている以上、私には、何時までも手を拱いている時間はなかった。
ならば私が、この国を東岸侵略の足がかりにしようとしているザーラムを、呼び水となるが如く、一時的に手を組み、油断したところで喰らいつこうと考えた。これは、私の五年間にわたる計画なのだ。
ザーラムは「共和国」とは名ばかり。その実態は執政官バージェスを中心とした権威主義の国だ。私は、ザーラム中枢と繋がったことで、その国の統治体制が、国の肥大化に追いついていないことを確信できた。
私は、かつての帝国と連合王国の圧力により廃止された《バイレスリーヴ軍》に代わる軍事力を、冒険者ギルドという隠れ蓑の下で、この五年間で着実に組織してきた。
冒険者ギルドの面々は、表向きはただの金稼ぎと名誉を求める集団だが、その実態は、私の私兵だ。
現時点でも、この精鋭たちをザーラム共和国の首都ザラマーダに集中させれば、攻略できるほどの力はあると見ている。ただ、私はそんな博打じみた愚は犯さない。
私の計画では、ザーラムに拉致されている、「この国の希望」達の安全を確保した上で、首魁バージェスを、元首就任式を名目にこの国へ呼び込み、奴と奴を守る厄介な親衛隊を、国民救出という名目のもと襲う、《報酬高額のクエスト》をバイレスリーヴ新元首の名の下で発注する。
そうする事で、バージェスを抹殺し、頭を失った毒虫たるザーラムは、のたうち回りながらばらばらになる、という目論見だ。
これは、バイレスリーヴとザーラムの問題故、帝国や王国からの干渉は受けることはなく、周辺諸国もザーラム側に立つほどの忠誠心はない。新しい時代の皇帝を標榜する欲望にまみれた国家元首は、哀れにもこのバイレスリーヴの地で土に還ることとなるだろう。
この計画を実行する為には、個人という単位ではとても捻出できない、膨大な資金力が要る。よって、私が元首となり、その権限により、《元首の命令》でクエストを発注しようという算段だ。
ただ、一つ誤算があるとすれば、ザーラムの執政官、バージェスが、私を介したバイレスリーヴ攻略のために、大胆にも自らの親衛隊の長で右腕であるシェルクと、財務官でありながら諸工作を担う左腕、ワキールを派遣してきたこと。
これにより、私は警戒感を一段と上げざるを得なくなった。彼らが万が一、私の内心を知り本国に報告すれば、私の計画は一瞬にして崩壊する。そのため、私の策略は未だ、誰とも共有することができていない。
それに気づける人物がいるとすれば、それはルーガットなのだろうが、彼の性格上、私の戦略とは相容れない。それは彼の著書《憂国哀史》を読めば歴然で、彼はその「クソ真面目」な…帝国ゼーデンに基づいた思想から、敵を欺くためであっても敵と手を組むことを許すはずもない。
故に、私は、この巨大な計画のすべてを、たった一人で背負い込むしかないのだ。
そんなことを思案していると、眼下の舞台で私の陣営の剣闘士たちが割れるような歓声を受けながら舞を始めた。




