S-2 黄金の旋風
バイレスリーヴ/裏通り【視点:蒼髪の少女イル】
喧騒から逃れるように路地へ入ると、世界が一変した。
光が遮られ、石畳は湿った影をまとう。潮風の匂いは消え、代わりにカビと生ごみ、そしてどこか埃っぽい空気が漂う。
私は、革製の水筒で喉を潤しながら、目的の店を探して歩を進める。
数人の男が、獲物を見つけたハイエナのように後をつけてくることに気づいているが、歩みを止めることはない。
しばらく歩くと、周囲の店は怪しげな看板を掲げ、人影がまばらな風俗街へと辿り着いた。そこは、街の賑やかさとはかけ離れた澱んだ空気と――鼻につく、甘ったるい匂いで満ちていた。
『イル、気づいてます?』
ルトが不快そうに呟く。
『まぁね』
彼の声は私にしか聞こえない。
「オゥ、そこの……美味そうなネェちゃん……」
角を曲がった瞬間、背後から粘着質な声が響いた。振り返ると、ニヤニヤと顔を歪ませた男たちが、退路を塞ぐように立っていた。
「ヒヒッ、迷子かぁ?……意識がぶっ飛ぶ『イイ場所』、あるぜェ」
男たちの視線が、私の身体を舐めるように這い回る。その瞳孔は異様に開ききり、白目の部分が充血している。視線が定まらず、絶えず眼球が小刻みに揺れていた。
恐怖はなかった。ただ、面倒だと感じ、わずかに眉を寄せた。
「丁度いいや。この街で本を売ってる店、どこかな?」
折角だから、私が今、探し歩いている場所を聞いた。
『知らないと思いますよ。目の前の彼らは、知とは程遠い生き物です』
『そんな気はするけど、一応ね』
男たちは一瞬呆気にとられたように顔を見合わせたが、すぐに頬を引きつらせて薄ら笑いを深めた。
「ヒヒッ……本?紙?駄目だぜぇ、カサカサするのは。……もっと、濡れてないと」
『イル。面倒です。こいつら全員殺しましょう』
『いきなり?!ダメでしょ』
私はルトの提案を即座に却下した。その時だった。
ドゴォォォォンッ!!
路地の暗闇を切り裂くような轟音が響いたかと思うと、私の目の前にいた男が、枯れ木のように真横へ吹き飛んだ。
男はそのまま石壁に叩きつけられ、カエルの潰れたような悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「おっと、ごめん。……手が滑った」
そこに立っていたのは、路地の薄暗がりを払拭するような、輝く存在感を放つ若者だった。獅子のたてがみを思わせる金色の髪。
青い瞳。その軽い言葉と裏腹に、その瞳の奥には隠しきれない冷たい怒りの炎が宿っている。
「あァ!?ダレだ、テメぇ!?」
「待て、コイツ……あの《ザイン》さんの溜まり場にカチ込んだ金髪野郎だ!」
チンピラたちが顔色を変える。青年は挑発的に手招きをした。
「ちょうど、君たちのところにもカチ込もうと思ってたところだ」
「女の前で……カッコつけてんじゃねェよォ!!」
熱り立ったチンピラたちは、群れた海鳥のように一斉に殴りかかった。
「――遅い」
短く呟くと、青年は地面を蹴った。それは、回避ではない。「飛翔」だった。
彼が消えた、と錯覚した次の瞬間。青年は、路地の左右の壁を交互に蹴り上げ、垂直に駆け上がっていた。狭い路地の一番高い場所。頭上のわずかな隙間から差し込む陽光の中に、彼の姿が躍り出る。
「上だ!」
男たちが呆けて空を見上げた隙に、光が落ちた。落下速度に回転を加えた、強烈な踵落とし。空を切った脚が、一人の男の肩口にめり込み、そのまま石畳へと叩きつける。
数秒も経たずに、戦意はへし折られた。捨て台詞を吐きながら、チンピラたちはボロボロになった仲間を抱え、足早に路地裏の闇へと消えていった。
路地に静寂が戻る。青年は、私に視線を向け、ニコリと微笑んだ。
「大丈夫かい?」
その声は、路地に響いた戦闘の轟音とは打って変わって、静かな潮騒のようだった。私は頷き、彼の瞳をじっと見つめ返した。眩しい。直視し難いほどの、まさに「光」だ。
『……不愉快な眩しさですね』
ルトが不機嫌そうに呟く。
「うん…ありがとう」
「よかった。そういえば、キミも他の街から来た感じ?」
青年は、私の服装を見て、微笑みながら尋ねてきた。
「うん。今この街に来たばかり」
私は頷いた。
「あの……じつは本を売ってる店を探してるんだけどさ。知らないよね?」
青年は得意げな表情を浮かべた。
「そう思う?ところがびっくり。知ってるんだなこれが」
「本当!?」
「あ、そうそう。オレの名前は《グリンネル》。君は?」
「《イル》。放浪商人やってます」
「へぇ……売り物持ってないから、占い師か…魔術師かと思ったよ」
グリンネルとイルは、歩きながら言葉を交わし、裏通りの外れの一画で足を止めた。
その場所の建物の壁に掲げられた木製の看板には、《書店の書庫》と書かれている。
「実は、オレの友人がこの店で働いてて。だから偶然知ってたんだ」
イルは、その店を見上げて、感心した表情を浮かべた。
「ありがとう、すごく助かった」
イルが感謝を伝えると、グリンネルは照れた表情を浮かべるも、すぐに何か重要なことに気づいた様子でポンと手を打った。
「しまった!お使いするの忘れてた!じゃ、ごゆっくり!」
彼は再び地面を蹴る。獣のような高い身体能力で、建物の壁から屋根へと一瞬で駆け上がり、そのまま颯爽と飛び去っていく。逆光の中に、焼き付くような金色の残像を残して。
『……あの「光り物」。キミ、気に入ったんですか?』
ルトが意地悪そうに問いかけてくる。
『あー。ルトは陰キャだからね。あの笑顔に当てられると消失しちゃうかもね』
『キミの身体を操作して…うんこ漏らさせますよ』
『殺す』
『僕はもう死んでます』
私はルトとの絡みも程々に、書店の扉に手をかけた。
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