S-19 「一度も呼ばずに終わっちまったよ。母さんって……」
バイレスリーヴ/住宅区【視点:魔法剣士ローカン】
決闘大会二日前。
横殴りの強い雨が石畳を打ち、ときおり雷の光が暗闇の街を白く照らす。昼までの空模様と打って変わり、今夜のバイレスリーヴは嵐に見舞われた。
俺は、ダイアナからの密命を帯び、一人の男の動きを追っていた。それは、決闘大会の候補者、冒険者ギルド会長のアドホック。
商業者ギルドの若頭で、ルーガット陣営の情報担当、ノエルが仕入れた情報によれば、アドホックは、対岸の《ザーラム共和国》から支援を得ることと引き換えに、ザーラム共和国のバイレスリーヴに対する浸透に加担している可能性が高いという。
なぜアドホックほどの男ががそうするのか、その理由は不明。ただ、周辺諸国の様にバイレスリーヴを飲み込もうと目論むザーラム共和国に弱みを握られている可能性もある。
また、この街の風俗街では現在、ザーラム共和国から密輸される《ラクリマ》という甘い匂いのする薬物の中毒者が急増している。その拡散の元を辿ると、冒険者ギルドの素行不良者から広まったとの調べがついている。
よって、アドホックひいては冒険者ギルドを見張ることで、ザーラムによる工作の一端を現認出来る可能性が高いと言うわけだ。
帝国万騎軍のほか、帝国の諜報・暗殺部隊《百影》にも所属していたことがある俺は、その経験を買われ、ダイアナから、アドホックを見張り、ザーラムとの繋がりを暴くよう密命を受けたのだ。
顔に滴る冷たい水滴をぬぐう。
(これで風邪でもひいたら、笑えないな)
俺は、かつてこの街の孤児院にいた頃、運動大会の前日に嵐の中を友達と駆け回り、次の日に熱を出して泣く泣く欠席したことを思い出した。そう、俺は、アカデミーを卒業したダイアナが、故郷のバイレスリーヴに戻り、学園を開いた時に初めて迎え入れられた、戦災孤児達の一人だった。
頭が悪く、なんにでも突っかかって、体を動かすことしか取り柄のないこの俺を、彼女は本当の母親のように、優しく、時には厳しく……いや、いつも厳しく育て上げてくれた。
おかげで、俺は多少頭が働くようになり、ゼーデン帝国の万騎軍の隊長にまで上り詰めることができた。だから未だにダイアナには頭が上がらない。
今回の大会への参加は、丁度この街に戻った頃に、決闘大会で、ダイアナがルーガットを推すことを知った俺の志願だった。
それは、ダイアナへの恩返しの為。俺は、ダイアナがルーガットに長年にわたり、秘めたる想いを寄せていることを知っている。いや、俺だけじゃなく、孤児院出身のやつは大抵知ってるか……
だが、その想いが実を結ばないまま、彼女はずっと独り身で暮らし、その美しかった顔には皺が増え、いまでは立派なバァさんになってしまった。
俺は、せめてダイアナとルーガットが晩節を迎える前に、彼女の想いがルーガットに届き、二人が結ばれることを願いつつ、彼女の計画に従い、ルーガットをこの国の国家元首にするために力を貸しているのだ。
「ブエックション!!」
だが、さすがの俺も、この雨とこの風には参ってしまう。
俺は、建物と木の影を陣取り、アドホックの私邸を監視しつつ、海につながる通りの気配も伺っていた。
その時、寝静まったこの時間に、通りの向こうから、何かが近づいてくる気配を感じた。
俺は緊張のあまりつばを飲み込み、その先を凝視する。一瞬鳴った雷の光に照らされたそれの正体は、噴水広場のイカれたバァさん、ダンラだった。
(なんでこんな時間に……)
彼女はローブを纏い、ずぶ濡れになりながら、引きずるように通りを歩き、俺が隠れている場所の前を、ゆっくりと歩き去っていく。
(相変わらず気味の悪いバァさんだ)
彼女はこの街の名物老婆みたいなもので、俺が小さい頃からずっと噴水広場で、声を張り上げていた。今となっては、この街のものは、彼女を気味悪がってまともに相手をしない。
元首の息子が、彼女と怪しい儀式を行おうとしていたという噂が立てられてからは、余計と彼女に近寄らなくなっているようだ。
そんな不気味な彼女の姿が嵐の街に消えていった時、彼の家の窓から一瞬灯りが漏れた。
(ふふん、俺でなきゃ見逃しちゃうだろうな)
俺は、集中力を高め、さらに息を潜める。すると、奴の家の扉が開き、ローブを被った奴が何度も辺りを見回しながら、早足で下町の方へ向かっていった。
俺は周囲を確認しつつ、奴のあとを追った。
アドホックは、街の外れの風俗街へと足を運ぶ。流石にこの時間になると、空いている風俗店はない。となると、その目的は、夜の店ではないだろう。
彼は、ある風俗店の前で立ち止まる。そこにはもう一人、見たことのある男が現れた。異国風の髭男。ノエルの事前情報で知っている。ザーラムの使者、ワキールだ。
二人は一言二言話し、店の中へと消えていった。
俺は更に情報を得るため、その店へと近づいていく。
その時、一瞬、首元に痛みと冷たさを感じた。俺はその場から飛び退いて背後を確認する。
俺は首を押さえて振り返ると、凍えるほどに冷たい顔をした異国風の青年が立っていた。
「観ていること、気付いてましたよ」
青年は冷たく言った。
俺は、革手袋をした手を首に当てる。暗くて殆ど見えないが、べっとりとした何かが俺の手袋に付着している。それが雨の雫ではないことは、容易に想像がついた。
首筋を貫いたのは、ヤツが手にしている細く冷たい刃。一瞬の激痛の後、全身から力が抜けていくような感覚に襲われた。致命傷だ。
奴の顔には、殺意も憎悪もなく、まるで道を歩くのと同じように、当たり前のように俺の命を奪おうとしていた。
「……てめぇ、何者だ……!」
必死に声を絞り出すが、血の音が混じった不快な音となる。それでも、俺は意地だけで長年の相棒、炎の魔剣を構えた。だが、この雨の中ではこの剣の性能が最大限に発揮できない。そして、体から力が失われていく。まるで、燃え盛る炎が、水に濡れて消えかかっていくように。
異国風の青年は、俺のその姿を哀れむでもなく、ただ静かに細剣を構え直した。怪しい金色を湛えたその瞳に映るのは、俺という存在ではなく、ただの獲物のようだった。
(……俺は、まだ、やれる!)
俺は、最後の力を振り絞って、剣を振りかざした。雨の中、剣から迸る炎は、普段の燃え盛る勢いを失い、まるで風前の灯火のように揺らいでいる。それでも、俺は渾身の力で突進した。
異国風の青年は、その揺らめく炎を、まるで戯れとでもいうように、ひらりと身をかわす。俺の剣は空を切り、そして、再び奴の細剣が、俺の腹部を正確に貫いた。
「……ぐっ……!」
二度目の激痛。体中の炎が、完全に消え去っていく。もはや、魔剣を支える力も残っていない。視界が歪み、地面が遠ざかっていく。
それでも、俺は、倒れかける体をギリギリで踏みとどまった。血を吐きながらも、最後の力を振り絞り、魔剣を水平に振り抜く。それは、もはや剣術でも何でもない、ただの渾身の一撃。だが、その一撃は、奴の反応の速度をわずかに上回った。
「……ッ!」
奴は、わずかに顔を逸らし、その熱を避けたが、右の頬に赤い線が走る。奴の無表情だった顔に、初めて、ほんのわずかな驚きと、そして苛立ちの影がよぎった。
俺の視界は、ゆっくりと暗転していく。意識が途切れる寸前、俺の目の前には、あの頃のダイアナの姿が現れた。
(アンタのこと……一度も呼ばずに終わっちまったよ。母さんって……)
遠のく意識のなか、俺の耳に聞こえたのは、石畳に打ち付けられる、ただの雨音だけだった。




