S-172 「ありがとう!大好きな僕のキミ!!」
バイレスリーヴ南/巨大海門/橋上【視点:幽霊王子ルト】
僕の中に、情報の洪水が流れ込んできた。
魂が焼き切れるような熱量。意識が飛びそうだ。だけど、その痛みと引き換えに、僕は全てを理解してしまった。
1400年前。僕は母様の死に絶望し、国への復讐を願った。その瞬間、僕は呼び寄せてしまったのだ。深淵の底から這い出してきた、イル・ヌラの残滓を。僕の魂は、その時から既に寄生されていたのだ。記憶は都合よく改竄され、踊らされていた。旅の途中、あの森で見た「ある男の手記」。恐怖と狂気に満ちた筆跡。
……あれは、僕が書いたものだ。未来の僕自身が、薄れゆく理性の中で書き残した警告だったのだ。そして、僕は流刑に処され、外海へと沈んだ。自分の意思ではなかった。あれは、宿主を水辺へと誘導する寄生虫に操られ、入水自殺する蟷螂と同じ。イル・ヌラが、海へ帰るために僕を使ったのだ。
外海の底。僕の中で復活の時を待っていた「それ」は、僕が海底で見つけた「黒き遺骸」に、未完全な蘇生魔法をかけたことを機に、孵化した。僕には、蘇生魔法が成功し、イルという少女が生まれたように見えた。
だが、そんなもの完成などしていなかった。イル・ヌラの導きにより、そう「見せられていた」だけ。僕は何も知らず、自分が復活するためという偽りの希望を餌に、彼女に呪縛した。
だが実態は逆だ。イル・ヌラが、自身の器を育て上げるために、僕という「知識」を利用したのだ。僕は未熟だった彼女に魔術を教え、知識を授け、その身を守ってきたつもりだった。それすらも、僕の意思ではなく、僕に寄生したイル・ヌラがそうさせたこと。
じゃあ……今の僕は?知識は吸い尽くされた。器は完成した。全てにおいて、今のイル(イル・ヌラ)は僕より上だ。僕が達者なのは口だけ。もはや、ただの出がらしだ。
(……いや、違う)
出がらしなら、出がらしなりの使い道がある。僕は見た。イルがまだ抗っているのを。神に飲み込まれまいと、必死に手を伸ばしているのを。彼女は捨て駒じゃない。僕が1400年かけて守りたかった、たった一つの希望だ。
(燃えろ。僕の魂。時間を支配する魔力となって)
イル・ヌラからすれば、器の中に残った古いシミのような僕。消えてほしい存在なら、消えてやる。ただし、ただでは消えない。この魂を薪にして、彼女の時間を稼ぐ。僕の存在の全てをエネルギーに変えて、イル・ヌラの支配を一時的にでも押し返すんだ。
(……イル。君に未来をあげる)
意識が薄れていく。熱い。魂が燃える熱さだ。ごめんね、イル。君の笑顔がもう一度見たかったけど、これが僕にできる唯一のことだ。僕は……ここで……。
『――ル……』
その時、意識の彼方で、くぐもった声がした。
「私を置いて……勝手に消えるな!陰キャゴースト!!」
彼女の声だ。神の威厳に満ちた声ではない。生意気で、すぐ調子に乗って、でも誰よりも温かい、あの少女の声。
バシャンッ!!
死んでから1400年間、ずっとモノクロームだった僕の視界が、まるで顔料をぶちまけたように、鮮烈な極彩色に染まった。
赤、青、緑、黄金。溢れ出す光の奔流。
「イデアだよ!ルト!私は!!私たちは、この世界で生きている!!」
その色の渦の中から、イルが飛び出してきた。
彼女は、神の呪縛も、深淵の闇も突き破り、泣きそうな、でも最高に怒っている顔で、燃え尽きかけた僕の胸ぐらを掴んだ。
「だから、キミも生きるの!!死ぬまで、私と一緒に!!」
彼女の腕が、消えゆく僕の魂を力ずくで引き上げる。
イルの手が、僕の魂を掴んだ瞬間。僕の中に知識の本流が流れ込んできた。今まで、これほどに近い所にいたのに、僕は、彼女は、本当の意味で始めて触れ合った瞬間だった。
(あぁ。そういうことか。僕は、なにも理解していなかった)
霊体としてぼやけていた僕の存在の輪郭が、境界が、はっきりと見えてきた。
「ありがとう!大好きな僕のキミ!!」
深淵の底から、一気に光の中へと帰還した。




