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国喰らいの深海姫  作者: セキド烏雲
第2章

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S-169 「これではまるで、儂が玩具ではないか」

バイレスリーヴ南/巨大海門/橋上【視点:快楽の神バッコル】


 激しい雨が、儂の巨体を打ち付ける。だが、今の儂を震わせているのは寒さではない。目の前の「それ」だ。


 ズズッ……。


 イル・ヌラの、のっぺりとした顔の中央が、音もなく縦に裂けた。まるで傷口が開くように、あるいは深淵への扉が開くように。

 そして、その喉の奥が蒼く煌めいたかと思うと、儂に向かって滅びの光が降り注いだ。


 一瞬のことだった。


 僅かな判断で身体を逸らしたことで、直撃は避けた。だが、儂の片腕は跡形もなく消え去っていた。

 いや、片腕だけではない。


 何千年も不朽を誇っていた巨大海門が、儂の足元から真っ二つに寸断され、その先の海までもが、見渡せる限りの水平線の彼方まで両断されていたのだ。


 ゴオオオォォォ!!!


 空気の収縮と音までもが後から聞こえてくる。この星が割れるのではないかとすら思える轟音。


「は……はは。のう……。お前は。あの時よりも……」


 今目の前に在るそれの存在感は、1400年前のイル・ヌラと比較にならない。

 儂らのような、異界の悪魔。精神生命体風情が、「ウニヴェリアの神」だのと名乗りこの世界を総べていたことが、ひどく矮小に思えてくる。

 それは、奴とて同じ思いだろう。


 1400年待った挙句、その昔とは比較にならぬほどの化物として顕現したのだから。


「……さっきまでの大口は何処へ?私たちが止めなければ。この星は蒼に飲み込まれますよ。他の神、全柱を呼び出してください」


 1400年前、儂を色欲の沼に引きずり込んだバルロフの美しき顔が引きつっている。


「奴らは来ぬ。儂は人望が無いのでな。貴様とて、友の玩具共は皆寝返り、儂の玩具と戯れておろう。お互い様じゃ」


「でしょうね。貴方と共に戦うというのは反吐が出ますが、やれることをやるしかない。手を貸してください!!」


 バルロフの首元の緑の魔石が光る。


 彼は刻世魔法《時間停止セゲル・ジェト》の術式を展開しつつ、雷駆魔法《雷轟ゴッレシュ・アセマン》を速唱。更には細剣に雷を纏わせ、突き出した。


 バリバリッ!!ズガガァアアン!!!


 上空からの落雷と、横に走る稲妻が、イル・ヌラを襲う。


 ヌヲヲヲヲヲヲヲォォ……


 低いようで高いような声とともに、バルロフの放った雷は、イル・ヌラの身体を駆け巡る。

 しかし、効いている様子はない。


 同時に、刻世魔法《時間停止セゲル・ジェト》が発動し、イル・ヌラを包み込むかのように、眩い光が降り注ぐ。


「止まったぁ!!今じゃ!!」


 バッコルは、詠唱破棄で、赤黒い稲妻を両手に宿し、斬撃として両腕を交差して放った。その攻撃は、イル・ヌラの巨大な身体を穿つが、やがて海のように飲まれていく。


 ヲヲヲォォ……


 時の停止を破り、再び動き出したイル・ヌラ。


「ちぃッ!!」


 再びバルロフが事前詠唱していた刻世魔法が発動し、イル・ヌラの動きが止まる。

 バルロフは、伝説の秘薬、エリクサーを取り出して飲み干し、刻世魔法を重ねがけしつつ、練り上げた巨大な魔力で、水氷魔法を唱えようとしている。

 全身氷漬けにしようというのだ。


「バッコル!!貴方のそれは効かない!!魔力を貸しなさい!!」


「儂に指図するな!!」


 ヲヲヲォォ……


 再び動き出したイル・ヌラ。顔の中央に亀裂が出来始めている。


「またあれが来ますよ!!星を割る一撃が!!!」


 バッコルは顔を歪め、屈辱に震えながらバルロフに魔力を注ぎ込んだ。


「間に合うか!?……《絶対零度ザムハシール》!!!」


 バルロフの剣先から放たれた冷気の光は、瞬時にイル・ヌラを氷漬けにし、その動きを止めさせた。豪雨は止み、氷の静寂が辺りを包み込む。


「や、やったか!!がはは!!他愛もない!!!」


 バッコルは、渾身の力を込めて、氷漬けになったイル・ヌラの顔に赤黒い雷を纏わせた拳を打ち込んだ。


 その衝撃で、イル・ヌラの氷に赤いヒビが入り、その顔が粉々に砕け散る。

 そして、その身体ごと徐々に崩れ落ちていった。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……


 当たりに氷の粒がまきあがる。


「残滓は!?奴の残滓を逃がしてはいけない!!」


「ふはは、残滓など残っておら……」


 ドシュ…


 バッコルの片足が切断され、炭化して崩壊した。


「なぁああ!!?」


 彼の背後には、刀身が黒い剣を持ったヴュール形態のイル・ヌラの姿が。

 しかし、その姿は、いつもの彼女ではない。頭の触手は全身を包み込むほど伸びており、その先端は紫色に変色している。脚や腕も発達しており、白兵戦に特化した風貌となっていた。


「おのれ、おのれぇぇぇッ!!」


 片手と片足を失い、トルソーになりかけたバッコルが吠える。直後、彼の残った一本の足が、ブクブクと沸騰するように泡立った。骨が砕け、筋肉が再構築される嫌な音が響く。太い足は瞬く間に変形し、鉤爪を備えた巨大な「腕」へと作り変えられた。


「ぐぬぬぅ!!脚など飾りじゃあ!!」


 バッコルは全身から赤黒い雷を放出した。雷磁制御――。自身と大地との間に強力な磁気反発を生み出し、重力の鎖を断ち切る。


 バチバチバチッ!!


「ぬんッ!!」


 バッコルの巨体が、見えない磁場に乗ってフワリと宙に浮き上がった。肉体を捨て、異形と化してなお、その闘志は衰えていない。


「来るッ!!」


 ギャン!!


 イル・ヌラの攻撃は宙に漂う氷の輝きの間を瞬間移動している。不可避の一撃。

 バルロフの持っていた細剣は、一撃で弾かれ、中空で炭化した。


 バリィン!!ドゴォ!!


「うごあぁっ!!」


 不可視の横蹴りがバルロフの脇腹を襲い、彼の体は欄干に激突するまで吹き飛んだ。

 魔法障壁を張り巡らせていなければ即死の一撃だ。


 そしてすぐさま消えるイル・ヌラ。


「そこじゃ!!」


 氷の輝きの気配を読んだバッコルは、イル・ヌラの出現に合わせて、全てを葡萄酒に変える魔力を纏った抱擁を試みる。


「捕まえたぁ!!ひひ……ひぃ?」


 しかしそれはイル・ヌラの姿をした氷の幻影。

 抱きついた氷は赤黒く変色して爆発。バッコルの身体もろとも吹き飛ばした。


「何を遊んでいるんです!!貴方は前衛でしょう!!私が魔法を唱える時間くらい稼いでください!」


 魔法障壁を何重にも張り巡らせたバルロフは、バッコルに指示を飛ばす。

 肉片が集合して姿を戻したバッコルは、再生した顔で唾を吐いた。


「馬鹿言うな!!只で飛び散った訳ではないわい!!この空間自体が奴じゃ!!だから儂が爆ぜたことで毒葡萄酒の霧をまき散らしてやった!!見ろ!!奴の身体が浸食されておるぞ!!」


 バッコルが指示した方向に佇んでいたイル・ヌラの身体が赤紫に変色し、どろどろと溶け始めた。


 止んでいた雨が再び降り始めた。

 その雨にイル・ヌラの身体が溶け込み、巨大海門の切断面から海へと流れていった。


 ヌヲヲヲヲヲヲヲォォ……


 再び海が盛り上がり、あの巨大な怪異が海門の上に顔を出した。


「はは……振り出しに戻ったということですか」


「ぐぬぅ……儂の魔力も底をつきそうじゃ。しかたない。時間を稼ぐ。貴様は1400年前に奴を消滅させたあの魔法の準備をするのじゃ!!」


「言っておきますが、あれは相当な集中力を要します……私は一歩も動けませんよ」


「無駄口叩くでない!!やれ!!儂が食い止め…」


 再び、その深蒼の顔に亀裂が入った。


「また来るッ……いや…」


 ――ルタルタ


 裂け目の奥底から、雨音に混じって湿った声が響く。水しぶきと共に飛び出してきたのは、見覚えのあるヴュール。だが、その身体から発せられる蒼いオーラは、以前とは比較にならないほど濃密で、禍々しい。


 ――ガラベク

 ――ンドゥリ

 ――サメトナ

 ――ヘクマ


 イル・ヌラが名を呼ぶたびに、彼女の裂けた顔から、次々と異形の眷属たちが吐き出される。それら全ての瞳に、イル・ヌラと同じ、蒼い光が宿っている。溢れ出す魔力は、空間を歪めるほどに膨大だ。


「な……そんなに」


 バルロフが、雨に打たれながら戦慄に声を震わせる。


「なん……だと……」


 儂の頬が引きつるのがわかった。いま吐き出された存在たち。その全てから、神たる儂と同等の魔力を感じる。


「これは……無理じゃな」


 初めてだ。この儂が、「敗北」の二文字を脳裏に浮かべたのは。だが、悪夢は終わらない。


 ズズズズズズッ……。


 閉じようとしていた深淵の扉が、再び大きく開かれた。先ほどまでとは違う、神々しくも禍々しい気配が溢れ出す。


 ――モタガトロ

 ――ヒア

 ――ワフシャ

 ――コッワ

 ――アジョラ


 現れたのは、美しい毛並みと流麗なフォルムを持つ海獣たち。だが、その瞳に宿る蒼い光は、より深く、より冷たい。

 そして、最後に現れた存在が、儂の思考を完全に凍りつかせた。


 ――ネプテーノス。


 それは、薄緑色の人の上半身に、荒々しい魚の下半身を持つ、海の神そのものの姿。美しい顔立ちと肩まで流れる白い髪が、雨に濡れて張り付いている。手には黒曜石のように輝く巨大な三叉鉾トライデントが握られている。


「ははは……あり、得ぬ……」


 後ずさりをする。ネプテーノスから放たれる神威は、儂のそれを遥かに凌駕していた。それが分からないほど、儂は愚かではない。


「ははは……はは……」


 雨の中で、乾いた笑いが漏れる。


「これではまるで、儂が……玩具ではないか!!!」


 恐怖を誤魔化すための虚勢。だが、身体が動かない。数えるのも面倒なほどに吐き出された「駒」ごときが、儂では遠く及ばぬ境地にある。


 ヒュンッ!!


 あきらめた瞬間、音速を超える刺突。ネプテーノスが、無造作に黒い三叉鉾を突き出した。


 ズドォッ!!


「がっ……!?」


 儂が串刺しにされて宙に浮く。三つの刃が、胸、腹、そして喉を貫通していた。

「こんなも……の……」


 再生しようと魔力を練り上げる。だが、遅かった。


 カキンッ!


 ネプテーノスの三叉鉾から、絶対零度の輝きが放たれた。貫かれた傷口から、蒼白い氷が爆発的に広がり、儂の巨体を覆い尽くす。降り注ぐ雨さえも瞬時に凍結し、氷の礫となって落ちる。血も、肉も、魂さえも凍てつく、死の冷気。


「ア……ガ……」


 一瞬にして動きを止められ、氷像と化す。

 意識が途切れる寸前、儂は見た。


 氷の表面に映る、永遠に消えぬ恐怖と屈辱が刻まれた、自分自身の顔を。


 パリンッ。


 ネプテーノスが、無感情に鉾を引き抜く。その衝撃で、氷漬けになった儂の身体は、ガラス細工のように粉々に砕け散った。

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